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    "name": "kotonoha-jiten-word-dataset",
    "title": "ことのは辞典 — オープンデータセット",
    "description": "座右の銘・四字熟語の意味・由来・出典・テーマ/シーン分類をまとめた集約データセット。研究・学習・アプリ開発などで自由に利用可能。",
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    "attribution": "ことのは辞典 (https://kotonoha-jiten.pages.dev)",
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      "word": "見出し語",
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      "crossPillar": "両方の柱で使われる語か",
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      "slug": "abi-kyoukan",
      "word": "阿鼻叫喚",
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      "meaning": "阿鼻地獄の激しい苦しみに叫び声をあげるように、悲惨で混乱した凄まじい状況。",
      "origin": "特定の一書に出典を持つ語ではなく、仏教の地獄観に由来する。仏教では熱地獄を八つに分け、罪の軽い順に等活・黒縄・衆合・叫喚・大叫喚・焦熱・大焦熱・無間（阿鼻）と並べて八大地獄と呼ぶ。このうち最下層の阿鼻地獄と、四番目の叫喚地獄という二つの地獄名を取り合わせたのが「阿鼻叫喚」で、新纂浄土宗大辞典はこれを「苦しみ悶えて泣き叫ぶ、きわめてはなはだしい惨状の形容」と釈す。「阿鼻」はサンスクリットのアヴィーチ（avīci）の音写で、漢訳すると「無間」——苦しみに絶え間がないことを言う。「叫喚」はラウラヴァ（raurava）の漢訳で、こちらは苦に堪えず泣き叫ぶ声そのものを指す。日本でこの地獄の様相が広く知られるようになったのは、源信が寛和元年（九八五年）に著した『往生要集』が、冒頭の厭離穢土で八大地獄を細部まで描いたことが大きい。四字の熟語としての初出は特定されていないが、この語の重さは、もともとが地獄の名の連結であることに由来する。",
      "originSource": "仏教の八大地獄のうち阿鼻地獄・叫喚地獄の名を組み合わせた語（新纂浄土宗大辞典「阿鼻叫喚」）。地獄の様相は源信『往生要集』（寛和元年・九八五年）厭離穢土に詳しい",
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        "面白い四字熟語"
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    {
      "slug": "actions-speak-louder-than-words",
      "word": "Actions speak louder than words.",
      "reading": "アクションズ スピーク ラウダー ザン ワーズ",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "「行動は言葉よりも雄弁である」という意味の英語のことわざ。口先だけで語るよりも、実際の行動によってこそ本当の意志や誠実さが伝わるという考え方。",
      "origin": "出典は特定されていない。特定の人物の創作として記録された言葉ではなく、英語圏で段階的に形が定まっていったことわざである。近い趣旨の発言としては、1628年の英国議会の記録に議員ジョン・ピム（John Pym）の「actions are more precious than words（行動は言葉よりも尊い）」という一節が残る。「speak louder」という言い回しの活字での早い例は、1693年の説教師トマス・マントン（Thomas Manton）の説教集にある「Actions, which speak much louder than Words」とされる。現在の形そのままの「Actions speak louder than Words, and are more to be regarded」は、1736年に刊行された『Melancholy State of Province』と題する書簡集に見られる。誰が最初にこの形で言い切ったかを特定できる資料は確認できていない。",
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      "themes": [
        "英語の座右の銘",
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        "ESに書くとき"
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    {
      "slug": "ai-kanji",
      "word": "愛",
      "reading": "あい",
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      "meaning": "人や物事を慈しみ、大切に思う気持ちを表す一文字。家族や仲間、仕事など、あらゆる対象への深い思いやりを重んじる姿勢の象徴として使われる。",
      "origin": "出典は特定されていない。座右の銘として一文字の「愛」を掲げることが、特定の人物の言葉や故事に始まるという記録は確認できない。漢字としての来歴は入り組んでいる。『説文解字』は「愛」を「行く皃なり」と釈し、歩くさまを表す字として扱う。いつくしむという意味を担っていたのは別字の「㤅」のほうで、『説文解字』はこれを「恵なり」と釈し、心を意味符とする字と説明する。この二字が後に一つにまとまり、「愛」が現在の意味を引き受けた。思想のうえでは、『論語』顔淵篇で樊遅が仁を問い、孔子が「人を愛す」とだけ答える一節が知られる。墨子はこれと対照的に「兼愛」を説き、「天下をして兼ねて相愛せしめ、人を愛すること其の身を愛するが若くならしめば」と述べて、身内から順に厚くする愛し方を退けた。一方、仏教で「愛」は渇愛、すなわち執着を指す否定的な語でもある。日本語で現在の広い語感が定着したのは新しく、キリシタン期には love を「御大切」と訳し、明治のヘボンも自身の翻訳では「いつくしみ」を用いたと説明される。この字が今の位置に落ち着いたのは、明治期の聖書翻訳を経てからとされる。",
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    {
      "slug": "aibetsu-riku",
      "word": "愛別離苦",
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      "meaning": "愛する人といずれ別れなければならない、避けられない苦しみ。仏教が説く四苦八苦のひとつ。",
      "origin": "仏教の術語で、八苦のひとつ。生・老・病・死の四苦に、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦の四つを加えたものを八苦と呼ぶ。釈迦が最初の説法で示した四諦のうち、苦諦の内訳として説かれたものと伝えられ、この八苦の枠組みは南伝大蔵経の律蔵大犍度など初期の経典にさかのぼる。意味は「愛するものと別離する苦しみ」で、死別に限らず生き別れも含み、さらに愛する存在と一緒にいられないという状態そのものまで指すとされる（新纂浄土宗大辞典）。『大般涅槃経』には、愛別離苦を諸々の苦しみの根本に置く一節が引かれている。中国の故事や特定の人物の発言に由来する多くの四字熟語と違い、経典の中で苦の分類名として成立した語であり、「誰の言葉か」を特定できる種類の出典を持たない。",
      "originSource": "仏教経典（八苦のひとつ。南伝大蔵経・律蔵大犍度ほか。『大般涅槃経』にも言及がある）",
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    {
      "slug": "aimai-moko",
      "word": "曖昧模糊",
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      "meaning": "物事の輪郭がぼんやりとしていて、はっきりしないこと。「曖昧」と「模糊」という同じ意味の語を重ね、あやふやさを強めた言い方。",
      "origin": "出典は特定されていない。中国古典の特定の一節に由来する成語ではなく、いずれも「はっきりしない」意を持つ二つの漢語を重ねて強調した形である。「曖」は日が陰って薄暗いさま、「昧」は暗くて見分けがつかないさま、「模糊」はかすんで形がとらえにくいさまという字義を持つ。四字としての古い用例は近代日本の文章に見え、精選版日本国語大辞典は坪内逍遙『当世書生気質』（1885〜86年）の「曖昧模糊の間に風評が消えたは」を初出の実例として挙げる。精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉・四字熟語を知る辞典のいずれも漢籍の典拠を示しておらず、成立の経緯をたどれる資料は確認できていない。現在は「曖昧模糊とした」「曖昧模糊たる」という連体の形で使われることが多い。",
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      "slug": "akusen-kutou",
      "word": "悪戦苦闘",
      "reading": "あくせんくとう",
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      "meaning": "強い相手や不利な状況の中で、苦しみながらも懸命に戦い、努力すること。",
      "origin": "出典は特定されていない。中国の古典の特定の一節を典拠として挙げる資料は確認できず、故事に結びつける記録も見当たらない。不利な状況での苦しい戦いを指す「悪戦」と、苦しみながら懸命に戦う「苦闘」という、意味の近い二語を重ねて強めた形と考えられる。日本語での用例は大正期にさかのぼることができ、精選版日本国語大辞典は谷崎潤一郎『小さな王国』（1918年）の「それでも沼倉組は盛んに悪戦苦闘して結局勝を制してしまった」と、同じ年の芥川龍之介『開化の殺人』を引いている。もとは実際の戦いや勝負を指す語で、そこから困難な状況で苦しみながら努力することの意味へ広がった。",
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    {
      "slug": "all-that-glitters-is-not-gold",
      "word": "All that glitters is not gold.",
      "reading": "オール ザット グリターズ イズ ノット ゴールド",
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      "meaning": "「輝くものすべてが金とは限らない」という意味の英語のことわざ。見た目が立派で魅力的に見えるものが、必ずしも本当に価値があるとは限らないという戒め。シェイクスピアの戯曲『ヴェニスの商人』の台詞でも知られる、中世から伝わる古い言い回し。",
      "origin": "作者を特定できる言葉ではなく、中世ヨーロッパから広く伝わる警句である。ラテン語では12世紀の神学者アラヌス・アブ・インスリス（アラン・ド・リール）の詩句「Non teneas aurum totum quod splendet ut aurum」（金のように輝くものをすべて金だと思ってはならない）が古い例として挙げられる。英語では14世紀末のチョーサー『カンタベリー物語』の一篇 The Canon’s Yeoman’s Tale に「But al thyng which that shyneth as the gold / Nis nat gold」（金のように輝くものすべてが金ではない）という一節がある。最も知られているのはシェイクスピア『ヴェニスの商人』第2幕第7場で、モロッコ公が金の小箱を選んで開けると、中の巻物に「All that glisters is not gold」と記されていた、という場面。原文の動詞は glisters であり、現在一般的な glitters はのちに置き換わった形である。",
      "originSource": "シェイクスピア『ヴェニスの商人』第2幕第7場「All that glisters is not gold」／古い類句としてチョーサー『カンタベリー物語』The Canon’s Yeoman’s Tale、アラン・ド・リールのラテン語詩句",
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        "スピーチで使うとき"
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    {
      "slug": "amadare-ishi-wo-ugatsu",
      "word": "雨垂れ石を穿つ",
      "reading": "あまだれいしをうがつ",
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      "meaning": "軒先から落ちる雨垂れも、長い年月がたてば石に穴を開けるように、小さな努力でも根気強く続ければ、いつか大きな成果につながるということわざ。",
      "origin": "『漢書』枚乗伝が収める上書（目上に差し出す意見書）の一節「泰山之霤穿石、單極之綆斷幹。水非石之鑽、索非木之鋸、漸靡使之然也」に由来する。泰山に降る雨垂れは石に穴を開け、井戸の釣瓶縄は井桁の木を断ち切る。水は石を削る錐ではなく、縄は木を挽く鋸ではないのに、少しずつ擦り続けることがそうさせるのだ、という意味である。書き手の枚乗は前漢の文人で、仕えていた呉王劉濞に謀反の意があると知り、思いとどまるよう諫めてこの文章を書いた。前後の文脈は「福生有基、禍生有胎」——幸いにも禍にも必ず小さな始まりがある——という主張で、雨垂れの比喩はもともと、小さな兆しを放置すれば取り返しがつかなくなるという警告の側で使われている。日本で定着している「小さな努力の積み重ねがいつか実る」という励ましの用法は、同じ比喩の力点が反対側に移ったものである。なお呉王はこの諫言を容れず、七国の乱に加わって敗死した。よく似た「点滴石を穿つ」は南宋の羅大経『鶴林玉露』に載る県令・張乖崖の説話に基づく別系統の言い方で、こちらも原話では小さな不正の積み重ねを戒める文脈だった。",
      "originSource": "『漢書』枚乗伝「泰山之霤穿石、單極之綆斷幹」（枚乗「上書諫呉王」）",
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        "一言で言う座右の銘"
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        "面接で聞かれたとき",
        "スポーツの目標に"
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    {
      "slug": "anshin-ritsumei",
      "word": "安心立命",
      "reading": "あんしんりつめい",
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      "meaning": "人事を尽くしたうえで身を天命にゆだね、何が起きても心を乱さない境地に至ること。心の拠り所が定まっているために動じない、という状態を指す。",
      "origin": "四字熟語辞典オンラインは出典に、北宋の道原が編んだ禅宗の灯史『景徳伝灯録』巻十を挙げる。一方、精選版日本国語大辞典はその他の文献として〔天目高峰禅師‐示衆語〕を挙げており、どこを初出とみるかは資料によって分かれる。成り立ちのほうは各辞典で一致している。「安心」は仏教語で、信仰や悟りによって得られる心の安らぎ。「立命」は儒教の語で、天命をまっとうすること。日本大百科全書は「立命」を『孟子』のことばの転用と説明する。出自の違う二語を組み合わせた四字であるため、読みも意味の重心も二系統に分かれた。儒教寄りに読む「あんしんりつめい」は人力を尽くして身を天命に任せる態度を、禅宗で読む「あんじんりゅうみょう」は悟りの境地に到達して主体性を確立することを指す。「安身立命」とも書く。日本語での使用は近代以降に確認でき、精選版日本国語大辞典は幸田露伴『いさなとり』（一八九一年）の「安心立命の地の定まらず頼みなき身を歎けばとて」を初出に挙げる。",
      "originSource": "『景徳伝灯録』巻十",
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      "slug": "anzuru-yori-umu-ga-yasushi",
      "word": "案ずるより産むが易し",
      "reading": "あんずるよりうむがやすし",
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      "meaning": "出産前はあれこれ心配するものだが、実際に産んでみると案外たやすいように、物事はやってみる前にあれこれ心配するよりも、実際にやってみるほうが案外うまくいくものだということわざ。",
      "origin": "出典は特定されていない。狂言『悪太郎』の詞章に見える表現を出典として挙げる辞典類がある一方、特定の典拠を持たず、出産前の不安と実際に産んでみた経験との落差という誰にでも起こる体験から生まれた言い回しだとする説明もあり、どちらとも決められる資料は確認できていない。確かなのは、「案ずる」（あれこれ心配する）と「産む」を対に置き、出産という場面から物事一般へ広げた構成の表現だという点である。「案ずるより生むが易し」とも書く。",
      "originSource": "",
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        "面接で聞かれたとき",
        "ESに書くとき"
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      "articleUrl": "https://kotonoha-jiten.pages.dev/zayuu-no-mei/word/anzuru-yori-umu-ga-yasushi/",
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    {
      "slug": "ashita-shinu-kanoyouni",
      "word": "明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。",
      "reading": "あしたしぬかのようにいきよ。えいえんにいきるかのようにまなべ。",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "限られた時間だからこそ今日を精一杯生き、学びのほうは終わりのないものとして続けよ、という二つの構えを一文に収めた言葉。マハトマ・ガンディーの言葉として広く知られるが、本人が語ったという確認は取れていない。",
      "origin": "この一文の出典は特定されていない。ガンディーに帰す形で世界中に流布しているが、本人の著作・書簡・演説に逐語で見つかるという確認は取れていない。英語圏のファクトチェック記事（Gizmodo / Paleofuture「7 Gandhi Quotes That Are Totally Fake」2015年）は、同趣旨の一文が1867年の印刷物にすでに現れていると指摘している。ガンディーの生年は1869年であり、これが正しければ初出は本人の誕生より前ということになる。19世紀後半の出版物では、1240年に没したカトリックの聖人エドマンド・リッチや、アラン・ド・リール（アラヌス・デ・インスリス）に帰す記述が見られ、さらにさかのぼってセビリアのイシドールス（560年頃〜636年）の『語源』にある格言だとする説も流布しているが、いずれも一次資料での確認は取れていない。一方で、ガンディーとの結びつきが完全な誤りとも言い切れない。孫のラージモーハン・ガンディーは伝記『The Good Boatman』（1995年）で、祖父が「人は明日死ぬかもしれないと思って生き、永遠に生きるかのように学ぶべきだ」という考え方を採っていたと書いている。思想としてガンディーに重なることは伝記に基づいて言えるが、この一文を本人が語ったとは言えない、というのが現在確認できる範囲である。人前で引くなら「ガンディーの言葉として伝えられている」と置いておくと、後から出典を問われたときに崩れない。",
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      "themes": [
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      "slug": "ashita-wa-ashita-no-kaze-ga-fuku",
      "word": "明日は明日の風が吹く",
      "reading": "あしたはあしたのかぜがふく",
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      "meaning": "先のことをあれこれ心配しすぎず、明日には明日なりの状況や変化があるものだと考え、今を大切に生きようとすることわざ。",
      "origin": "出典は特定されていない。特定の人物の言葉や漢籍の故事に紐づく記録は確認できず、「明日」と「風」を結びつけた日本語の言い回しとして定着したものと考えられる。古い用例としては、歌舞伎『上総綿小紋単地』（1865年）六幕に「まあ、差掛って今夜の所を、明日は明日の風が吹けば」という台詞が見え、幕末には日常語として通用していたことが分かる。マーガレット・ミッチェルの小説『風と共に去りぬ』（1936年）の結びの一句「Tomorrow is another day.」の訳としてこのことわざが広く知られているため、同作を由来とする説明を見かけるが、日本語の用例はそれより七十年ほど前にさかのぼるので、由来と呼べる関係にはない。",
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      "slug": "bakugyaku-no-tomo",
      "word": "莫逆之友",
      "reading": "ばくぎゃくのとも",
      "pillar": "yoji-jukugo",
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      "meaning": "お互いの考えが何ひとつ逆らわず一致するほど、心の底から気の合う親友。",
      "origin": "『荘子』大宗師篇に出る。子祀・子輿・子犂・子来の四人が語り合い、「孰か能く無を以て首と為し、生を以て脊と為し、死を以て尻と為さん。孰か死生存亡の一体なるを知る者ぞ。吾は之と友たらん」と言うと、「四人相視て笑ひ、心に逆らふこと莫く、遂に相与に友と為る」と続く。無から生まれ、生き、死ぬまでが一続きの体のようなものだと分かる者となら友になれる——その一点が食い違わなかったことを「莫逆於心」と言った。同じ篇には子桑戸・孟子反・子琴張の三人についても同じ句が繰り返されており、特定の二人の逸話ではなく、荘子が友の成り立ちを説明するために置いた言い方だと分かる。『故事成語を知る辞典』もこの話を由来に挙げる。日本での受容は古く、精選版日本国語大辞典は「ばくげき」の項に五山文学の詩文集『空華集』（一三五九〜六八年頃）の「其の莫逆の友、太虚充公と曰ふ」を引き、「ばくぎゃく」の項には坪内逍遙『春迺屋漫筆』（一八九一年）の用例を挙げる。近代では菊池寛『真珠夫人』（一九二〇年）にも見える。",
      "originSource": "『荘子』大宗師篇",
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      "word": "Better late than never.",
      "reading": "ベター レイト ザン ネバー",
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      "meaning": "「遅れても、まったくしないよりはましだ」という意味の英語のことわざ。始めるのが遅くなったとしても、やらずに終わるより価値があるという見方を表す。ローマの歴史家リウィウスのラテン語の一句が、中世英語を経て現在の形に定着した。",
      "origin": "ラテン語の「potius sero quam numquam」（決してしないよりは遅れてでも）にさかのぼる。ローマの歴史家リウィウス『ローマ建国以来の歴史』第4巻第2章に見える一句で、もとは無謀な動きに対して遅れてでも立ち向かうべきだ、という政治的な文脈で使われた表現である。英語で記録に残る最も古い例は、ジェフリー・チョーサー『カンタベリー物語』の一篇「参事会員の従者の話」の序（The Canon's Yeoman's Prologue、1386年頃）にある「For bet than nevere is late.」で、これが現在の形の直接の元とされる。以後16〜17世紀の英語のことわざ集に採られて綴りが固まり、日常語として定着した。もとのラテン語が「立ち向かうのに遅すぎることはない」という決断の遅れを扱う一句だったのに対し、英語のことわざとしては、出遅れた個人の行動を肯定する言い回しへと使われ方が移っている点は、由来として押さえておきたい。",
      "originSource": "リウィウス『ローマ建国以来の歴史』第4巻第2章「potius sero quam numquam」／英語の初出はジェフリー・チョーサー『カンタベリー物語』「参事会員の従者の話」の序（1386年頃）「For bet than nevere is late.」",
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    {
      "slug": "boujaku-bujin",
      "word": "傍若無人",
      "reading": "ぼうじゃくぶじん",
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      "meaning": "まるで周りに誰もいないかのように、勝手気ままに振る舞うこと。",
      "origin": "『史記』刺客列伝に出る一節が原典で、原文の表記は「旁若無人」。舞台は戦国末の燕である。のちに太子丹の命を受けて秦王政（のちの始皇帝）の暗殺に向かう荊軻は、それ以前、筑（ちく）の名手だった高漸離と市中で日々酒を飲んでいた。精選版日本国語大辞典が引く原文は「高漸離筑を撃ち、荊軻和して市中に歌い、相楽しむなり。已にして相泣き、旁ら人無きが若き者なり」。高漸離が筑を鳴らし、荊軻がそれに和して歌い、興が乗れば二人で泣きもする——その様子を司馬遷は「傍らに人無きが若し」と描いた。つまり原典では、他人への非難というより、世間の目を意に介さない豪放さの描写に近い。日本での用例は古く、精選版日本国語大辞典は『中右記』保安元年（一一二〇）七月二十二日条の「天下の権威傍若無人なり」を初出に挙げ、『太平記』巻十（一四世紀後半）にも「傍若無人の振舞」と見える。日本語では早い段階から、他人を顧みない振る舞いを咎める語のほうに定着した。",
      "originSource": "『史記』刺客列伝（原文は「旁若無人」。荊軻と高漸離の逸話）／日本での初出用例は『中右記』保安元年（一一二〇）七月二十二日条（精選版日本国語大辞典）",
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    {
      "slug": "chi-ni-hatarakeba",
      "word": "智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。",
      "reading": "ちにはたらけばかどがたつ。じょうにさおさせばながされる。いじをとおせばきゅうくつだ。",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "理屈で押し通せば人と衝突し、情に乗れば流され、意地を通せば窮屈になる——どう構えても人の世は住みにくい、という認識を三つ並べた一節。夏目漱石の小説『草枕』の冒頭として知られる。",
      "origin": "夏目漱石『草枕』の冒頭。1906年（明治39年）9月に雑誌『新小説』へ発表され、翌1907年1月に作品集『鶉籠』（春陽堂）に収められた。「山路を登りながら、こう考えた。」に続けてこの三句が置かれ、「とかくに人の世は住みにくい。」で受ける形になっている。語り手は山道を登る画工で、旅先へ向かう道すがらの思案という設定である。「棹させば」の「棹さす」は舟を竿で押して流れに乗せることを指す語で、漱石もその意味で使っている。なお慣用句「流れに棹さす」については、本来と逆の「流れに逆らう」の意味で理解している人が6割を超えるという文化庁「国語に関する世論調査」（平成18年度）の結果があり、意味を言い添えるときは注意したい。『草枕』は漱石の言う「非人情」——利害や情実を離れた眼で世界を眺める境地——を描いた作品で、この三句は、その境地に至る手前で住みにくさを三つの角度から並べたものにあたる。嘆きの言葉として引かれることが多いが、原文はこの直後に、住みにくさが高じて引っ越したところでどこも住みにくいと悟ったとき、そこに詩が生まれ画が生まれる、と続く。住みにくさそのものを芸術の出発点に据える文脈の中にある一節である。",
      "originSource": "夏目漱石『草枕』冒頭（1906年〈明治39年〉9月『新小説』初出／1907年1月『鶉籠』春陽堂 所収）",
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      "slug": "chikou-goitsu",
      "word": "知行合一",
      "reading": "ちこうごういつ",
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      "meaning": "知識として知っていることと実際の行いは本来一つであり、知ったことは行動に移してこそ意味があるという考え方を表す言葉。中国明代の思想家・王陽明が説いた陽明学の中心的な教え。",
      "origin": "中国明代の思想家・王陽明（おうようめい、1472〜1529年）が説いた陽明学の中心命題。門人が師の言行を筆録した『伝習録』巻上に「知是行的主意、行是知的功夫、知是行之始、行是知之成」（知は是れ行の主意、行は是れ知の功夫、知は是れ行の始めにして、行は是れ知の成るなり）とある。知は行いの目当てであり、行いは知を実らせる工夫である、知ることは行いの始まりで、行うことで知が完成する、という趣旨である。当時の主流であった朱子学が「まず万物の理を窮め、それから実践に向かう」（知先行後）と説いたのに対し、王陽明は知ることと行うことは同じ心の良知から発する分けられない働きだと主張した。知っていながら行わないのは、まだ本当に知ってはいない、という立場である。日本では江戸初期の中江藤樹や大塩平八郎が受け継ぎ、幕末の志士たちにも影響を与えたとされる。",
      "originSource": "王陽明『伝習録』巻上（王陽明の言行を門人が筆録した語録）",
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      "word": "竹馬之友",
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      "meaning": "竹馬に乗って一緒に遊んだ幼い頃からの、古くからの友人。",
      "origin": "『晋書』殷浩伝に見える、東晋の桓温と殷浩の故事に基づく。二人は若い頃から並び称されたが、桓温は内心で殷浩と張り合っていた。殷浩が北伐に失敗して官位を奪われ庶人に落とされたのち、桓温は人々に「幼い頃、殷浩と一緒に竹馬で遊んだが、私が乗り捨てた竹馬を殷浩はいつも拾って使っていた。だから彼が私の下に立つのは当然だ」という意味のことを語ったという。つまり原典では、幼なじみを懐かしむ話ではなく、自分の優位を示すために相手の幼い頃を持ち出した話である。ここでいう「竹馬」は、日本で足を乗せて歩く竹馬ではなく、竹の棒にまたがって馬に見立てる子どもの遊び道具を指す（故事成語を知る辞典）。日本では否定的な含みが落ち、幼い頃から親しくしている友人の意で定着した。精選版日本国語大辞典は雑俳『軽口頓作』（一七〇九年）の用例を挙げ、近代では太宰治『走れメロス』（一九四〇年）の「メロスには竹馬の友があった」がよく知られる。",
      "originSource": "『晋書』殷浩伝",
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      "slug": "chinshi-mokkou",
      "word": "沈思黙考",
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      "meaning": "言葉を発せず、静かに深く考えにふけること。",
      "origin": "出典は特定されていない。四字熟語辞典もコトバンク収録の各辞典も、この四字に典拠となる書名を挙げていない。「沈思」（深く考え込むこと）と「黙考」（黙って考えること）という、それぞれ独立して使われてきた二字熟語を重ねた形である。二つとも声に出さずに考えるという同じ方向を向いており、重ねることで意味が加わるというより、同じことを二度言って強めている。日本語としての使用例は近代に確認できる。精選版日本国語大辞典は坪内逍遙『内地雑居未来之夢』（一八八六年）の「沈思黙考に余念なきは、憂ふる所あるもののごとし」を引き、『四字熟語を知る辞典』は長谷川四郎「可小農園主人」（一九五三年）の用例を挙げる。逍遙の一文が示すとおり、この語は早い時期から、黙って考え込む人を外から見た描写として使われてきた。中国の故事に由来する四字熟語が多いなかで、文章語として組み立てられた側に属する語である。",
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      "word": "塵も積もれば山となる",
      "reading": "ちりもつもればやまとなる",
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      "meaning": "小さなちりでも積み重なれば、やがて山のように大きなものになるということわざ。わずかな努力や行動でも、根気強く続ければ大きな成果になるという教え。",
      "origin": "仏教論書『大智度論』に由来する。『大智度論』は二〜三世紀のインドの僧・竜樹（ナーガールジュナ）の著とされる注釈書で、複数の国語辞典・故事成語辞典がその巻九十四（四諦品）の一節をこのことわざの出典として挙げる。原典で説かれているのは、微細な塵でも積み上げれば山となり、いったん山になってしまえば動かすことが難しい、という趣旨で、積み重なったものの動かしがたさのほうに力点がある。日本では『古今和歌集』の序にほぼ同じ趣旨の記述が見られ、現在の形で日常的に使われるようになったのは江戸時代とされる。小さな努力をはげます言葉として使われるのは後年に広まった用法で、原典の文脈が善い積み重ねだけを指しているわけではないという解説もある。",
      "originSource": "『大智度論』巻九十四（四諦品）",
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    {
      "slug": "chototsu-moushin",
      "word": "猪突猛進",
      "reading": "ちょとつもうしん",
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      "meaning": "周囲を顧みず、目標に向かって一心にまっすぐ突き進むことを表す言葉。勢いや行動力の強さを表す一方、慎重さに欠ける様子を指して使われることもある。",
      "origin": "一つの原典に遡る成語ではなく、「猪突」と「猛進」という別々の語が組み合わされた表現とされる。「猪突」は『漢書』食貨志に見える「豬突豨勇」に由来する。前漢末の王莽が、囚人や奴隷などを集めて編成した軍勢に付けた名で、猪のように突進する勇猛な部隊という意味合いだった。「猛進」については、仏典『無量寿経』の「勇猛精進」に由来するという説明が『成語大辞苑』にある（国立国会図書館レファレンス協同データベースの回答による）。四字熟語として組み合わされた形がいつ成立したかを示す資料は確認できていない。なお「猪突」の元となった語は部隊の名であって、後先を考えないという現在の含みは、日本語で使われるなかで加わったものと考えられる。",
      "originSource": "『漢書』食貨志（「豬突豨勇」）",
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    {
      "slug": "chuuya-kenkou",
      "word": "昼夜兼行",
      "reading": "ちゅうやけんこう",
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      "meaning": "昼も夜も休まず、休みなく物事を続けること。",
      "origin": "『三国志』呉書・呂蒙伝に見える「昼夜兼行」に由来するとされる。呉の呂蒙が関羽の隙を突こうとしたとき、公安を発って昼夜兼行で軍を進め、備えの薄かった江陵を急襲したという記述である。「兼行」はもともと一日で通常の二日分の道のりを進むことを指し、「昼夜兼行」は昼も夜も止まらずに強行軍を続けるという軍事の語だった。なお近い表現として『孫子』軍争篇の「倍道兼行」を挙げる資料もあるが、こちらは四字の形が異なる。現在は戦の文脈を離れ、休みなく作業や努力を続ける意味で使われる。",
      "originSource": "『三国志』呉書・呂蒙伝",
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    {
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      "word": "断金之交",
      "reading": "だんきんのまじわり",
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      "meaning": "心を一つにした二人の力は、硬い金属さえも断ち切るほど強いという、極めて固い友情。",
      "origin": "「断金」という比喩は『易経』繋辞上伝に遡る。同伝は同人の卦の一節を引いたうえで、「子曰く、君子の道は、或いは出で或いは処り、或いは黙し或いは語る。二人心を同じくすれば、其の利きこと金を断つ。同心の言は、其の臭蘭の如し」と記す。心を同じくする二人は、金属さえ断ち切るほどの鋭さを持つという意味で、中国の成語辞典はこの一節を「断金之交」の出典とする。同じ一節の「金」と「蘭」を合わせたのが「金蘭の契り」で、精選版日本国語大辞典はその項でこの原文を引いている。一方、「断金の契り」の形については、デジタル大辞泉と精選版日本国語大辞典が『水経注』を出典に挙げており、四字の形がどの文献で成立したかは辞典によって示し方が異なる。日本での受容は古く、精選版日本国語大辞典は最澄の書簡を集めた『伝教大師消息』（八二四〜八三一年ごろ）の「何忽然忘断金契」を用例に挙げる。",
      "originSource": "『易経』繋辞上伝（「断金の契り」の形は『水経注』を出典とする辞典もある）",
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      "slug": "dokuritsu-doppo",
      "word": "独立独歩",
      "reading": "どくりつどっぽ",
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      "meaning": "他人に頼らず、自分自身の考えと力で物事を進めていくことを表す言葉。周囲に流されず、自分の信じる道を歩む姿勢を示す。",
      "origin": "この四字熟語の出典は特定されていない。典拠となる原典を示す辞書は確認できず、成立の経緯を記した資料も見当たらない。「独立」（他に頼らずに立つこと）と「独歩」（ひとりで歩く。転じて、自分の力で事を行う、また並ぶものがない）を重ねた表現である。日本語の文献での早い使用例としては、福沢諭吉『福翁自伝』（1899年）に「人間万事無頓着と覚悟を定めて、唯独立独歩と安心決定したから」とあり（『精選版 日本国語大辞典』）、明治期の自立・自助を説く言説のなかで用いられていたことがわかる。「独歩」の語そのものを禅籍に由来するとする解説も見られるが、四字熟語「独立独歩」の典拠をそこに求められる資料は確認できていない。",
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        "努力・継続",
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      "slug": "doukan-kyouku",
      "word": "同甘共苦",
      "reading": "どうかんきょうく",
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      "meaning": "楽しいときも苦しいときも、共に分かち合って過ごすこと。",
      "origin": "出典は辞典によって示し方が分かれる。漢典など中国の辞典と四字熟語辞典オンラインは『戦国策』燕策一を挙げる。斉に敗れた燕を継いだ昭王が人材を集めて国を建て直す話の結びに「燕王、死を弔い生を問い、百姓と其の甘苦を同じくす」とあり、二十八年の後に燕は富み、兵は戦を厭わなくなったと続く。ただしこの原文に四字の形は現れず、漢典は同じ一節を「甘苦与共」の出典にも当てている。一方、台湾・教育部の成語典は『戦国策』に触れず、『五代史平話』唐史巻下の「毎に士卒と同甘共苦す、故に能く軍心を得たり」を書証とする。こちらは四字がそのまま現れる例で、後梁の王彦章に攻められた楊劉城を守った李周が兵と苦楽を共にしたため、兵が死力を尽くして離れなかったという記述である。原典はいずれも君主と民、将と兵という上下のある関係を指しており、対等な仲間や夫婦に使うのは後の用法にあたる。",
      "originSource": "『戦国策』燕策一（四字の形が現れる書証は『五代史平話』唐史巻下。辞典により示し方が分かれる）",
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    {
      "slug": "douki-soukyuu",
      "word": "同気相求",
      "reading": "どうきそうきゅう",
      "pillar": "yoji-jukugo",
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      "meaning": "気性や価値観の似た者同士は、自然と引き寄せ合って集まるということ。",
      "origin": "出典は『易経』乾卦の文言伝。「同声相応じ、同気相求む」（同じ響きの声は互いに応じ合い、同じ気を持つ者は互いに求め合う）という一節に基づく。文言伝は『易経』の解説部分にあたる十翼の一つで、伝統的に孔子の言葉として伝えられてきたが、実際の成立時期や著者については諸説がある。原文はこの句に続けて「水は湿へ流れ、火は燥に就く」（水は湿ったところへ流れ、火は乾いたところへ燃え移る）と自然の理を並べ、聖人が現れれば万物がこれを仰ぐ、という文脈で語られる。日本語では「類は友を呼ぶ」に近い意味で使われるが、原典の文脈では、単に似た者が集まるという以上に、呼び合うこと自体が自然の理であると説いた言葉である。",
      "originSource": "易経（乾卦・文言伝）",
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      "slug": "doukoku",
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      "reading": "どうこく",
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      "meaning": "悲しみに耐えきれず、声をあげて泣き伏すこと。涙が出るという段階を越えて、体ごと持っていかれるような泣き方を指す。",
      "origin": "精選版日本国語大辞典は「慟哭」の項に、日本での早い所出として色葉字類抄（一一七七〜八一年）を挙げ、漢籍の参照文献として李白「古風」其五十四を挙げる。李白のその詩は「晋風日已頽、窮途方慟哭」（晋の気風は日々衰え、行きづまった果てにようやく慟哭する）と結ばれ、追いつめられて声をあげて泣く文脈で二字が使われている。日本語の実例としては島崎藤村『破戒』（一九〇六年）の「声を揚げて慟哭したいとも思った」が挙がる。よく引かれる論語との関係は、二字熟語そのものではなく「慟」の字の側にある。論語先進篇に「顔淵死、子哭之慟。従者曰、子慟矣」——顔淵が死に、孔子はこれを哭して慟した、供の者が「先生は慟しておられます」と言った——とあり、普及版字通はこの条を「慟」の項に引いて、肉親でなければ哭するのが礼であった、と注する。慟は説文新附に「大いに哭するなり」とあり、字通は弔問のとき声をあげ、身をふるわせて泣くことと説明する。哭も声をあげて泣く意なので、近い意味の字を重ねて泣き方の深さを示した語ということになる。",
      "originSource": "色葉字類抄（一一七七〜八一年）および李白「古風」其五十四「晋風日已頽、窮途方慟哭」（いずれも精選版日本国語大辞典が「慟哭」の項に所出・参照文献として挙げる。李白の句は維基文庫『古風』で確認）／「慟」の字については『論語』先進「顔淵死、子哭之慟。従者曰、子慟矣」（普及版字通が「慟」の項に引き、中国哲学書電子化計画の論語先進篇本文でも確認）",
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      "word": "同心協力",
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      "meaning": "皆が心を一つにして、力を合わせて物事に取り組むこと。",
      "origin": "中国の史書に見える表現だが、典拠は資料によって食い違い、一つに特定されていない。『梁書』王僧弁伝の一節を挙げるものと、『魏書』爾朱天光伝を挙げるものがあり、どちらか一方に確定させる根拠は確認できなかった。『魏書』は六世紀半ば、『梁書』は七世紀前半に編まれた中国の正史で、いずれにせよこの言い回しが古くから史書の文章に用いられてきた語であることはうかがえる。「同心」は心を同じくすること、「協力」は力を合わせることで、意味の近い二語を重ねて結束を強調した形になっている。",
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    {
      "slug": "enji-shinkon",
      "word": "燕爾新婚",
      "reading": "えんじしんこん",
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      "meaning": "結婚したばかりの、幸せに満ちた甘い新婚生活。",
      "origin": "語のもとは『詩経』邶風「谷風」の「宴爾新昏、如兄如弟」（おまえは新しい妻との暮らしを楽しみ、兄弟のように睦まじくしている、の意）。「宴」は「燕」と通じて安らかに楽しむ意、「昏」は「婚」の古い表記である。ただし原詩は新婚を祝う歌ではなく、夫に捨てられた妻が、夫が新しい妻と仲よく暮らすさまを恨んで詠んだ歌で、この句は詩の中で繰り返し現れる。後世はこの句を本来の恨みの文脈から切り離し、意味を転じて新婚を祝う言葉として用いるようになった。「新婚燕爾」の語順では元の王実甫『西廂記』や明の葉憲祖『鸞鎞記』に用例がある（台湾教育部『成語典』）。日本の主要な国語辞典には見出しを確認できず、四字熟語の一覧類に収められている語である。",
      "originSource": "『詩経』邶風「谷風」",
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      "slug": "enjuku",
      "word": "円熟",
      "reading": "えんじゅく",
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      "meaning": "経験を積み重ね、人格・知識・技芸が角の取れた深みに達すること。",
      "origin": "特定の故事に由来する語ではない。精選版日本国語大辞典は「円熟」の項に漢籍の出典として『図絵宝鑑』賞鑒を挙げる。図絵宝鑑は元の夏文彦が編んだ画人伝で、至正二十五年（一三六五年）の序を持ち、巻一に絵の見方を論じた「賞鑒」の項がある。もとは絵の批評の語彙として使われていたことになる。同辞典の語義は「人格、知識、技芸などが十分に発達して、豊かな内容をもつこと」、普及版字通は「熟達する」とする。日本語の文献での早い例は同辞典が引く『白石先生手簡』（一七二五年頃）八の「数回吟翫候処に、皆々円熟少も存寄無之候」——何度も口ずさんでみたが、どれも円熟していて申し分ない——で、新井白石が寄せられた詩文を評した書簡である。明治以降は夏目漱石『野分』（一九〇七年）六の「円熟して深厚な趣味を体して」のように、人格や趣味の深さを言う語として使われた。字の側では、「円」は旧字「圓」で欠けたところのないまるさを表す。角がなく満ちているという字義が「熟」と組み、練れて丸みを帯びた状態を指す語になっている。",
      "originSource": "『図絵宝鑑』賞鑒（精選版日本国語大辞典が「円熟」の項に漢籍出典として挙げる。図絵宝鑑は元・夏文彦編、至正二十五年序）／同項の用例『白石先生手簡』（一七二五年頃）八",
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      "word": "会者定離",
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      "meaning": "出会った者は、いつか必ず別れる運命にあるということ。",
      "origin": "出典は『遺教経』の「世皆無常、会必有離」（世は皆無常なり、会うものには必ず離れることが有る）（精選版 日本国語大辞典・四字熟語を知る辞典）。仏教の無常観を述べた句で、出会った者はいつか必ず別れるという定めを言う。本来は「生者必滅（しょうじゃひつめつ）会者定離」と続けて一つの句をなし、命あるものは必ず滅び、会った者は必ず離れる、という対で説かれる。日本語の用例としては『平家物語』巻十の「生者必滅、会者定離はうき世の習にて候也」が古くから知られ（精選版 日本国語大辞典）、近代では石川達三『風にそよぐ葦』（一九四九〜五一年）にも見える（四字熟語を知る辞典）。",
      "originSource": "『遺教経』",
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      "word": "Every cloud has a silver lining.",
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      "meaning": "「どんな雲にも銀の裏地がある」という意味の英語のことわざ。つらい状況のただ中にも、見つけられる良い面があるという見方を表す。「銀の裏地」という比喩は17世紀の詩人ジョン・ミルトンに遡るが、ことわざの形で定着したのは19世紀のことである。",
      "origin": "比喩の出どころはジョン・ミルトンの仮面劇『コーマス』（1634年）の一節「Was I deceiv’d, or did a sable cloud / Turn forth her silver lining on the night?」（見間違いだろうか、黒い雲がその銀の裏地を夜に向けたのは）で、雲の縁が月光で銀色に光るさまを描いたものである。ミルトンが書いたのは情景の描写であって、ことわざそのものではない。現在の形に近い言い方が印刷物に現れるのは19世紀に入ってからで、1840年の The Dublin Magazine に載った書評には「there’s a silver lining to every cloud that sails about the heavens if we could only see it」（空を渡るどの雲にも銀の裏地はある、見ることさえできれば）という一節がある。1850年代以降、英米の新聞で頻繁に使われるようになり、ことわざとして定着した。比喩を作ったのはミルトンだが、格言としての形は後の時代に約200年かけて固まったものである。",
      "originSource": "ジョン・ミルトン『コーマス』（1634年）の \"silver lining\" の比喩／ことわざとしての形は19世紀の英語圏で定着（The Dublin Magazine 1840年ほか）",
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    {
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      "word": "Fortune favors the bold.",
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      "meaning": "「幸運は勇者に味方する」という意味の英語の格言。恐れずに思い切った行動を取る者にこそ、幸運やチャンスが訪れるという考え方。古代ローマの詩人ウェルギリウスの叙事詩『アエネイス』に由来するとされるラテン語の格言の英訳。",
      "origin": "ラテン語の格言の英訳で、同じ趣旨の表現が古代ローマに複数の形で残っている。早い例の一つは、共和政ローマの喜劇作家テレンティウス（紀元前2世紀）の喜劇『ポルミオ』に出てくる「fortes fortuna adiuvat」（運命の女神は勇敢な者を助ける）。現在よく引かれる「audentis fortuna iuvat」（大胆な者を運命の女神は助ける）は、ウェルギリウスの叙事詩『アエネイス』第10巻で、アエネアスの敵役トゥルヌスが放つ言葉として現れる。さらに小プリニウスの書簡には、79年のヴェスヴィオ火山噴火のさなか船で現地へ向かった伯父の大プリニウスが、この言葉を口にしたという記述がある。英語の「Fortune favors the bold.」はこれらラテン語表現の訳として広まったもので、どの原文の訳が定着の起点になったかを特定できる資料は確認できていない。bold の代わりに brave を用いる形も同じように使われる。",
      "originSource": "ウェルギリウス『アエネイス』第10巻（audentis fortuna iuvat）／テレンティウス『ポルミオ』（fortes fortuna adiuvat）",
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      "word": "不易流行",
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      "meaning": "時代が変わっても変わらない本質（不易）と、その時々で移り変わる新しさ（流行）とを、対立させずに根本で一つのものとして捉える考え方。江戸時代の俳人・松尾芭蕉が俳諧の理念として説いたとされる。",
      "origin": "松尾芭蕉が俳諧の理念として説いたとされるが、芭蕉自身の書き残したものに「不易流行」の語が確認できるわけではなく、門弟の記録を通じて伝わっている。向井去来の『去来抄』（1702〜04年頃成立）には「蕉門に千歳不易の句、一時流行の句と云ふ有り。是を二つに分けて教へ給へる。其の元は一つ也」とあり、服部土芳の『三冊子』には「師の風雅に、万代不易あり、一時の変化あり。この二つにきはまり、その本一つなり」と記される。ブリタニカ国際大百科事典は、元禄2年（1689年）の『おくのほそ道』の旅の後、その年の冬頃から芭蕉が門人に説き始めたとする。一方で日本大百科全書は、晩年の芭蕉が提起したものとしつつ、芭蕉自身が直接説いた例は見当たらないと注記しており、いつ誰にどう説かれたのかは確定していない。「不易」は時代を超えて変わらないもの、「流行」はその時々で移り変わるものを指すが、この語の要は二つを並べたことではなく、両者の根本は一つだと言い切った点にある。『三冊子』はその一つを「風雅の誠」と呼ぶ。",
      "originSource": "向井去来『去来抄』（1702〜04年頃成立）／服部土芳『三冊子』。芭蕉自身の著作には語が確認されない",
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      "word": "不屈",
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      "meaning": "どんな困難や圧力にあっても意志を曲げず、くじけないこと。「屈」は身をかがめて従うことを表す字で、それを打ち消して「屈しない」と読む。単独よりも「不屈の精神」「不屈の闘志」のように後ろに名詞を続ける形で使われることが多い。",
      "origin": "出典は特定されていない。この二字が特定の故事や人物の言葉から生まれたことを示す資料は確認できない。ただし語としては漢籍にさかのぼり、精選版日本国語大辞典は「不屈」の項に『晉書』王長文伝の用例を挙げる。「屈」はもともと身をかがめる・折れ従うことを表す字で、それを「不」で打ち消したのがこの語である。日本語の文献での早い実例として同辞典が挙げるのは国木田独歩『わかれ』（1898年）の「渠が不屈（フクツ）の性と天稟の才とを以てしては」で、明治期には人物評の語として通用していたことが分かる。四字熟語「不撓不屈」の後半にあたる語としても知られ、そちらは『漢書』叙伝下が前漢の王商（楽昌侯）を「楽昌篤実、不撓不屈」と評した一節に由来する。ただし二字の「不屈」と四字熟語のどちらが先かを示す資料は確認できなかった。二字で掲げるときは、特定の故事を背負った語としてではなく、「屈しない」という否定形そのものが持つ強さを掲げていると捉えるのが正確である。",
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    {
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      "word": "刎頸之交",
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      "meaning": "相手のためなら首をはねられても悔いはないと思えるほどの、非常に深く厚い友情。",
      "origin": "『史記』廉頗藺相如列伝に見える、紀元前三世紀、戦国時代の趙の将軍・廉頗と藺相如の故事に基づく。廉頗は「自分には城を攻め野で戦った大功があるのに、藺相如は口先の働きだけで自分より上の位にいる」と恥じ、「相如を見かけたら必ず辱めてやる」と公言した。藺相如は病と称して朝廷での同席を避け、道で廉頗を見かけると車を引いて隠れた。これを情けなく思う家臣たちに対し、藺相如は、強国の秦が趙に兵を向けないのは自分と廉頗の二人がいるからであり、二頭の虎が争えばどちらも生き残れない、自分が退くのは「国家の急を先にして私讎を後にする」ためだと説いた。これを伝え聞いた廉頗は、上半身をあらわにして荊（いばら）を背負い、藺相如の門を訪ねて罪を謝した。こうして二人は「卒に相与に驩しみ、刎頸の交はりを為す」と記される。「刎頸」は首をはねることで、相手のためなら首をはねられても悔いがないほどの交わりを意味する。日本では『漢書列伝竺桃抄』（一四五八〜六〇年）に用例があり（精選版日本国語大辞典）、山本周五郎『樅の木は残った』にも使われている（故事成語を知る辞典）。",
      "originSource": "『史記』廉頗藺相如列伝",
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    {
      "slug": "funkotsu-saishin",
      "word": "粉骨砕身",
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      "meaning": "骨を粉にし身を砕くほどの覚悟で、力の限り懸命に努力すること。",
      "origin": "仏教、とくに禅の文脈で古くから使われてきた表現。中国唐代の僧・永嘉玄覚の作と伝えられる『証道歌（永嘉証道歌）』に「粉骨砕身も未だ酬ゆるに足らず、一句了然として百億を超ゆ」の句があり、骨を粉にし身を砕くほど尽くしてもなお受けた恩には報いきれない、という文脈で用いられている（証道歌の作者については後世に異説もある）。日本語の用例としては、精選版日本国語大辞典が道元『正法眼蔵』面授（1231〜53年）の「その粉骨砕身、いく千万変といふことをしらず」を挙げる。一方、唐代の伝奇小説『霍小玉伝』を出典とする四字熟語辞典もあり、どの文献を出典と見るかは辞典によって一定しない。いずれにせよ、身を犠牲にしてでも尽くすという仏教的な献身の語感が元にある。",
      "originSource": "『永嘉証道歌』／道元『正法眼蔵』面授（日本語の早い用例）",
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      "word": "奮励努力",
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      "meaning": "気力を奮い立たせて、力の限り努力すること。",
      "origin": "四字熟語としての出典は特定されていない。中国古典の一節を典拠に挙げる資料は確認できず、故事に結びつける記録も見当たらない。「奮励」は気力を奮い立たせて努めること、「努力」は目的に向けて力を尽くすことで、意味の近い二語を重ねて強めた形と考えられる。この語が広く知られる背景には、1905年（明治38年）の日本海海戦で連合艦隊がZ旗とともに掲げた信号文「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ 各員一層奮励努力セヨ」がある。この一文は連合艦隊参謀・秋山真之の起草によるとされ、以後この語は号令調の力強い響きをともなって記憶されてきた。ただしこれは語の出典ではなく、語が広まった経緯である。",
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    {
      "slug": "fushaku-shinmyou",
      "word": "不惜身命",
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      "meaning": "自分の身や命を惜しまず、全力を尽くして物事に取り組む姿勢を表す言葉。仏教語に由来し、強い覚悟を持って事にあたる決意を示す際に使われる。",
      "origin": "仏教語で、『法華経』に見える表現に由来する。デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典はいずれも譬喩品第三を出典として挙げ、また如来寿量品第十六には「不自惜身命」（自ら身命を惜しまず）の形で現れる。どちらも、仏道を求め法を弘めるためであれば自分の身も命も惜しまない、という意味で用いられている。日本語の用例としては、精選版日本国語大辞典が咄本『醒睡笑』（1628年）の「いかなる不惜身命の行者なれば、此の仏閣には住める」を挙げる。対になる語に「可惜身命（あたらしんみょう）」があり、こちらは身命を惜しみ大切にすることを指す。宗教的な文脈を離れて、強い覚悟を示す言葉として一般にも使われるようになった。",
      "originSource": "『法華経』譬喩品第三／如来寿量品第十六（「不自惜身命」）",
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    {
      "slug": "fushou-fuzui",
      "word": "夫唱婦随",
      "reading": "ふしょうふずい",
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      "meaning": "夫が言い出したことに妻が寄り添い従うように、夫婦が息を合わせて仲良く暮らすこと。",
      "origin": "日本の辞書が出典として挙げるのは『関尹子』三極篇で、「天下之理、夫者倡、婦者随、牡者馳、牝者逐、雄者鳴、雌者応」（天下の理は、夫は倡へ、婦は随ひ、牡は馳せ、牝は逐ひ、雄は鳴き、雌は応ず）とある。夫が先に唱えて妻が従うことを、動物の雄と雌のふるまいと並べ、天下の道理として述べた一節である。『関尹子』は老子に教えを請うた関所の役人・尹喜（関尹）の著と伝えられるが、現存する本は後世に作られたものとみられている。この一節は「夫者倡、婦者随」と字を隔てて並ぶ形で、「夫唱婦随」の四字がそのまま連なるのは、六世紀に梁の周興嗣が作った漢字学習書『千字文』の「上和下睦、夫唱婦随」（上和し下睦み、夫唱へ婦随ふ）の句である。一説にはこの『千字文』を出典とする解説もあり、出典は辞書によって扱いが分かれる。「夫倡婦随」とも書き、夫婦の役割を入れ替えた「婦唱夫随」という言い方も辞書に見える。",
      "originSource": "『関尹子』三極篇／『千字文』",
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    {
      "slug": "futou-fukutsu",
      "word": "不撓不屈",
      "reading": "ふとうふくつ",
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      "meaning": "どんな困難にあってもくじけず、志を曲げずに立ち向かうこと。",
      "origin": "「不撓不屈」は、中国の正史『漢書』叙伝下に由来する。前漢の人物・王商（楽昌侯）の人柄を評した「楽昌篤実、不撓不屈」（楽昌侯は誠実で情に厚く、撓まず屈せず）という記述が最初の使用例とされる。「撓」はたわむ・くじけること、「屈」は屈することを意味し、「撓まず屈せず」でどんな困難にも心が折れず、志を曲げないという強い意志を表す。この人物評から転じて、後世では逆境にあっても屈しない不屈の精神一般を指す四字熟語として使われるようになった。「不屈不撓」と語順を入れ替えた表現も見られるが、成語としては「不撓不屈」の語順が定着している。",
      "originSource": "『漢書』叙伝下",
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    {
      "slug": "garyou-tensei",
      "word": "画竜点睛",
      "reading": "がりょうてんせい",
      "pillar": "yoji-jukugo",
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      "meaning": "描いた龍の絵に最後、瞳を描き入れて完成させるように、物事を仕上げる最後の重要な仕上げ。",
      "origin": "唐の張彦遠が著した画論『歴代名画記』巻七に記された、梁の画家・張僧繇（ちょうそうよう）の逸話に由来する。張僧繇が金陵（現在の南京）の安楽寺の壁に四匹の竜を描いたが、瞳だけは描き入れなかった。理由を問われて「瞳を入れれば飛び去ってしまう」と答えたが誰も信じない。そこで二匹に瞳を描き入れたところ、たちまち雷が壁を破り、その二匹は雲に乗って天へ昇った。瞳を入れなかった二匹はそのまま壁に残っていた——という話である。ここから、全体を決定づける最後の一点を加えることを「画竜点睛」と呼ぶようになった。読みは「がりょうてんせい」が一般的だが「がりゅうてんせい」とも読まれる。日常では「画竜点睛を欠く」という否定形で、仕上げの一点が足りないために全体が生きない、という意味で使われることのほうが多い。",
      "originSource": "張彦遠『歴代名画記』巻七（張僧繇の逸話）",
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        "面白い四字熟語",
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    {
      "slug": "gashin-shoutan",
      "word": "臥薪嘗胆",
      "reading": "がしんしょうたん",
      "pillar": "yoji-jukugo",
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      "meaning": "目的を達成するために、長期間にわたり苦労や屈辱に耐えて努力を重ねること。",
      "origin": "「臥薪嘗胆」は中国春秋時代の呉と越の争いの故事に由来する。日本の四字熟語辞典は出典を『史記』越世家（越王勾践世家）と『十八史略』春秋戦国に求めている。呉王・闔閭が越王・勾践との戦いで命を落とすと、子の夫差は父の仇を忘れないよう、硬い薪の上に寝て自らに痛みを与え続けた（臥薪）。三年後、会稽山の戦いで夫差は勾践を降伏させるが、今度は敗れた勾践が会稽の恥を忘れないよう、苦い胆を寝室に置いて目覚めるたびになめ続け（嘗胆）、のちに夫差を滅ぼした。この夫差の「臥薪」と勾践の「嘗胆」を合わせたのが「臥薪嘗胆」で、どちらがどちらの行いかについては辞典の記述が一致している。なめた「胆」の正体は辞典によって揺れがあり、四字熟語を知る辞典は「熊の肝」とするが、ただ「苦い胆」とだけ記す辞典もある。もとは復讐を心に誓って苦しみに耐えることを指し、現在は目的を遂げるために長く苦労を重ねる意味にも広がっている（デジタル大辞泉は両方を併記する）。",
      "originSource": "『史記』越世家（越王勾践世家。「嘗胆」の記述）／『十八史略』春秋戦国（四字熟語としての出典として辞典が挙げる）",
      "themes": [
        "難しい四字熟語",
        "努力・継続",
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        "スポーツの目標に",
        "部活で使うとき"
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    {
      "slug": "gi-kanji",
      "word": "義",
      "reading": "ぎ",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "人として守るべき正しい道理や、筋を通す姿勢を表す一文字。損得よりも正しさを優先し、義理や信念を貫くことを重んじる価値観の象徴として使われる。",
      "origin": "一文字の「義」を座右の銘として掲げることの出典は特定されていない。特定の人物がこの一字を掲げ始めたという記録は確認できない。ただし字そのものの来歴と、この字が東アジアの思想のなかで担ってきた位置ははっきりしている。字形は「羊」と「我」から成る会意の字で、「我」はぎざぎざの刃をもつ鋸状の刃物をかたどるとされる。羊をいけにえとして刃物で整えるさまから、儀式にかなった正しいふるまいの意が生じたと説明されるが、字源の細部には諸説がある。『説文解字』は「義」を「己の威儀なり」と説き、自分の立ち居ふるまいが場にかなって整っていることを本義としている。思想の側では、儒教の五常（仁・義・礼・智・信）の一つに数えられる。孟子が仁・義・礼・智の四徳を説き、前漢の董仲舒が「信」を加えて五常の形になったとされる。五常のうち「仁」が人一般への思いやりを指すのに対し、「義」は目の前の場面で何をなすべきかという判断と行動の側を受け持つ。『論語』為政篇の「義を見て為さざるは勇なきなり」（見義不為、無勇也）は、正しいと分かっていながら動かないことを臆病と断じた一節で、この字が観念ではなく行動を問う言葉であることをよく示している。",
      "originSource": "",
      "themes": [
        "一文字の座右の銘",
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    {
      "slug": "gobi-shifuku",
      "word": "寤寐思服",
      "reading": "ごびしふく",
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      "meaning": "寝ても覚めても、片時も忘れずに相手を思い続けること。「寤」は目が覚めていること、「寐」は寝ていること、「思服」は心に思い続けることという字義を持つ。",
      "origin": "出典は『詩経』国風・周南の巻頭詩「関雎」。中国哲学書電子化計画（ctext.org）で読める本文に「求之不得、寤寐思服。悠哉悠哉、輾轉反側」——之を求むれども得ず、寤寐に思服す。悠なるかな悠なるかな、輾転反側す——とあり、ここが語の出どころである。「寤」は目覚めていること、「寐」は寝ていること、あわせて昼夜の別なくの意。「思服」は「服」が思うの意で、「思」は助字と解される。詩そのものは、川の中州で鳴く雎鳩（みさご）に始まり、荇菜（あさざ）を左右に手繰る手つきに重ねて「窈窕たる淑女は君子の好逑」——しとやかな女性こそふさわしい連れ合いだ——とうたう求愛の歌である。直前の章にすでに「寤寐に之を求む」とあり、求めても得られないまま夜通し寝返りを打つのが「寤寐思服」の章にあたる。四字熟語「輾転反側」も同じ二行から出ている。詩の末尾は琴瑟を鳴らし鐘鼓を打って迎える場面へ転じ、思いが遂げられたところで終わる。なお『毛詩序』はこの詩を「后妃の徳なり」と説き、恋の歌を為政者の徳の比喩として読む解釈が長く行われてきた。日本語では「ごびしふく」と読み、四字熟語辞典も『詩経』周南・関雎を出典として挙げる。",
      "originSource": "『詩経』国風・周南「関雎」の「求之不得、寤寐思服。悠哉悠哉、輾轉反側」（本文は中国哲学書電子化計画 ctext.org で確認）／四字熟語辞典も『詩経』周南・関雎を出典に挙げる",
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    {
      "slug": "god-helps-those-who-help-themselves",
      "word": "God helps those who help themselves.",
      "reading": "ゴッド ヘルプス ホーズ フー ヘルプ ゼムセルブズ",
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      "meaning": "「天は自ら助くる者を助く」という意味の英語のことわざ。他人任せにせず、自分自身で努力する者にこそ幸運や助けが訪れるという教え。古代ギリシャの寓話に由来するとされ、日本でも明治期に中村正直の訳書『西国立志編』を通じて広まった。",
      "origin": "この言葉を最初に述べた一人を特定することはできず、古代ギリシャに遡ることわざとされる。ぬかるみにはまった荷車の前で神に祈るだけの男に、ヘラクレスが「まず自分で車輪に手をかけよ」と告げるイソップ寓話「ヘラクレスと荷車引き」が、この考え方を伝える古い例としてしばしば挙げられる。英語で現在の形に最も近い表現が現れるのは、アルジャーノン・シドニーが1698年に著した『Discourses Concerning Government』とされ、その後ベンジャミン・フランクリンが『Poor Richard’s Almanack』（1736年）で用いたことで広く知られるようになった。聖書の言葉と受け取られることがあるが、聖書にこの一節はない。日本語の「天は自ら助くる者を助く」は、サミュエル・スマイルズが『Self-Help』（1859年）の冒頭に掲げた \"Heaven helps those who help themselves\" の訳で、中村正直が『西国立志編』（1871年）として訳出し、明治期の青年層に広く読まれたことで定着した。",
      "originSource": "アルジャーノン・シドニー『Discourses Concerning Government』（1698年）／中村正直訳『西国立志編』（1871年、サミュエル・スマイルズ『Self-Help』の翻訳）",
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        "面接で聞かれたとき",
        "ESに書くとき"
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    {
      "slug": "goetsu-doushuu",
      "word": "呉越同舟",
      "reading": "ごえつどうしゅう",
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      "meaning": "敵対する者同士でも、共通の困難や利害のためには協力し合うこと。",
      "origin": "『孫子』九地篇の一節に由来する。春秋時代、呉と越は長く争った隣国どうしで互いに憎み合っていた。孫子はそのうえで「呉の人と越の人は憎み合っているが、同じ舟に乗って川を渡るとき、途中で大風に遭えば、互いを助け合うさまは左右の手のようだ」と述べた。もとは兵法の文脈で、兵をどう一つにまとめるかを説くための比喩である。将が兵を退路のない状況に置けば寄せ集めの軍でも一体となって戦う——その理屈を示すために、憎み合う者どうしですら同じ危機の中では手を組む、という例を挙げた。この語は「仲の悪い者が同じ場に居合わせる気まずさ」を指す使い方と、「敵対する者が共通の危機のために協力する」という使い方の両方で用いられるが、出典の重心は後者にある。",
      "originSource": "『孫子』九地篇「夫呉人与越人相悪也、当其同舟而済、遇風、其相救也如左右手」",
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    {
      "slug": "gouki",
      "word": "剛毅",
      "reading": "ごうき",
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      "meaning": "意志が強く気力にあふれ、何事にも屈しない気性のこと。人柄そのものを評する語で、『論語』の「剛毅木訥、仁に近し」の一節で知られる。",
      "origin": "「剛毅」は『論語』子路篇の「剛毅木訥、仁に近し」に見える語で、字書『字通』も「剛毅」の項にこの一節を引く。「剛」は強くて折れないこと、「毅」は決断してくじけないことを表し、二字を重ねて意志の強さと気力の充実を言う。精選版日本国語大辞典は『荀子』非十二子篇にも言及したうえで、日本語の文献での早い実例として『家伝』（760年頃）の「山田臣の人と為りを察するに、剛毅果敢にして威望も亦た高し」を挙げており、奈良時代にはすでに人物評の語として使われていたことが分かる。江戸期の『集義和書』（1676年頃）には「常の武士のやうに剛毅（ガウキ）にもなく、〈略〉静なる体なり」と、剛毅でないことを述べる用例もあり、武士に期待される気質を指す語として通用していたことがうかがえる。なお『論語』の一節は「仁に近し」であって「仁である」とは言っていない。剛毅それ自体が徳の完成なのではなく、仁へ向かう素地として評されている点は、掲げるときに押さえておきたい。",
      "originSource": "『論語』子路第十三「剛毅木訥、近仁」",
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    {
      "slug": "gouki-bokutotsu",
      "word": "剛毅木訥",
      "reading": "ごうきぼくとつ",
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      "meaning": "意志が強く飾り気がなく、口数は少ないが誠実な人柄を表す言葉。『論語』で孔子が仁に近いと評したことで知られる。",
      "origin": "『論語』子路篇に見える孔子の言葉「剛毅木訥、仁に近し」に由来する。剛（意志が強いこと）・毅（決断してくじけないこと）・木（飾り気がなく質朴なこと）・訥（口下手で言葉数が少ないこと）という四つの資質を並べ、そうした人柄は仁——孔子が説いた最上の徳——に近い、と評した一節である。この評価は、同じ『論語』の学而篇・陽貨篇に置かれた「巧言令色、鮮なし仁」（言葉を飾り顔つきを取り繕う者に仁は少ない）と対をなしている。弁が立つことや如才なさではなく、飾らず口数の少ない実直さのほうを仁に近いものとして置いたところに、この語の主張がある。なお孔子は「仁に近し」と言ったのであって「仁である」とは言っていない。剛毅木訥それ自体が徳の完成なのではなく、仁へ向かう素地として評されている点は、この語を掲げるときに押さえておきたい。",
      "originSource": "『論語』子路第十三「剛毅木訥、近仁」",
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        "ESに書くとき"
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      "word": "剛毅果断",
      "reading": "ごうきかだん",
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      "meaning": "意志が強く、迷わず思い切った決断を下せる様子を表す言葉。困難な場面でも臆せず決断し、行動に移す力強さを表す。",
      "origin": "四字熟語としての出典は特定されていない。『四字熟語を知る辞典』は「剛毅」＝意志が強く気力にあふれ容易に屈しないこと、「果断」＝思い切って事を行うこと、と二語の語義を説明するにとどまり、四字が最初に現れた文献は挙げていない。ただし二字ずつの出どころははっきりしている。「剛毅」は『論語』子路篇の「剛毅木訥、仁に近し」に見え、意志が強く飾らない人柄を指す。「果断」は『書経（尚書）』周官篇の「爾（なんじ）卿士を戒む、功の崇きは惟れ志、業の広きは惟れ勤、惟れ克く果断なれば、乃ち後艱（こうかん）罔（な）し」に見え、思い切って決めることができれば後の憂いはない、という文脈で用いられている。この二語を重ねて、強い意志と決断の思い切りのよさを併せ持つ様子を表す言葉として定着したと考えられるが、成立の時期や最初の使用者を特定する資料は確認できない。",
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    {
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      "word": "豪胆",
      "reading": "ごうたん",
      "pillar": "yoji-jukugo",
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      "meaning": "危険や困難を前にしても動じない、据わった度胸のこと。恐れないことそのものを指し、意志を通し続けることには触れない。「剛胆」とも書く。",
      "origin": "出典は特定されていない。この語を特定の故事や人物の言葉に結びつける資料は確認できず、辞書も語義を示すにとどまる。デジタル大辞泉は「度胸がすわっていて、ものに動じないこと。肝が太いこと」とし、字書『字通』は端的に「大胆」と釈する。字の組み合わせとしては、「豪」（すぐれて強い・並外れた）に「胆」（きも）を重ねたもの。「胆」を度胸の意で用いるのは「肝が据わる」「胆力」と同じ発想で、内臓に気力の座を見る古い言葉づかいによる。表記は「豪胆」「剛胆」の両方が辞書に見出しとして立てられており、どちらも同じ語として扱われる。掲げる場で表記を選ぶなら、どちらか一方に統一しておきたい。",
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    {
      "slug": "hakyou-juuen",
      "word": "破鏡重円",
      "reading": "はきょうじゅうえん",
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      "meaning": "一度離れ離れになった夫婦や恋人が、再びめぐり会って結ばれること。",
      "origin": "唐の孟棨がまとめた『本事詩』に載る、徐徳言と楽昌公主の話に由来する。南朝陳の皇太子に仕えた徐徳言は、陳が隋に滅ぼされるのを目前にして、妻である楽昌公主と離ればなれになることを覚悟した。そこで家宝の鏡を二つに割り、片方を妻に持たせ、「生き延びたら来年の正月十五日に都の市で鏡を売りに出せ」と言い残して別れる。陳は滅び、公主は隋の宰相・楊素のもとに引き取られた。約束の日、市に出た徐徳言は、割れた鏡の片割れが法外な値で売られているのを見つけ、自分の半分と合わせて詩を書きつけた。「鏡は人と倶に去り、鏡は帰るも人は帰らず」と嘆じたその詩を読んだ公主が泣き暮らし、事情を知った楊素が二人を引き合わせて江南へ帰したという筋である。割れた鏡が再び円くなる、という字義がそのまま結末を指している。なお、この逸話は説話の類であり、史実としての裏づけには疑問があるとされる。",
      "originSource": "唐・孟棨『本事詩』（宋代の類書にも引かれる）",
      "themes": [
        "恋愛の四字熟語",
        "難しい四字熟語"
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    {
      "slug": "hayaoki-wa-hito-wo-kenkou-ni",
      "word": "早起きは人を健康に、裕福に、賢明にする",
      "reading": "はやおきはひとをけんこうに、ゆうふくに、けんめいにする",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
      "crossPillar": false,
      "meaning": "「早寝早起きは人を健康にし、豊かにし、賢くする」という意味の英語のことわざ \"Early to bed and early to rise, makes a man healthy, wealthy, and wise\" の訳。生活のリズムを整えることが、健康にも成果にも判断力にもつながるという見方を表す。",
      "origin": "英語圏に古くからあることわざで、特定の一人が作った言葉ではない。ベンジャミン・フランクリンが1735年版の『Poor Richard’s Almanack（貧しいリチャードの暦）』に収めたことでアメリカで広く知られるようになり、そのため「フランクリンの言葉」として紹介されることが多いが、フランクリン自身の創作ではない。現在とほぼ同じ形は、それより約100年早いジョン・クラーク『Paroemiologia Anglo-Latina』（1639年）に \"Earely to bed and earely to rise, makes a man healthy, wealthy, and wise\" として載っている。さらに遡ると1486年の『The Book of St Albans』に「Who soo woll ryse erly shall be holy helthy & zely」（早く起きる者は敬虔で健康で幸運になる）という近い形が見える。フランクリンは暦に載せた格言の多くを既存の言い回しから集め、言葉を整えて広めたとされており、この一句もその一つと考えられている。",
      "originSource": "John Clarke \"Paroemiologia Anglo-Latina\"（1639年）／ベンジャミン・フランクリン \"Poor Richard’s Almanack\" 1735年版／先行例として \"The Book of St Albans\"（1486年）",
      "themes": [
        "有名人・経営者の座右の銘"
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        "ESに書くとき"
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    {
      "slug": "heishin-seiki",
      "word": "平心静気",
      "reading": "へいしんせいき",
      "pillar": "yoji-jukugo",
      "crossPillar": false,
      "meaning": "感情の高ぶりを抑え、心を落ち着けて穏やかに保つこと。荒れている気持ちをおさめる、という動きを含んだ言い方。",
      "origin": "この四字熟語としての出典は特定されていない。四字熟語辞典オンラインもコトバンク収録の各辞典も、この四字を見出しに立てていない。中国語の成語「平心静気（平心静气）」としては、清代の小説『紅楼夢』第七十四回の「且平心静気、暗暗訪察」（まずは心を平らかに気を静めて、ひそかに調べる）を出処に挙げる中国語辞典があり、日本語の四字熟語としてはその借用とみられる。ただし日本語文献でいつ定着したかを示す資料は確認できていない。語の作りは、「平心」が心を平らかにすること、「静気」が気、つまり高ぶった感情を静めること。同じ方向の二語を重ねた形だが、どちらも「平らかにする」「静める」という動きの語であり、感情が荒れている状態を前提にしている。何も起きていない静けさを言う語ではない。",
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        "冷静を表す四字熟語"
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    {
      "slug": "hiyoku-renri",
      "word": "比翼連理",
      "reading": "ひよくれんり",
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      "meaning": "二羽の鳥が一つの翼で共に飛び、二本の木の枝が結びついて一つになるように、離れがたく結ばれた男女の深い愛情のたとえ。夫婦や将来を誓い合った二人など、すでに深く結ばれた関係について使う。",
      "origin": "出典は白居易（772〜846年）の「長恨歌」。玄宗皇帝と楊貴妃を詠んだこの詩の終盤に「在天願作比翼鳥／在地願爲連理枝」（天に在っては願わくは比翼の鳥と作らん、地に在っては願わくは連理の枝と為らん）という対句があり、ここに並ぶ二つの比喩を後世に四字へ圧縮したのが「比翼連理」である。原典に「比翼連理」の四字がそのまま並んでいるわけではない。「比翼の鳥」は白居易の創作ではなく、それ以前の中国の書物に見える伝説上の鳥で、二羽が翼を並べて初めて飛ぶ姿から、離れては成り立たない仲のたとえに用いられる。「連理の枝」は二本の木の枝が結びついて一体になったもの。日本語としての用例は鎌倉期にさかのぼり、『吾妻鏡』建仁二年（1202年）や『宴曲集』（1296年頃）に見える（『精選版 日本国語大辞典』）。",
      "originSource": "白居易「長恨歌」",
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        "恋愛の四字熟語"
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      "updatedAt": "2026-09-12"
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    {
      "slug": "honesty-is-the-best-policy",
      "word": "Honesty is the best policy.",
      "reading": "オネスティ イズ ザ ベスト ポリシー",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
      "crossPillar": false,
      "meaning": "「正直は最善の策」という意味の英語のことわざ。目先の得を狙ってごまかすより、常に正直であることが結局は一番よい結果につながるという教え。",
      "origin": "英語圏で古くから使われていることわざで、記録に残る最も古い用例は1599年、イングランドの政治家サー・エドウィン・サンディズ（Sir Edwin Sandys）の著作『Europae Speculum』の一節「Our grosse conceipts, who think honestie the best policie.」だとされる。日本ではベンジャミン・フランクリンの言葉として紹介されることがあるが、フランクリンの生年は1706年で、この用例より100年以上あとの人物である。フランクリンを含む複数のアメリカの政治家がこの表現を用いたことが、後年の帰属につながったと考えられる。誰が最初に言い出したかは特定されておらず、同じ趣旨の言い回しはそれ以前のラテン語文献にも見えるとされる。",
      "originSource": "Sir Edwin Sandys『Europae Speculum』（1599年）",
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        "英語の座右の銘",
        "一言で言う座右の銘"
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        "面接で聞かれたとき",
        "ESに書くとき"
      ],
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      "updatedAt": "2026-08-12"
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    {
      "slug": "houfuku-zettou",
      "word": "抱腹絶倒",
      "reading": "ほうふくぜっとう",
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      "meaning": "お腹を抱えてひっくり返るほど、おかしくてたまらないこと。",
      "origin": "本来の表記は「捧腹絶倒」で、「捧」は両手で抱える意。「捧腹」（腹を抱える）の語は『史記』日者列伝に見え、卜者を賤しい職と決めてかかった宋忠・賈誼の問いに対し、占い師の司馬季主が「捧腹大笑」して答えたと記される。「絶倒」は笑い崩れること。ただし四字熟語「捧腹絶倒／抱腹絶倒」そのものを中国古典に求める記述は主要な辞書類には見当たらず、精選版日本国語大辞典が初出に挙げるのは『新聞雑誌』第三五号（明治五年＝1872）の「衆人一斉抱腹絶倒せしとぞ」で、内田魯庵『社会百面相』（1902）にも用例がある。現在は「捧」を「抱」に置き換えた表記のほうが一般的だが、意味に違いはない。",
      "originSource": "「捧腹」の語は『史記』日者列伝（司馬季主の「捧腹大笑」）／四字での初出用例は『新聞雑誌』第三五号（明治五年＝1872、精選版日本国語大辞典）",
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        "面白い四字熟語"
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      "slug": "houtei-banri",
      "word": "鵬程万里",
      "reading": "ほうていばんり",
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      "meaning": "想像上の大鳥・鵬が万里の彼方まで飛んでいくように、この先に広がる遠大で希望に満ちた前途。もとは、鵬の飛ぶ道のりのように、はるかに遠い道のりそのものを指す。",
      "origin": "出典は『荘子』逍遥遊とされる。ただし「鵬程万里」の四字がそのまま原典に並んでいるわけではなく、そこに描かれた鵬の飛行から生まれた言葉である。逍遥遊の冒頭では、北の果ての海にすむ鯤という大魚が鵬という鳥に姿を変える。その背は幾千里あるかわからず、飛び立てば翼は天に垂れこめる雲のようだという。鵬が南の果ての海へ移るときには「水に撃つこと三千里」、つむじ風に乗って九万里の高さまで舞い上がり、六か月吹く風に乗って去っていくと語られる。この壮大な飛行から、鵬の飛んでいく道のりを表す「鵬程」が、はるかに遠い道のりの意味で使われるようになった。「程」は道のり、「万里」は非常に遠いことのたとえである。日本では、室町時代初期の禅僧・絶海中津の詩集『蕉堅藁』（1403年）に「鵬程九万」の句が見え、明治期には坪内逍遥も「万里の鵬程」という言い方をしている。",
      "originSource": "『荘子』逍遥遊",
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        "前向きな四字熟語"
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      "updatedAt": "2026-09-15"
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    {
      "slug": "hyakusen-renma",
      "word": "百戦錬磨",
      "reading": "ひゃくせんれんま",
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      "meaning": "数多くの経験を積み重ね、実践の中で鍛え上げられていることを表す言葉。豊富な経験に裏打ちされた実力や自信を示す際に使われる。",
      "origin": "出典は特定されていない。中国由来の語として紹介されることがあるが、四字熟語「百戦錬磨」そのものの典拠を示す文献は確認できず、特定の故事や人物に結びつける記録も見当たらない。「百戦」は文字どおり百回の戦いではなく「数多くの戦い」を指す表現で、「錬磨」は金属を練り石を磨くように技を鍛え上げることを表す。もとは実戦の中で武芸を鍛えるという軍事の文脈を持つ語で、そこから戦い以外の分野にも広がったと考えられる。日本語としての用例は近代以降に確認でき、精選版日本国語大辞典は佐藤垢石の随筆『たぬき汁』（1941年）の「百戦練磨の功がある」を引いている。この用例が示すとおり「練磨」の表記も併用されてきたが、現在は「錬磨」が一般的とされる。",
      "originSource": "",
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        "四字熟語の座右の銘",
        "努力・継続",
        "かっこいい座右の銘"
      ],
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        "スポーツの目標に",
        "部活で使うとき"
      ],
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    {
      "slug": "hyakusetsu-futou",
      "word": "百折不撓",
      "reading": "ひゃくせつふとう",
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      "meaning": "何度失敗を重ねても、志を変えずに屈しないこと。",
      "origin": "「百折不撓」は、後漢の学者・蔡邕が書いた「太尉喬玄碑」（喬玄という人物の顕彰碑文、『漢魏六朝一百三家集』巻十九所収）に由来する。碑文には喬玄の人柄について「其の性は荘（おごそ）かにして、華を疾（にく）み朴を尚（たっと）び、百折不撓、大節に臨みて奪うべからざるの風有り」（その人柄は厳格で、華美を嫌い質朴を尊び、何度挫折しても志を曲げず、重大な局面に臨んでも意志を奪われない気風があった）と記されている。「百折」は幾度も折れること、「不撓」はたわまないことを意味し、「百」は具体的な回数ではなく「何度でも」という多さを表す。何回失敗を重ねても志を変えない強い意志を表す言葉として、後世に広く使われるようになった。",
      "originSource": "蔡邕「太尉喬玄碑」（『漢魏六朝一百三家集』巻十九所収）",
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        "かっこいい座右の銘"
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    {
      "slug": "iba-shinen",
      "word": "意馬心猿",
      "reading": "いばしんえん",
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      "meaning": "走り回る馬や騒ぎ立てる猿のように、欲望や煩悩が抑えがたく乱れ動くこと。心を鎮めようとしてもままならない状態を、二つの動物にたとえた仏教由来の言葉。",
      "origin": "「意（こころ）」を走り出したら止めがたい馬に、「心」を木々を飛び移る猿にたとえ、煩悩を抑えることの難しさを言った仏教語。日本大百科全書は典拠として『参同契』の「発揮中」を挙げ、心猿が定まらず意馬が四方に駆けるなら神気は外に散乱する、という一節を引く。ただし「参同契」の名を持つ書物には、道教の錬丹術書『周易参同契』とその注釈の系統と、唐の禅僧・石頭希遷の詩『参同契』があり、解説によって由来の説明が分かれる。引かれる一節が「還丹」という錬丹の語を含むことから、前者の注釈にあたるとみられる。禅の語録『趙州録』の遺表にも「心猿跳るをやめ、意馬馳を休む」という並行する表現がある。精選版日本国語大辞典とデジタル大辞泉は漢籍の典拠を示さず、馬と猿の比喩からの説明にとどめており、日本語の用例としては『両足院本山谷抄』（1500年頃）の「人胸中は意馬心猿と云て、物忩な者ぞ」を初出に挙げる。語順を入れ替えた「心猿意馬」も同じ意味で使われる。",
      "originSource": "『参同契』発揮中",
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        "難しい四字熟語"
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    {
      "slug": "icchi-danketsu",
      "word": "一致団結",
      "reading": "いっちだんけつ",
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      "meaning": "大勢の人がそれぞれの心や意見を一つにまとめ、共通の目的や困難に向けて力を合わせて協力すること。学校や職場、地域社会などで、組織やチームがまとまって物事に取り組む場面でよく使われる。",
      "origin": "「一致団結」が特定の一人の発言や中国古典の故事に由来する言葉であるという確証は得られなかった。中国の古典（『淮南子』等）を典拠とする説を挙げるサイトもあるが、当のサイト自身が「元の中国古典には直接は含まれていない」と認めており、複数の四字熟語辞典も典拠欄を空欄としている。文献上確認できる比較的早い使用例としては、精選版日本国語大辞典が示す坪内逍遥『内地雑居未来之夢』（1886年）の「一致団結して支那人と競はざる故也」という一節があり、遅くとも明治期には四字の組み合わせとして定着していたと推定される。「一致」は複数の人の心や意見が一つにまとまること、「団結」は結びついて固く一つになることを意味するという字義を持つ。",
      "originSource": "精選版日本国語大辞典（坪内逍遥『内地雑居未来之夢』1886年の用例）",
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        "座右の銘になる四字熟語",
        "友情の四字熟語"
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        "部活で使うとき",
        "スポーツの目標に"
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    {
      "slug": "ichigo-ichie",
      "word": "一期一会",
      "reading": "いちごいちえ",
      "pillar": "yoji-jukugo",
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      "meaning": "一生に一度だけの出会いだと考え、その一瞬一瞬の出会いを大切にすること。",
      "origin": "「一期一会」の概念的な源は、千利休の高弟である茶人・山上宗二が著した『山上宗二記』（天正16年〈1588年〉。道具の所持者の記録から天正14年〈1586年〉に遡るとする見方もある）にある。同書「茶湯者覚悟十躰」には「路地へ入るより出づるまで、一期に一度の会のように、亭主を敬い畏るべし」という一文があり、デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典・四字熟語辞典オンラインはいずれもこの「一期に一度の会」を出典として挙げる。利休の教えを宗二が書き留めたものとされることが多いが、書名だけを示して利休の名を出さない辞典もあり、どこまでが利休自身の言葉かは確定していない。一方、「一期一会」という四字熟語の形そのものは、江戸時代末期の大老・井伊直弼が茶道の心得をまとめた『茶湯一会集』（安政5年〈1858年〉頃に完本）でこの語を掲げたことにより広まったとされる。同書は「一期一会といひて、幾度おなじ主客交会するとも、今日の会にふたたびかへらざる事を思へば」と説く。「一期」はもと仏教語で人の生から死までの一生を指し、どの茶会も一生に一度きりの出会いだと思って、亭主・客ともに誠意を尽くすべきだという心構えを表す。",
      "originSource": "『山上宗二記』（山上宗二、天正16年／1588年、茶湯者覚悟十躰「一期に一度の会」＝辞典が挙げる出典）／『茶湯一会集』（井伊直弼、安政5年／1858年頃完本、四字熟語としての形を広めたとされる）",
      "themes": [
        "座右の銘になる四字熟語",
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        "スピーチで使うとき"
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    {
      "slug": "ichii-senshin",
      "word": "一意専心",
      "reading": "いちいせんしん",
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      "meaning": "他のことに一切気を取られず、ただ一つの物事だけに心を集中させることを表す言葉。目標や仕事、学業などに脇目もふらずひたすら打ち込む姿勢を指し、意志を一つにまとめて取り組む様子を強調する際に使われる。",
      "origin": "出典は中国の古典『管子』の「内業」篇とされる。同篇には「四体既に正しく、血気既に静かにして、意を一にし心を摶らにし、耳目、淫せざれば、遠しと雖も近きが若し」という一節があり、この中の「意を一にし心を摶らにす」という表現が「一意専心」（原文では「一意摶心」）の由来とされる。身体を正しく保ち、心を静めて意識を一つに集中させれば、遠くのものごとも身近なことのように明確に把握できる、という趣旨の教えである。『管子』は春秋斉の政治家・管仲の思想を継ぐ後学によって、戦国から秦漢期にかけてまとめられた書とされる。この故事から、一つのことに心を集中させる姿勢を表す言葉として用いられるようになった。",
      "originSource": "管子（内業篇）",
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        "努力・継続",
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        "面接で聞かれたとき",
        "ESに書くとき"
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      "word": "一日千秋",
      "reading": "いちじつせんしゅう",
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      "meaning": "会えない一日が千年にも感じられるほど、相手や知らせを待ち焦がれる気持ち。恋愛に限らず、待ち望んだ人の来訪や返事を待つ心情にも使う。",
      "origin": "もとになった表現の出典は『詩経』王風・采葛。「彼采蕭兮　一日不見　如三秋兮」（あの蕭を摘みに行く、一日会わなければ三秋のように長く感じられる）とあり、原典の形は「一日三秋」である。「一日千秋」の四字は原典には現れず、「一日三秋」を強めた形として後にできたものとされる。『語源由来辞典』は、三秋より千秋のほうが長く感じられること、「さん」と「せん」の音が近いことを理由に、一説として日本で使われるようになった形と説明する（この点を明言する資料は他に確認できていない）。「秋」は収穫期であることから一年の区切りとされ、年の意味を持つ。したがって「千秋」は千年を指す。なお原典の「三秋」の解釈自体にも、秋の三か月・九か月・三年と諸説がある。日本語としての用例は『近世紀聞』（1875〜81年）にさかのぼる（『精選版 日本国語大辞典』）。",
      "originSource": "『詩経』王風・采葛",
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    {
      "slug": "ichimi-doushin",
      "word": "一味同心",
      "reading": "いちみどうしん",
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      "meaning": "同じ目的のもとに集まった者が、心を一つに合わせて結束すること。またその人々。",
      "origin": "出典は特定されていない。中国の古典を典拠とする記録は確認できず、中世の日本社会のなかで定着した語とされる。山川出版社『日本史小辞典』は、仏教の「一味和合」の精神にもとづき、寺院の集会で参加者の総意によって物事を決めた慣行に起源があると説明する。中世には、百姓の自治組織である惣の結合や一揆の連帯を指してこの語が使われ、神社の境内に集まって神水を回し飲みする「一味神水」の作法によって結束が誓われた。文献上の早い用例として、精選版日本国語大辞典は『平家物語』（13世紀前半）巻四の「一味同心に僉議して〈略〉牒状をこそおくりけれ」を、デジタル大辞泉は『太平記』巻三五の「国々の大名一人も残らず一味同心して」を引いている。",
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        "友情の四字熟語"
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        "部活で使うとき"
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      "articleUrl": "https://kotonoha-jiten.pages.dev/yoji-jukugo/word/ichimi-doushin/",
      "updatedAt": "2026-08-28"
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    {
      "slug": "ichinen-hokki",
      "word": "一念発起",
      "reading": "いちねんほっき",
      "pillar": "yoji-jukugo",
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      "meaning": "あることをやり遂げようと、心を強く決意して新たに取り組み始めることを表す言葉。それまでの生活や考えを改め、決意を新たにする場面で使われる。",
      "origin": "「一念発起」はもと仏教語で、『四字熟語を知る辞典』は「一念発起菩提心」（一念に菩提心を発起する）の略とする。「一念」は一つの思い、「発起」は心を起こすことを指し、仏教では迷いを断って悟りを求める心が起こることを意味した。用例としては、鎌倉時代後期に成立した『歎異抄』第十四条に「弥陀の光明にてらされまゐらするゆへに、一念発起するとき」と見える。ここでの一念発起は阿弥陀仏の本願を信じる心がはじめて起こる瞬間を指しており、浄土真宗では「いちねんぽっき」とも読む。江戸時代の浄瑠璃『五十年忌歌念仏』（1707年）には「勘十郎一念ほっきして」とあり、この頃には宗教的な回心の意味から、それまでの生き方を改めて何かを始めるという一般的な用法へ広がっていったとみられる。",
      "originSource": "『歎異抄』第十四条（13世紀後半成立）／浄瑠璃『五十年忌歌念仏』（1707年、『精選版 日本国語大辞典』所収の用例）／語構成は『四字熟語を知る辞典』が「一念発起菩提心」の略とする",
      "themes": [
        "四字熟語の座右の銘",
        "一言で言う座右の銘",
        "努力・継続",
        "前向きな四字熟語",
        "座右の銘になる四字熟語",
        "かっこいい座右の銘"
      ],
      "scenes": [
        "面接で聞かれたとき",
        "ESに書くとき",
        "部活で使うとき"
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      "articleUrl": "https://kotonoha-jiten.pages.dev/yoji-jukugo/word/ichinen-hokki/",
      "updatedAt": "2026-08-08"
    },
    {
      "slug": "ichinichi-ichizen",
      "word": "一日一善",
      "reading": "いちにちいちぜん",
      "pillar": "yoji-jukugo",
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      "meaning": "一日に一つ、人のためになる善い行いをすることを心掛ける生き方や考え方。大きな善行でなくても、日々の小さな親切を積み重ねることを大切にする教え。",
      "origin": "「一日一善」は特定の一人の発言や中国古典の故事に由来する言葉ではなく、近代以降に定着した表現とされる。精選版日本国語大辞典で確認できる比較的早い用例は、佐々木邦『苦心の学友』（1930年）にある「一日一善を実行してゐる」という一節である。ボーイスカウトの創始者ベーデン＝パウエルが説いた「日々の善行（Do a good turn daily）」の訳語として広まったという説も一部で語られるが、日本ボーイスカウト連盟自身は「一日一善」ではなく「日日の善行」という独自の言い方をスローガンとして掲げており、両者を直接結びつける確証は得られなかった。昭和後期には日本船舶振興会のテレビCMを通じて広く社会に浸透したことが知られている。",
      "originSource": "精選版日本国語大辞典（佐々木邦『苦心の学友』1930年の用例）",
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        "座右の銘になる四字熟語",
        "努力・継続"
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        "面接で聞かれたとき",
        "ESに書くとき"
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      "word": "一蓮托生",
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      "meaning": "良い結果であれ悪い結果であれ、最後まで行動と運命を共にすること。もとは阿弥陀仏の浄土に往生した者が同じ蓮の花の上に生まれるという浄土信仰の言葉で、現在は結果を共に引き受ける関係を指して使う。",
      "origin": "出典は特定されていない。死後に極楽の蓮華の上に生まれるという阿弥陀信仰から出た語だが、精選版日本国語大辞典の語誌は「『一蓮托生』の形では漢訳仏典にない」と明記しており、典拠となる経典は確認できていない。一つの蓮に二人が生まれるという発想自体は平安時代にあり、同辞典は『源氏物語』鈴虫巻の「はちす葉をおなじうてなと契りおきて」（同じ蓮の台に生まれようと約束して）を挙げる。四字の形として確認できる古い例は、『源氏物語』の注釈書『岷江入楚』（1598年）の「一蓮托生の心後世を契るなり」で、ここではまだ来世を約束する宗教的な意味で使われている。現在の「運命を共にする」という意味で広まったのは江戸期以降とみられ、浄瑠璃『心中宵庚申』（1722年）に「一れんたくしゃうの閨のお同行」の用例がある。「托生」は他に自分の生をあずけるという意で、「託生」とも書く。",
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    {
      "slug": "ihen-sanzetsu",
      "word": "韋編三絶",
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      "meaning": "書物の綴じ紐が何度も切れるほど、繰り返し熱心に読書し学ぶこと。",
      "origin": "『史記』孔子世家に見える孔子の故事に基づく。同篇は、孔子が晩年に『易』を好み、彖・繋・象・説卦・文言を順序立てたと記したうえで、「易を読み、韋編三たび絶つ」と続け、孔子が「我に数年を仮さば、是くの若くにして、我易に於いては則ち彬彬たらん」（あと数年あれば、易に十分通じることができるだろう）と語ったと伝える。紙が普及する前の中国の書物は竹の札をなめし革の紐で綴じたもので、その紐やそうして綴じた書物を「韋編」と呼んだ（精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉）。その紐が三度も切れるほど一冊を読み込んだ、というのが語の骨格であり、晩年になっても学び直していた孔子の姿が、この語に重みを与えている。日本では「韋編三度絶つ」の形でも言い、精選版日本国語大辞典は『空華日用工夫略集』の永徳元年（一三八一年）の条を用例に挙げる。近代以降も吉川幸次郎『短長亭集』（一九六四年）、丸谷才一『日本語のために』（一九七四年）に使用例がある（四字熟語を知る辞典）。",
      "originSource": "『史記』孔子世家",
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      "word": "意気軒昂",
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      "meaning": "元気と気力に満ちあふれ、意気込みが盛んな様子。",
      "origin": "出典は特定されていない。特定の古典の一節や故事に結びつける資料は確認できず、典拠欄を空にしている四字熟語辞典が多い。「意気」は気概・気合を表す語で、日本語としては『万葉集』の時代からある古い言葉。「軒昂」は高く上がるさま、気持ちが奮い立つさまを表し、江戸時代までは主に漢文の中で使われていたとされる。明治期に「意気揚揚」「意気衝天」など意気込みの盛んさを表す四字熟語が広く用いられるようになり、その流れの中で「意気軒昂」も定着していったと推定される。「意気軒高」と書かれることもある。",
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    {
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      "word": "意気投合",
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      "meaning": "出会ってすぐに気持ちがぴったり合い、打ち解けること。",
      "origin": "出典は特定されていない。漢籍の典拠を示す辞典は確認できなかった。精選版日本国語大辞典は「意気投合」の項に、正宗白鳥『何処へ』（一九〇八年）の「君も何時の間にか、箕浦君と意気投合するやうになったんだね」を実例として挙げる。四字熟語を知る辞典はさらに庄野潤三『ガンビア滞在記』（一九五九年）、星新一『意気投合』（一九六一年）の使用例を挙げ、「投合」を「合わせること」と説明する。近代の小説に用例が続くことから、日本語として明治以降に広く使われるようになった語と推定される（推定であり、成立時期を確定できる資料は確認できていない）。「意気」は物事に立ち向かうときの気持ち・心構えを指す語で、好き嫌いの感情ではなく、向かっている方向が合ったことを言う四字である。",
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    {
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      "word": "一攫千金",
      "reading": "いっかくせんきん",
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      "meaning": "一度に大金を手に入れるような、大きな幸運や成功のたとえ。",
      "origin": "この四字熟語の出典は特定されていない。特定の故事や中国古典の文献に紐づける記述は主要な辞書類には見当たらず、「一攫」（ひとつかみ）と「千金」（大金）という字義の組み合わせから成る語と考えられる。「攫」は手でつかみ取るという字義を持つが常用漢字ではないため、新聞・書籍では「一獲千金」と書き換えられることも多い。精選版日本国語大辞典が挙げる初出用例は坪内逍遙『内地雑居未来之夢』（1886）の「一攫千金の期とは即ち是也」で、明治期に定着した語であることがうかがえる。",
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    {
      "slug": "ino-naka-no-kawazu",
      "word": "井の中の蛙大海を知らず",
      "reading": "いのなかのかわずたいかいをしらず",
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      "meaning": "狭い井戸の中に住む蛙は、その外に広がる大きな海の存在を知らないように、自分の狭い世界だけで物事を判断し、広い世界を知らずにいることを戒めることわざ。",
      "origin": "『荘子』秋水篇に由来する。原文は「井蛙不可以語於海者、拘於虛也」——井戸の蛙に海のことを語れないのは、蛙が自分の狭い住処に縛られているからだ、という一節である。黄河の神・河伯が、初めて海を見て自らの小ささを悟る場面で、北海若（海の神）が河伯に語る言葉として置かれている。同じ並びで「夏の虫に氷のことを語れないのは、その季節に縛られているからだ」「偏った学者に道を語れないのは、受けた教えに束縛されているからだ」と続き、蛙の比喩は三つのうちの一つにあたる。原典が問題にしているのは知識の量ではなく、自分が置かれた場所や教えに縛られていること自体であり、無知そのものより「縛られていると気づかない状態」に力点がある。なお日本では「されど空の青さを知る」という続きが添えられ、狭い世界にいたからこそ深く知ったこともある、という肯定の意味で使われることがある。この続きは日本で後から付け加えられたもので、『荘子』にはない。永六輔の著作に由来するという説や、北条民雄の文章に由来するという説があるが、出典は確定していない。",
      "originSource": "『荘子』秋水篇「井蛙不可以語於海者、拘於虛也」",
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        "ことわざ由来の座右の銘"
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      "slug": "ishi-kengo",
      "word": "意志堅固",
      "reading": "いしけんご",
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      "meaning": "一度決めたことを、周囲に流されず貫き通す強い意志を表す言葉。誘惑や困難があっても揺るがない心の強さを示す。",
      "origin": "出典は特定されていない。特定の古典や人物の発言に紐づく記録は確認できず、主要な国語辞典・四字熟語辞典も由来を示していない。「意志」（何かをしようと決める心の働き）と「堅固」（かたくて崩れないこと）という、それぞれ単独で使われる熟語を組み合わせた表現と考えられる。意志の強さを表す四字熟語には中国古典に典拠を持つものが少なくないが、この語については同種の記録が見当たらない。近代以降の日本語の中で組み立てられた表現と推定されるものの、成立の時期を確定できる資料はない。",
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      "meaning": "冷たい石の上でも三年座り続ければ温まるように、つらく苦しい状況でも辛抱強く努力や我慢を続ければ、いずれ必ず良い結果や報いが得られるという教えを表すことわざ。",
      "origin": "出典は特定されていない。このことわざが誰によっていつ作られたかを示す確定的な文献は確認できなかった。文献上確認できる早い使用例としては、俳諧書『毛吹草』（1638年）や井原西鶴『西鶴織留』（1694年）があり、江戸時代初期には「石の上にも三年いれば温まる」という形で使われていたとされる（精選版日本国語大辞典）。17世紀末頃から「温まる」の部分が省略され、現在の形が定着していったと推定される。冷たい石も三年座り続ければ体温で温まるという体感的な比喩から、辛抱強く続ければやがて報われるという戒めが生まれたと考えられる。座禅修行の故事に由来するという説もインターネット上に見られるが、辞書類でその関連は確認されていない。",
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      "slug": "ishibashi-wo-tataite-wataru",
      "word": "石橋を叩いて渡る",
      "reading": "いしばしをたたいてわたる",
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      "meaning": "頑丈な石の橋であっても、叩いて安全を確かめてから渡るように、用心に用心を重ねて物事に取り組むことのたとえ。慎重さや堅実さを重んじる姿勢を表す。",
      "origin": "出典は特定されていない。頑丈なはずの石橋でさえ叩いて安全を確かめてから渡る、という行為そのものを言葉にした表現で、特定の人物や故事に紐づく記録は確認できない。文献上の用例としては江戸中期の諺集『譬喩尽』（1786年）に載るものが古く、精選版日本国語大辞典もこの書を用例に挙げている。木の橋が主流だった時代に、壊れる心配のないはずの石橋まで確かめる姿を極端な用心の例として引いたものと考えられるが、これも字義からの推定であって、成立の経緯を示す資料があるわけではない。",
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      "word": "石部金吉",
      "reading": "いしべきんきち",
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      "meaning": "石や金物のように、非常にかたくまじめで融通がきかない人。特に色恋に疎い人をからかって言う言葉。「石」と「金」という硬いものを並べ、姓名めかして仕立てた擬人名という成り立ちを持つ。",
      "origin": "特定の人物や故事に由来する語ではなく、出典は特定されていない。実在した石部金吉という人物がいたわけでもない。辞書が説明しているのは造語の仕組みのほうで、デジタル大辞泉は語釈の冒頭に「石と金の二つの硬いものを並べて人名のようにした語」と注記する。「石部」に石、「金吉」に金を仕込み、姓名らしい形に仕立てた擬人名という説明である。由来・語源辞典も同じく「『石』と『金』という硬いものを並べて、人名めかしていう言い方」とし、江戸時代から用いられ、古くは女性に対して使った例もあると記す。精選版日本国語大辞典の語釈は「道徳的に堅固で、金銭や女色に心を迷わされない人。また、物堅くきまじめ過ぎて、融通のきかない人。男女間の情愛などを解しない人」で、延宝二年（一六七四）の役者評判記の例を初出に挙げる。堅さをさらに重ねた「石部金吉金兜」という形もあり、こちらは江戸中期の諺集『譬喩尽』（松葉軒東井編、天明六年＝一七八六年序）に見えるとされる。近代の用例では宮本百合子「若い婦人の著書二つ」（一九五二）に「結婚の対手が石部金吉では窮屈だ」とある。なお近江の宿場「石部宿」とその近くの「金山」を語源とする説を紹介する記事もあるが、辞書類はこの説を採っていない。",
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      "slug": "isogaba-maware",
      "word": "急がば回れ",
      "reading": "いそがばまわれ",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "急いでいるときほど、危険な近道より安全で確実な回り道を選ぶほうが、結局は早く目的を達成できるということわざ。",
      "origin": "室町時代の連歌師・宗長の作と伝えられる和歌「もののふの矢橋の舟は早くとも急がば回れ瀬田の長橋」に由来するとされる。琵琶湖東岸の矢橋（現在の滋賀県草津市）から大津へ渡る渡し船は、南の瀬田の唐橋を回る陸路よりも近道だったが、比叡山から吹き下ろす突風で転覆する危険があった。急ぐのなら遠回りでも確実な橋を渡れ、という当時の土地の事情を詠んだ歌である。ただし作者を宗長とする確かな一次資料は確認できておらず、平安後期の歌人・源俊頼の作とする説もある。この歌は江戸初期の笑話集『醒睡笑』にも引かれているとされるが、ことわざとして一般に定着した時期を示す資料は確認できていない。",
      "originSource": "宗長作と伝わる和歌「もののふの矢橋の舟は早くとも急がば回れ瀬田の長橋」（作者には諸説あり）",
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    {
      "slug": "issen",
      "word": "一閃",
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      "meaning": "刃物や稲妻などが、ぴかりと一瞬光ること。また、そのひらめき。光そのものだけでなく、目で追えないほど動きが速いさまにも使う。",
      "origin": "精選版日本国語大辞典は「一閃」の漢籍出典として唐の孟郊「峡哀」を挙げる。三峡の急流で命を落とした者を悼む詩で、「齏粉一閃間、春濤百丈雷」——体が砕けて粉になるのはひらめく間のことで、春の波は百丈の高さで雷のように鳴る——という句が見える。ここでの「一閃」は刀のきらめきではなく「またたく間」、つまり時間の短さを言っている。日本語で今まず思い浮かぶ「白刃が光る」像のほうは、後から強まったものと考えられる。同辞典が挙げる日本語の早い例は小栗風葉『恋慕ながし』（一八九八年）の「血糊の出刃を取正さうとする時疾く、白光一閃」で、こちらは刃物の光である。字の側では、「閃」は説文解字に「闚頭門中なり」とあり、門のすきまから頭を出してのぞく形が原義とされる。戸口を人影がよぎる一瞬から「ひらめく」の意になったと説明される。",
      "originSource": "唐・孟郊「峡哀」（『全唐詩』巻三八一）「齏粉一閃間、春濤百丈雷」（精選版日本国語大辞典が「一閃」の項の漢籍出典に『孟郊－峡哀詩』を挙げる。句は維基文庫『全唐詩』巻三八一で確認）／日本語の早い用例は同辞典が挙げる小栗風葉『恋慕ながし』（一八九八年）",
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      "word": "一心同体",
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      "meaning": "二人以上の人が心を一つにし、まるで一つの体のように固く結びつくこと。",
      "origin": "出典は特定されていない。漢籍の典拠を挙げる辞典は確認できなかった。精選版日本国語大辞典は「一心同体」の項に、末広鉄腸『花間鶯』（一八八七〜八八年）の「夫婦は一身同躰(イッシンドウタイ)と申すでは御坐いませんか」を実例として挙げる。この用例が示すとおり、明治期には「いっしん」を「一身」と書いて、ひとまとまりになった全体・一体の意で用いることが多かったと同辞典・四字熟語を知る辞典は記す。四字熟語を知る辞典はさらに、谷崎潤一郎『卍』（一九二八〜三〇年）、円地文子『彩霧』（一九七六年）の使用例を挙げており、近代以降の日本語の中で定着した語と推定される（推定であり、成立時期を確定できる資料は確認できていない）。字義としては「心を一つにする（一心）」と「体を同じくする（同体）」という二つの二字熟語を重ねた形で、心が合っているという以上に、体まで一つだと言い切るところに強さがある。",
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      "word": "一心不乱",
      "reading": "いっしんふらん",
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      "meaning": "ただ一つの物事に心を集中させ、他のことには一切気を取られない状態を表す言葉。雑念をすべて払い、目の前のことにひたすら没頭し打ち込むさまを指し、勉強やスポーツ、仕事などに全力で取り組む様子を表現する際に使われる。",
      "origin": "出典は仏教経典『阿弥陀経』とされる。同経には「執持名号、若一日、若二日、若三日、若四日、若五日、若六日、若七日、一心不乱」という一節があり、阿弥陀仏の名号を一日から七日にわたって心に保ち続け、心を乱さずにいれば、臨終に際して仏がその人の前に姿を現すという趣旨が説かれている。原語はサンスクリット語で「乱れない心」を意味する語の訳とされる。もとは念仏を一心に唱え、雑念なく仏に帰依する状態を説く仏教語であったが、次第に宗教的な文脈を離れ、勉強や仕事、スポーツなど一つの物事にひたすら打ち込む状態全般を指す一般語として広く使われるようになったと考えられている。『大般若波羅蜜多経』にも同様の語が見え、仏教の瞑想（止観）における「止」の境地を表す語としても用いられる。",
      "originSource": "阿弥陀経",
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    {
      "slug": "issui-no-yume",
      "word": "一炊之夢",
      "reading": "いっすいのゆめ",
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      "meaning": "飯を一炊きする間に見た栄華の夢のように、人の世の栄光や富貴がはかなく短いことのたとえ。",
      "origin": "出典は唐代の伝奇小説『枕中記』で、作者は沈既済とするのが通説である（精選版 日本国語大辞典）。趙の都であった邯鄲の宿で、立身を願う青年・盧生が道士の呂翁から枕を借りて眠り、夢の中で栄達と浮沈の五十余年を過ごす。ところが目覚めてみると、宿の主人が炊いていた飯はまだ炊き上がっていなかった、という筋である。この「飯が一度炊き上がるほどの短い間の夢」という点を取って「一炊の夢」と呼ぶ。同じ故事から「邯鄲之夢」「邯鄲の枕」「盧生の夢」とも言い、炊かれていたのが黄粱（おおあわ）であることから「黄粱一炊の夢」の形もある。辞典が引く日本語の用例は謡曲「鉢木」（一五四五年頃）、二葉亭四迷『浮雲』（一八八七〜八九年）、大町桂月『常磐の山水』（一九〇七年）など（精選版 日本国語大辞典・故事成語を知る辞典）。国語辞典の見出しは「一炊の夢」の形が一般的である。",
      "originSource": "『枕中記』（唐・沈既済）",
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      "slug": "jikyou-fusoku",
      "word": "自彊不息",
      "reading": "じきょうふそく",
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      "meaning": "自分自身を励まし奮い立たせ、休むことなく努力を続けることを表す言葉。中国古典『易経』に見られる思想に由来するとされ、たゆまぬ自己研鑽の姿勢を象徴する。",
      "origin": "「自彊不息」は中国最古の経書のひとつ『易経』の乾卦、その卦の全体像を説く「大象」に見える「天行健なり、君子もって自彊して息まず」（天の運行は健やかである。君子はこれにならい、自ら努め励んで休まない）に由来する。天体が昼夜も四季も止まることなく巡り続ける様子を人の生き方の手本とし、君子たる者は外からの働きかけを待たずに自分で自分を鼓舞し続けよ、と説いた一節である。唐の孔穎達『周易正義』もこの句を、天の運行が昼夜休まず巡って退くときがないのにならい、自ら強め勉めて止息することがない意だと注釈しており、古くから自己修養の指針として読まれてきた。なお「彊」は「強」と通用する字で、現在は「自強不息」と書かれることも多い。",
      "originSource": "『易経』乾卦・象伝（大象）「天行健、君子以自彊不息」",
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        "四字熟語の座右の銘",
        "努力・継続",
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    {
      "slug": "jinsei-shigoto-no-kekka",
      "word": "人生・仕事の結果は考え方×熱意×能力で決まる",
      "reading": "じんせいしごとのけっかはかんがえかたかけるねついかけるのうりょくできまる",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "人生や仕事の成果は「考え方×熱意×能力」で決まるという見方。京セラ創業者・稲盛和夫が示した式で、三つを足し算ではなく掛け算に置いたところに要点がある。",
      "origin": "京セラ・第二電電（現KDDI）を創業した稲盛和夫（1932-2022）が「人生の方程式」「成功の方程式」として説いたもの。京セラが公開する稲盛和夫オフィシャルサイトはこの式を稲盛の思想の一項目として掲げ、能力と熱意はそれぞれ0点から100点までだが、考え方は生きる姿勢であってマイナス100点からプラス100点までの幅がある、と説明している。足し算ではなく掛け算にしてあるのはこのためで、能力が高くても考え方が負の方向を向いていれば結果は負の値になる。逆に、能力が並でも誰よりも熱意を注いだ人のほうが大きな結果を残しうる、という読み方になる。稲盛がいつ最初にこの式の形にまとめたのかを特定できる記録は確認できなかった。著書や講演で繰り返し語られるなかで広く知られるようになった言葉である。",
      "originSource": "京セラ「稲盛和夫オフィシャルサイト」思想「人生・仕事の結果＝考え方×熱意×能力」",
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        "有名人・経営者の座右の銘"
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    {
      "slug": "jinsei-to-wa-yuuki-aru-bouken",
      "word": "人生とは、勇気ある冒険であるか、無であるかのどちらかだ。",
      "reading": "じんせいとは、ゆうきあるぼうけんであるか、むであるかのどちらかだ。",
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      "meaning": "困難があっても勇気を持って挑戦し続けてこそ人生には意味がある、という考え方を表す言葉。視力と聴力を失いながら著述と講演を続けたヘレン・ケラーの言葉として知られる。",
      "origin": "アメリカの著述家・社会活動家ヘレン・ケラー（1880〜1968年）の言葉。生後19か月で高熱により視力と聴力を失い、家庭教師アン・サリヴァンの指導のもとで言葉を獲得し、ラドクリフ・カレッジを卒業した人物として知られる。英文は \"Life is either a daring adventure, or nothing.\" で、英語版ウィキクォートはこの一文の出典を1957年刊の著書 The Open Door としている。同書では、安全（security）はおおむね迷信であって自然界に存在するものではなく、危険を避けることも長い目で見れば危険にさらされることと変わらない、という趣旨の記述に続けてこの一文が置かれている。なお英語圏では末尾を \"or nothing at all\" とする形でも広く引用されており、日本語訳も「大胆な冒険か、さもなくば無か」など複数の訳し方が流通していて定訳はない。",
      "originSource": "Helen Keller, The Open Door（1957年刊。出典表示は英語版ウィキクォートによる）",
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        "有名人・経営者の座右の銘",
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    {
      "slug": "jiyuu-kattatsu",
      "word": "自由闊達",
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      "meaning": "何ものにも縛られず、のびのびと自分の考えで行動できる様子。単に自由なのではなく、小さなことにこだわらない度量の大きさを含む。",
      "origin": "この語の出典は特定されていない。『精選版 日本国語大辞典』は「自由闊達」を見出し語として立てるが典拠を示さず、挙げる初出の実例は吉野作造『閑談の閑談』（1933年）で、表記は「自由濶達」である。『四字熟語を知る辞典』が引く用例も三島由紀夫『青の時代』（1950年）、大岡昇平『合本俘虜記』（1952年）と、いずれも近代以降の日本語文献にとどまる。辞書が挙げる用例に漢籍が一つもないことから、近代の日本語の中で使われるようになった表現と見るのが妥当だが、漢籍に存在しないと断定できるところまでは確認していない。「闊達」は心が広く小さなことにこだわらないという意味で、「豁達」とも書き、辞書は両表記を同じ語として扱う。著名な使用例として、1946年の東京通信工業（現ソニー）設立趣意書が「会社創立の目的」の第一に「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」を掲げている（同社が公開する現代表記の本文による）。",
      "originSource": "",
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        "冷静を表す四字熟語",
        "前向きな四字熟語"
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    {
      "slug": "jo-forgiveness",
      "word": "恕",
      "reading": "じょ",
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      "meaning": "相手の立場に自分を置き換えて考え、自分がされて嫌なことは人にもしない、という思いやりの姿勢を表す一文字。『論語』で孔子が、生涯にわたって行い続けられる一語として挙げた字である。",
      "origin": "『論語』に由来する。衛霊公篇に、弟子の子貢が「一言にして以て終身之を行うべき者有りや」（生涯にわたって行い続けられる一語はありますか）と問い、孔子が「其れ恕か。己の欲せざる所、人に施すこと勿かれ」（其恕乎。己所不欲、勿施於人）と答えた一節がある。生涯を貫く一語として名指しされた字であり、一文字の座右の銘としては珍しく出典がはっきりしている。なお、この章は版によって衛霊公篇の23章とも24章とも数えられる。同じ『論語』里仁篇では、曾子が孔子の教えを「夫子の道は忠恕のみ」（夫子之道、忠恕而已矣）とまとめており、「忠」（自分に偽らないこと）と対にして語られる。「己所不欲、勿施於人」の句自体は顔淵篇にも重ねて出てくる。字としては『説文解字』が「恕」を「仁なり」と釈し、心を意味符、如を音符とする形声字と説明する。「如」は「〜のごとし」で、相手の身になって考えるという語義と字形が重なっている。",
      "originSource": "『論語』衛霊公篇「子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎。子曰、其恕乎。己所不欲、勿施於人」（章番号は版により23または24）／『論語』里仁篇「夫子之道、忠恕而已矣」／『説文解字』心部「恕、仁也」",
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    {
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      "word": "The journey of a thousand miles begins with a single step.",
      "reading": "ザ ジャーニー オブ ア サウザンド マイルズ ビギンズ ウィズ ア シングル ステップ",
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      "meaning": "「千里の道も一歩から」という意味の英語の格言。どんなに遠大な目標も、まずは目の前の小さな一歩を踏み出すことから始まるという教え。中国の思想家・老子の言葉の英訳として広く知られる。",
      "origin": "『老子』第64章の「千里之行、始於足下」の英訳として広く知られる言い方である。原文はその直前の「合抱之木、生於毫末、九層之臺、起於累土」（ひと抱えもある大木は細い芽から育ち、九層の高台は一盛りの土から始まる）と並ぶ一節で、大きなものは必ず小さな始まりを持つという趣旨で語られている。「足下」は文字どおりには「足のもと」で、\"a single step\"（最初の一歩）という英語の言い方は、原文よりも踏み出す行為そのものを前に出した訳になっている。また第64章は、事が大きくなる前に手を打つべきだという文脈でも読まれる箇所であり、現在英語圏で定着している励ましとしての使い方は、後の時代に前向きな方向へ意味が寄ったものと説明される。孔子の言葉として紹介されることがあるが、これは誤りである。",
      "originSource": "『老子』第64章「千里之行、始於足下」",
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    {
      "slug": "jouzai-senjou",
      "word": "常在戦場",
      "reading": "じょうざいせんじょう",
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      "meaning": "常に戦場にいるかのような緊張感を持ち、油断せず物事に取り組む姿勢を表す言葉。平時から気を緩めず備えを怠らない心構えを示す。",
      "origin": "三河国牛久保（現在の愛知県豊川市）を本拠とした牧野氏の家訓に由来するとされる。牧野氏は今川・武田・織田・松平といった大勢力に囲まれた地にあり、平時であっても戦場にいるのと同じ心構えでいることを家中の信条に定めたと伝えられる。この家訓は「牛久保の壁書（参州牛久保之壁書）」と呼ばれ、「常在戦場」はその第一条に置かれたという。牧野氏は江戸時代に越後長岡藩（現在の新潟県長岡市）の藩主となり、この四字を藩風・藩訓として掲げた。長岡藩ではその実践として、戦場の暮らしを想定した質素倹約と、心身の鍛錬・教養の向上が重んじられたと伝わる。近代では、長岡出身の連合艦隊司令長官・山本五十六（1884〜1943年）が揮毫を求められた際にこの四字を書いたことでも知られる。語義についてデジタル大辞泉は「いつでも戦場にいる心構えで事をなせという心得を示す語」と説明する。なお、この四字の出典を漢籍に求める記録は確認できない。",
      "originSource": "牧野氏の家訓「牛久保の壁書（参州牛久保之壁書）」に由来するとされ、越後長岡藩の藩訓として伝わる",
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    {
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      "word": "熟慮断行",
      "reading": "じゅくりょだんこう",
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      "meaning": "物事をじっくりと慎重に考え抜いたうえで、決めたことは思い切って実行に移すことを表す言葉。慎重さと大胆さを両立させる姿勢を示す。",
      "origin": "この四字熟語の出典は特定されていない。中国の古典の特定の一節や、最初に用いた人物を示す記録は確認できず、成立の時期を確定できる資料も見当たらない。「熟慮」（十分に考えをめぐらせること）と「断行」（ためらいや反対を押し切って思い切って実行すること）という、それぞれ独立して使われてきた二字の漢語を組み合わせた表現と考えられる。「熟」は十分に煮えることから転じて「じゅうぶんに」の意を持ち、「断」は迷いを断ち切って決める意を含む。時間をかける動作と断ち切る動作という、方向の異なる二つを一語に並べている点がこの熟語の特徴で、慎重さと大胆さのどちらか一方ではなく、その切り替えを言い表している。",
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    {
      "slug": "junpuu-manpan",
      "word": "順風満帆",
      "reading": "じゅんぷうまんぱん",
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      "meaning": "物事が何の支障もなく、計画通り順調に進んでいくこと。",
      "origin": "出典は特定されていない。「順風満帆」という四字熟語について、特定の書物や人物に由来するという記録は確認できない。「順風」は船の進む方向に吹く追い風、「満帆」は帆をいっぱいに張ることを指し、追い風を帆いっぱいに受けて船が快調に進む様子から、物事が計画通り順調に運ぶことのたとえとして生まれたと考えられる表現である。用例自体は戦前から見られるものの、戦前の国語辞典には採録されておらず、『広辞苑』に見出し語として載ったのは1983年刊行の第三版からとされ、一般に広く定着したのは比較的近年、戦後以降と推定される。",
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    {
      "slug": "jyoui-tougou",
      "word": "情意投合",
      "reading": "じょういとうごう",
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      "meaning": "互いの気持ちや考えが通じ合い、心が一つに結ばれること。",
      "origin": "出典は特定されていない。「情意」（感情と意志）と「投合」（「投」も「合」もぴったり合うこと）を組み合わせた語で、中国の古典や特定の人物の言葉に由来するという記録は確認できない。国語辞典が挙げる用例は『改訂増補や、此は便利だ』（一九一八年）で（精選版 日本国語大辞典）、四字熟語として広まったのは近代以降と推定される。なお、この語が世に知られる契機として記録が残っているのは政治史の場面である。一九一一年（明治四四年）一月二九日、桂太郎首相は立憲政友会の議員との会合で「情意投合し、協同一致して、以て憲政の美果を収むる」と述べ、以後「情意投合」は、官僚・軍部勢力と政友会が暗黙のうちに協力する当時の政治体制（桂園時代）を指す語としても用いられた。これは語の出典ではなく、流行の契機として残っている用例である。",
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    {
      "slug": "kaikou",
      "word": "邂逅",
      "reading": "かいこう",
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      "meaning": "約束もなく思いがけず出会うこと。旧友との再会や、その後の生き方を変えるような出会いに使う。同じ偶然の出会いでも、出会えたことを喜ぶ気持ちが語感に伴う点が「遭遇」と異なる。",
      "origin": "『詩経』にさかのぼる古い語である。鄭風「野有蔓草」に「邂逅相遇、適我願兮」——思いがけず行き会い、それが私の願いにかなった——とあり、野の草に露の降りた朝、美しい人と偶然に出会った喜びを詠む。精選版日本国語大辞典も普及版字通も、「邂逅」の項にこの詩を挙げる。同じ『詩経』の唐風「綢繆」にも「今夕何夕、見此邂逅」と見え、こちらでは出会いそのものを指す名詞として使われている。中国語の字書は邂逅を「不期而遇」——あらかじめ約束せずに行き会うこと——と釈す。「邂」も「逅」も辵（しんにょう＝行く）を持ち、二字そろって初めて一語になる語で、片方だけで使われることはない。日本語での早い用例として、精選版日本国語大辞典は『了幻集』（1392年頃）の「昨夜邂逅寒山子」を挙げる。また『本朝無題詩』（1162-64年頃）の「邂逅引朋入古祠」のように、「たまたま」の意で副詞的に使われた例もあり、もとは出会いの尊さより偶然性そのものを指す語だったことが分かる。",
      "originSource": "『詩経』鄭風「野有蔓草」「邂逅相遇、適我願兮」（精選版日本国語大辞典・普及版字通が「邂逅」の項に引く）",
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        "かっこいい二字熟語",
        "二字熟語一覧"
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    {
      "slug": "kairou-douketsu",
      "word": "偕老同穴",
      "reading": "かいろうどうけつ",
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      "meaning": "夫婦が共に老いるまで仲むつまじく暮らし、死んだ後も同じ墓に入ることを誓うほどの深い夫婦愛。結婚の祝辞などで、生涯連れ添う夫婦の契りを言う。",
      "origin": "出典は中国最古の詩集『詩経』。「偕老」は邶風「撃鼓」の「執子之手、与子偕老」（子の手を執りて、子と偕に老いん）に、「同穴」は王風「大車」の「穀則異室、死則同穴」（生きては則ち室を異にするも、死しては則ち穴を同じくせん）に基づく。二つの詩から語を取って組み合わせた言葉で、原典に「偕老同穴」の四字が並んでいるわけではない。「撃鼓」は戦に駆り出された兵士が、妻と交わした共に老いようという約束を思う詩と解されることが多く、「大車」の句は、生きているうちは一緒に暮らせなくても死後は同じ墓に入ろうと誓う言葉である。「偕」はともに、「穴」は墓穴を指す。深海にすむ海綿動物に「カイロウドウケツ」という和名が付いているのは、その体内に雌雄一対のエビがすみつき、生涯そこで暮らすことにちなむ。",
      "originSource": "『詩経』邶風「撃鼓」／王風「大車」",
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      "slug": "kajin-hakumei",
      "word": "佳人薄命",
      "reading": "かじんはくめい",
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      "meaning": "美しい女性は、とかく不幸な運命や短命に見舞われやすいということ。",
      "origin": "出典は北宋の蘇軾（一〇三七〜一一〇一年）の詩「薄命佳人」。この詩の「自古佳人多命薄、閉門春尽楊花落」（古より佳人は多く命薄し、門を閉じ春尽きて楊花落つ）という句に由来する（デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典）。詩は美しい女性の姿を描きながら、その境遇のはかなさに筆を向けたもので、「佳人」は容姿や品位のすぐれた女性、「薄命」は寿命や運勢が薄いことを指す。ただし四字熟語「佳人薄命」の形での日本語の用例は明治前期をさかのぼらないとされ（ことわざを知る辞典）、辞書が引く用例は矢田挿雲『江戸から東京へ』（一九二一年）や太宰治『懶惰の歌留多』（一九三九年）である（精選版 日本国語大辞典・四字熟語を知る辞典）。現在は「美人薄命」の形で使われることも多い。",
      "originSource": "蘇軾「薄命佳人」",
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      "word": "呵呵大笑",
      "reading": "かかたいしょう",
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      "meaning": "「わっはっは」「からから」と声をあげて、大きく豪快に笑うこと。「呵呵」は笑い声そのものを写した擬音。",
      "origin": "「呵呵」は笑い声を写した擬音で、精選版日本国語大辞典は「大声で笑うさま。あはは。からから」とし、『晋書』石季竜載記下の用例を挙げる。日本でも古く、『菅家文草』（九〇〇年頃）や『今昔物語集』（一一二〇年頃か）に「かか」と笑う例が見える。四字の「呵呵大笑」は禅の語録に用例があり、『景徳伝灯録』（一〇〇四年成立）巻十二の桐峯庵主の章に「僧出で首を廻らして曰く、且く待て且く待てと。師呵呵大笑す」とある。よく知られるのは『碧巌録』第六十八則で、仰山慧寂が三聖慧然に「汝が名は什麼ぞ」と問うと三聖は仰山自身の名「慧寂」と答え、仰山が「慧寂は我なり」と言うと三聖は「我が名は慧然」と返す——この応酬の結びが「仰山呵呵大笑」である。ただし同じ問答を載せる『景徳伝灯録』巻十二の三聖慧然章では「仰山大笑而已」となっており、「呵呵大笑」の語形は『碧巌録』のもの。この語を出典として挙げる四字熟語辞典が『景徳伝灯録』の名を出すのは、そのためやや不正確になる。日本語の用例は、精選版日本国語大辞典が『中華若木詩抄』（一五二〇年頃）の「そこで呵々大笑して、別れた也」を初出に挙げ、森田草平『煤煙』（一九〇九）にも見える。",
      "originSource": "『景徳伝灯録』（一〇〇四）巻十二 桐峯庵主章「師呵呵大笑」／『碧巌録』第六十八則「仰山呵呵大笑」（仰山慧寂と三聖慧然の問答。同じ問答を載せる『景徳伝灯録』巻十二 三聖慧然章の語形は「仰山大笑而已」）／「呵呵」の漢籍用例は『晋書』石季竜載記下、日本での初出用例は『中華若木詩抄』（一五二〇年頃）（いずれも精選版日本国語大辞典）",
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    {
      "slug": "kakeru-soar",
      "word": "翔",
      "reading": "かける",
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      "meaning": "鳥が大空を飛び回るように、自由にのびのびと羽ばたいていく姿勢を表す一文字。制約にとらわれず、大きな可能性に向かって進む姿を象徴する。",
      "origin": "座右の銘としての一文字「翔」については、出典は特定されていない。特定の人物の言葉や故事に紐づくという記録は確認できない。漢字としては「羽」に音符「羊」を組み合わせた形声文字で、後漢の字書『説文解字』羽部は「翔は回飛なり」と記す。翼を広げたまま旋回して飛ぶことを指し、上下に羽ばたく「翱（こう）」と重ねて「翱翔」の形で用いられた。『礼記』曲礼には、鳥が翼を広げるように両手を張って進む所作を「翔」と表す用法も見える。日本語では音読み「ショウ」、訓読み「かける」「とぶ」（漢字ペディア）。常用漢字表には含まれず、1981年10月に人名用漢字へ加えられて以降、名づけに広く使われる字になった。座右の銘として掲げる「翔」は、この「翼を広げて高く飛ぶ」という字義に基づくもので、特定の出典に紐づく用法ではない。",
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    {
      "slug": "kakka-souyou",
      "word": "隔靴掻痒",
      "reading": "かっかそうよう",
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      "meaning": "靴の上からかゆい所をかくように、核心に手が届かずもどかしいこと。あと一歩のところで肝心な部分に触れられない状態を言う。",
      "origin": "出典は南宋の禅書『無門関』（無門慧開編・1228年成立）の序。悟りを言葉の詮索で得ようとする態度を戒めた箇所で、「棒を掉（ふる）って月を打ち、靴を隔てて痒きを掻く」（原文「掉棒打月、隔靴爬癢」）と述べられている。棒を振り回して月を打とうとすることと並べ、見当違いで肝心なところに届かないたとえとして使われた表現である。原文の表記は「爬癢」で、四字熟語としては「掻痒」の字が一般化した。禅の灯史『景徳伝灯録』にも同じ趣旨の表現が見えるとして、巻二十二をあわせて典拠に挙げる辞典もある。日本語の文章での古い例としては、精選版日本国語大辞典が渋沢栄一『立会略則』（1871年）の序の「看者尚隔靴掻癢の患あらんことを恐れ」を挙げる。",
      "originSource": "『無門関』序",
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      "word": "覚悟",
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      "meaning": "これから起こる困難や不利を予想し、それを受け止める心の準備ができていること。「覚」も「悟」もさとる意の字で、もとは迷いを去って真理をさとることを指す仏教語だった。",
      "origin": "特定の故事や人物の言葉としての出典は特定されていない。ただしこの二字が仏教語に由来することは辞書と各宗派の解説が一致して述べている。精選版日本国語大辞典は「覚悟」の第一義を「迷いを去り、真実の道理を悟ること」とし、親鸞『教行信証』（1224年）の「爾者、斯等覚悟、皆以安養浄刹之大利、仏願難思之至徳也」を用例に挙げる。大谷大学の仏教用語解説は「覚も悟も同じく〈さとる〉ことだが、覚は不覚に、悟は迷に対して用いる」と字義を説明し、『涅槃経』の「仏とは、覚と名づく。既に自ら覚悟し、また能く他を覚す」を引く。つまり本来は「目が覚める」側の語で、決意や諦めの意味は含んでいなかった。もっとも現在の「心構え」の意味も古く、精選版は建久六年（1195年）の長門熊谷家文書に「あらかじめ心構えする」意の用例を挙げており、鎌倉初期にはすでに世俗の意味で使われていた。ほかに「記憶する」の意もあり、『徒然草』二三八段の「時にあたりて本歌を覚悟す」がその例である。同じ二字が、さとる・心構えする・あきらめる・覚える、と幅を広げてきた語だと分かる。",
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    {
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      "word": "換骨奪胎",
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      "meaning": "古い作品や考え方の骨組みを生かしながら、独自の工夫を加えてまったく新しいものに作り変えること。",
      "origin": "出典は北宋の僧・恵洪の詩話集『冷斎夜話』巻一の「換骨奪胎法」の条。詩人の黄庭堅（号は山谷）の言葉として、詩の意味は窮まりないが人の才には限りがあり、陶淵明や杜甫でも意を尽くしきれないと述べ、「不易其意而造其語、謂之換骨法。規模其意形容之、謂之奪胎法」（其の意を易えずして其の語を造る、之を換骨法と謂う。其の意を規模して之を形容する、之を奪胎法と謂う）と続ける。先人の詩の意味を保ったまま言葉を作り直すのが換骨、意味を手本にして表現を広げるのが奪胎で、同条は菊を詠んだ唐の鄭谷の句に王安石・蘇軾の句を並べて例を示している。「換骨」「奪胎」はもともと道教の語で、凡人の骨を仙人の骨に換え、胎を奪って生まれ変わることを言ったとされる。一説には、黄庭堅の言葉として引かれているのは才に限りがあるという前半までで、二つの法の定義は恵洪自身の説だとする研究もある。後に金の王若虚は、この詩法を巧妙な剽窃にすぎないと批判している。",
      "originSource": "恵洪『冷斎夜話』巻一「換骨奪胎法」（黄庭堅の言葉として引く）",
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      "word": "管鮑之交",
      "reading": "かんぽうのまじわり",
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      "meaning": "利害や損得を超えて、互いを深く理解し支え合う親密な友情のたとえ。中国の管仲と鮑叔の故事に由来する。",
      "origin": "中国・春秋時代の斉の管仲と鮑叔（鮑叔牙）の逸話に由来する。出典は『史記』管晏列伝で、『列子』力命篇にも関連する記述がある。若い頃に二人で商売をしたとき、管仲は利益を多く取ったが、鮑叔は管仲の家が貧しいことを知っていたため貪欲だとは責めなかった。戦で管仲が退いたときも、鮑叔は臆病だとは見ず、年老いた母がいるからだと理解したという。のちに二人は敵対する主君に分かれて仕えることになるが、勝者となった桓公のもとで、鮑叔は自分ではなく管仲を宰相に推挙した。管仲が「我を生みし者は父母、我を知る者は鮑子なり」と語ったと伝えられる一節が、この言葉の核になっている。日本でも古くから知られ、精選版日本国語大辞典は俳諧『路通真蹟』（1688年）の「管鮑のまじはり忘るる事なかれ」を用例に引く。",
      "originSource": "『史記』管晏列伝（ほかに『列子』力命篇）",
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      "word": "肝胆相照",
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      "meaning": "心の奥底まで打ち明け合い、互いに深く理解し合う親密な間柄。",
      "origin": "出典については複数の説明がある。日本国語大辞典と故事ことわざ辞典は、明代の児童向け教本『故事成語考』朋友賓主篇の「肝胆相照らす、斯れを腹心の友と為す」を挙げる。一方、故事成語を知る辞典は、秦の宝物庫から見つかった、人の体の中まで映す鏡の逸話（『西京雑記』巻三）に「胆を照らす」という表現の源を求め、まごころのたとえとしての「肝胆」と合わさって生じた表現かと推測している。また唐の韓愈「柳子厚墓誌銘」には、平時は「手を握り肺肝を出して相示し」生死を誓い合う者が、わずかな利害で掌を返すという一節があり、この語の出典として挙げる解説もあるが、原文は「肺肝」であって「肝胆相照」の四字そのものではない。「肝胆」は肝臓と胆嚢で、転じて心の奥底、真実の心を表す。日本では内田魯庵『政治小説を作るべき好時機』（一八九八年）の用例が早く、夏目漱石『吾輩は猫である』にも「大いに肝胆相照らして」と見える。",
      "originSource": "『故事成語考』朋友賓主",
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      "word": "邯鄲之夢",
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      "meaning": "うたた寝の間に見た栄華の夢が覚めてみればわずかな時間だったという故事のように、人の世の栄華がはかないことのたとえ。",
      "origin": "唐代の伝奇小説『枕中記』の故事に基づく。作者は沈既済とするのが通説で、八世紀後半ごろの作とされる（精選版日本国語大辞典は、李泌の撰と題する本もあることを付記している）。筋はおおよそ次のとおり。趙の都であった邯鄲の宿で、科挙に及第できず不遇を嘆く青年・盧生が、道士の呂翁から枕を借りて眠る。夢の中で盧生は立身出世して宰相にまで上り、浮き沈みを経ながら栄華を極めた五十余年を過ごす。ところが目覚めてみると、眠る前に宿の主人が炊いていた黄粱の飯がまだ炊き上がっていなかった。盧生はこれによって栄達を求める心のはかなさを悟る。同じ故事から「邯鄲の枕」「一炊の夢」「盧生の夢」とも言う。日本では『太平記』に「邯鄲午炊の夢」の形で引かれ、謡曲『邯鄲』の原拠となったほか（精選版日本国語大辞典・日本大百科全書）、芥川龍之介の短編『黄粱夢』もこの話を典拠とする（世界大百科事典）。「邯鄲之夢」はこの故事名を漢文風に四字で書いた形で、国語辞典の見出しは「邯鄲の夢」「邯鄲の枕」が一般的である。",
      "originSource": "『枕中記』（唐・沈既済）",
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      "word": "花前月下",
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      "meaning": "花が咲き月が輝く、男女が愛を語らうのにふさわしいロマンチックな情景。",
      "origin": "由来には二つの説がある。一つは唐の白居易の詩「老病」の「尽聴笙歌夜醉眠、若非月下即花前」（笙の音と歌を聴きながら夜は酔って眠る、月の下でなければ花の前で、の意）に基づくとするもの（漢典・百度百科）。もう一つは明の戯曲選集『群音類選』所収「紅葉記」の「花前月下、幾度も消魂し」の句を典源とするもの（台湾教育部『成語典』）。いずれの説でも、もとは花と月の美しい情景そのものを指し、のちに男女が愛を語らう場面を指す語へ転じたと説明される。語順を変えた「月下花前」の形も使われる。なお日本の主要な国語辞典・四字熟語辞典には見出しを確認できず、中国語の成語として使われる表現である。",
      "originSource": "一説に白居易「老病」／一説に『群音類選』所収「紅葉記」",
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      "word": "傾蓋知己",
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      "meaning": "出会ってすぐ、まるで昔からの友人のように打ち解けられる人。またそのような間柄。",
      "origin": "「傾蓋」は車のきぬがさを傾ける、つまり道で車を止めて語り合うことをいう。この所作の故事は『孔子家語』致思にある。孔子が郯へ向かう途中、道で程子に出会い、蓋を傾けて終日語り合い、たいそう親しくなった。孔子が子路に「束帛を取って先生に贈れ」と命じると、子路は「士は仲介なしには会わず、女は媒なしには嫁がないと聞いています」と渋った。孔子は『詩経』の「邂逅して相遇う、我が願いに適えり」を引き、「程子は天下の賢士である。ここで贈らなければ生涯会うことはできない」と言って贈らせたという。一方、四字熟語としての出典に『史記』魯仲連鄒陽列伝を挙げる辞典もある。讒言で投獄された鄒陽が獄中から梁の孝王に宛てた上書に「諺に曰く、白頭如新、傾蓋如故、と。何ぞ則ち。知ると知らざるとなり」——白髪になるまで付き合っても他人のような相手があり、車を止めて話しただけで旧知のようになる相手もある、違いは相手を知っているかどうかだ——とある。漢字ペディアとデジタル大辞泉は『孔子家語』を、四字熟語辞典オンラインは『史記』を挙げており、どちらを典拠とするかは辞典によって分かれる。",
      "originSource": "『孔子家語』致思（「白頭如新、傾蓋如故」の句は『史記』魯仲連鄒陽列伝。辞典により典拠の示し方が分かれる）",
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      "word": "慧眼",
      "reading": "けいがん",
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      "meaning": "物事の本質を鋭く見抜く、すぐれた眼力・洞察力。もとは仏教語で、その場合は「えげん」と読み、一切の現象は空であると見抜く智慧の目を指す。",
      "origin": "特定の故事に由来する語ではなく、もとは仏教語である。認識のはたらきを目にたとえて五種に分ける「五眼」——肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼——の三番目がこれで、『大智度論』巻三十三に説かれる。ここでの慧眼は「えげん」と読み、二乗の人がそなえる、一切の現象は空であると見抜く智慧の目を指す。精選版日本国語大辞典も「え‐げん【慧眼・恵眼】」を別項に立て、『法華義疏』（七世紀前半）序品の用例を引く。「けいがん」と読むときは日常語で、同辞典は「さとい眼力。鋭い活眼力。物事の本質を鋭く見抜く洞察力」と釈し、中村正直訳『西国立志編』（一八七〇‐七一年）の用例を挙げる。字の側から見ると、「慧」は形声で声符は彗。普及版字通は彗に彗星のようなほのかに光るものの意があるとし、訓義を「さとい、かしこい、あきらか」「ちえ」とする。同じ読みの「炯眼」は鋭く光る目が原義の別語だが、辞書では慧眼の言い換えとして並べて示される。",
      "originSource": "『大智度論』巻三十三（五眼の一つ「慧眼（えげん）」を説く仏教語としての典拠）／『法華義疏』序品・中村正直訳『西国立志編』（精選版日本国語大辞典が「えげん」「けいがん」それぞれの用例に挙げる）",
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      "word": "傾国傾城",
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      "meaning": "国や城を傾けてしまうほどの、絶世の美女のたとえ。",
      "origin": "『漢書』外戚伝の孝武李夫人の条に載る、李延年の歌に由来する。前漢の武帝に仕えた宮廷楽人の李延年が、武帝の前で「北方に佳人有り、絶世にして独立す。一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の国を傾く」と歌い、「城を傾け国を傾けると知らないわけではないが、佳人は二度と得がたい」と結んだ。武帝がそのような女性がいるのかと問うたことから李延年の妹が召され、のちの李夫人になったと伝えられる。つまりこの語は、はじめから美貌そのものを称える言葉としてあったのではなく、「城も国も失うと分かっていてなお惹かれてしまう」という危うさとひと続きで生まれている。「傾城傾国」と語順を入れ替えた形も同じ歌から出たもので、日本の辞書では両方が立項されている。「傾国」「傾城」がそれぞれ単独でも絶世の美女を指すのは、この歌の後半を切り取った用法である。",
      "originSource": "『漢書』外戚伝・孝武李夫人「北方有佳人、絶世而独立。一顧傾人城、再顧傾人国」",
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      "word": "蛍雪之功",
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      "meaning": "貧しい中でも蛍の光や雪明かりで勉強したという故事のように、苦労を重ねて学問に励んだ成果。",
      "origin": "中国・東晋の車胤（しゃいん）と孫康（そんこう）という二人の逸話が結びついた言葉。『晋書』車胤伝に「家貧しくして常には油を得ず、夏月には則ち練嚢に数十の蛍火を盛りて以て書を照らす」とあり、灯火用の油が買えない車胤が、夏の夜に薄絹の袋へ蛍を集めてその光で書を読んだと記す。一方、雪明かりで読書したという孫康の話は『晋書』には見えず、『蒙求集註』が引く『孫氏世録』などの伝えによる。唐の李瀚が編んだ『蒙求』が「孫康は雪に映じ、車胤は蛍を聚む」と二人を並べたことで対句として定着し、日本にも『蒙求』を通じて伝わった。唱歌「蛍の光」の歌い出しや、旺文社の受験誌『螢雪時代』の誌名もこの故事に由来する。二つの逸話は出所の重みが異なり、孫康の側は正史に基づかない点は押さえておきたい。表記は「蛍雪の功」の形が一般的。",
      "originSource": "『晋書』車胤伝、『蒙求』（孫康の逸話は『孫氏世録』の伝）",
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        "努力・継続",
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      "slug": "keiten-aijin",
      "word": "敬天愛人",
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      "meaning": "天を敬い、人を愛することを大切にするという考え方を表す言葉。幕末から明治にかけて活躍した西郷隆盛が生涯を通じて重んじた思想として、『南洲翁遺訓』にまとめられている。",
      "origin": "幕末から明治にかけての薩摩藩士・西郷隆盛（1828〜1877年）が座右の銘として掲げた言葉として知られる。旧庄内藩の関係者が西郷から聞いた話をまとめ、1890年（明治23年）に刊行された『南洲翁遺訓』に「敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ」とある。天は他人も自分も同じように愛するのだから、自分を愛する心をもって人を愛せ、という趣旨で語られる。ただし四字そのものの初出は西郷ではなく、啓蒙思想家・中村正直が明治元年に著した「敬天愛人説」とされる。研究者の井田好治は、西郷の敬天愛人が中村正直訳『西国立志編』（サミュエル・スマイルズ『自助論』の翻訳）に由来すると推測している。西郷がこの言葉を用いたのは晩年で、現存する揮毫は明治7〜8年頃のものとみられる。",
      "originSource": "『南洲翁遺訓』（1890年刊、旧庄内藩関係者の編）／四字の初出は中村正直「敬天愛人説」（明治元年）とされる",
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        "かっこいい座右の銘",
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        "スピーチで使うとき",
        "面接で聞かれたとき"
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      "word": "継続は力なり",
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      "meaning": "一つのことを途中で投げ出さず、地道にコツコツと続けていくことこそが、やがて大きな成果や実力へとつながっていくという意味。努力の積み重ねを尊ぶ考え方を表す。",
      "origin": "出典は特定されていない。浄土真宗の宗教家・住岡夜晃が著した『讃嘆の詩』の中に「念願は人格を決定す 継続は力なり」という一節があり、これが由来だとする説が広く流布している。ただし、この一節が実際に「継続は力なり」という言葉そのものの発祥かどうかを裏づける独立した資料は乏しく、Wikipediaなどでも出典の正確性に疑問が呈されている。一方で、教育者・平松折次が標語として掲げていた言葉だとする別の説も存在し、どちらが真の起源かは確定していない。特定の人物や書物に断定的に帰属させることはできず、複数の説が並立する状態にあると理解しておきたい。",
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        "スポーツの目標に"
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      "word": "捲土重来",
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      "meaning": "一度敗れたり失敗したりした者が、勢いを盛り返して再び挑むこと。",
      "origin": "唐の詩人・杜牧（803〜853）の七言絶句「題烏江亭」（烏江亭に題す）の結句「捲土重来未だ知る可からず」に由来する。烏江は、秦末の楚漢の争いで劉邦に敗れた項羽が自刎したとされる地で、杜牧はその古跡を訪れてこの詩を詠んだ。「勝敗は兵家も事期せず」（勝敗は戦の専門家にも読み切れない）と起こし、恥を忍んで江東へ渡り、才ある若者たちとともに態勢を立て直していれば、土煙を巻き上げて再び攻め上る目もあったのではないか、と項羽が早々に命を絶ったことを惜しむ内容である。「捲土」は土を巻き上げるほどの勢い、「重来」は再びやって来ること。原詩では「巻土重来」と書かれ、日本では「捲土重来」の表記が定着した。読みは「けんどちょうらい」「けんどじゅうらい」の両方が行われている。",
      "originSource": "杜牧「題烏江亭」（唐）",
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    {
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      "word": "堅忍不抜",
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      "meaning": "どんな困難があっても心を強く保ち、我慢強く耐え抜く様子を表す言葉。逆境に負けず粘り強く目標に向かい続ける姿勢を示す。",
      "origin": "北宋の文人・蘇軾（そしょく、1037〜1101年）の論文『晁錯論』の一節「古之立大事者、不惟有超世之才、亦必有堅忍不抜之志」（古の大事を立つる者は、惟だ超世の才有るのみならず、亦た必ず堅忍不抜の志有り）に基づく。前漢の政治家・晁錯の失脚を論じた文章で、大きな事業を成し遂げた者は並外れた才能を持つだけでなく、必ず耐え抜いて志を曲げない心を備えていた、という趣旨である。「堅忍」は堅く耐え忍ぶこと、「不抜」は引き抜かれない、すなわち揺るがないことを指す。日本語の文献での早い使用例としては、中村正直が訳した『西国立志編』（1870〜71年）に「また勇気世を蓋ひ、堅忍不抜の志ある人なり」とあり、明治期の修養書を通じて広まったとみられる。",
      "originSource": "蘇軾『晁錯論』（北宋）／中村正直訳『西国立志編』（1870〜71年、日本語での早い使用例。『精選版 日本国語大辞典』所収）",
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      "word": "気炎万丈",
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      "meaning": "燃え盛る炎のように、意気込みや勢いが非常に盛んなこと。",
      "origin": "出典は特定されていない。中国古典の一節を典拠に挙げる資料は確認できず、故事に結びつける記録も見当たらない。「気炎」は燃え上がる炎にたとえた盛んな意気込みのことで、「気焔万丈」とも書く。「丈」はもともと長さの単位で、「万丈」はその一万倍、つまり計り知れないほど高いことを表す。上がる意気を、高く燃え立つ炎の高さになぞらえた表現であり、意気込みが言葉や態度になって外に噴き出している状態を指す。「気炎を上げる」「気炎を吐く」という慣用表現も同じ「気炎」を使う。",
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      "word": "気概",
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      "meaning": "困難を前にしても、自分から立ち向かおうとする強い意気込み。耐え抜いた結果ではなく、これから引き受けようとする姿勢のほうを指す。",
      "origin": "出典は特定されていない。この語の成立を特定の故事や人物の言葉に結びつける資料は確認できない。精選版日本国語大辞典は語義を「意気がはげしく勇ましいこと。困難にくじけない強い意志。また、その気性」とし、漢籍の用例として『北史』崔光伝を挙げる。日本語の文献での早い実例は『史記抄』（1477年）の「いかい気槩のほどは見へたぞ」で、室町期にはすでに使われていたことが分かる。近代では坪内逍遙『諷誡京わらんべ』（1886年）に「兎角日本人は気慨（キガイ）に乏しい」という用例がある。字としては「気」（精神の勢い）に「概」を重ねたもので、「概」は升に盛った穀物の表面を平らにならす棒（斗掻き棒）を表す字とされ、そこから「おおむね」「ようす」の意が派生した。字書『字通』はこの語を「意気と節操」「気節」と釈しており、勢いだけでなく守るべき筋を含む語として扱っている。",
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      "word": "奇奇怪怪",
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      "meaning": "常識では到底理解できないほど、極めて奇妙で不思議なこと。「奇怪」の二字をそれぞれ重ねて意味を強めた語。",
      "origin": "「奇怪」の「奇」と「怪」をそれぞれ重ね、意味を強めた語。四字熟語辞典の多くは出典に唐の韓愈「送窮文」を挙げるが、原文で該当するのは「文窮」を説明する「一能に専らならず、怪怪奇奇、時に施すべからず、祗だ以て自ら嬉しむ」の一節で、語形は「怪怪奇奇」であって「奇奇怪怪」ではない（維基文庫・古詩文網の本文で確認）。「奇奇怪怪」の四字の形で原典に確認できるのは下って明の『封神演義』三教大会万仙陣の「奇奇怪怪の人」や清の『紅楼夢』で、「『奇怪』は『史記』の昔から漢籍にある熟語だが、『奇奇怪怪』は明・清の白話小説にようやく現れる」とする解説もある。日本語での用例は、精選版日本国語大辞典が漢詩の注釈書『中華若木詩抄』（一五二〇年頃）の「其辺の山や峯は、常にかわりて、奇々怪々として、重々にあるぞ」を初出に挙げ、徳富蘆花『思出の記』（一九〇〇-〇一）の「実に奇々怪々な現象であった」、富沢有為男『法廷』（一九三八）にも見える。",
      "originSource": "四字熟語辞典類（四字熟語辞典オンライン・四字熟語の百科事典ほか）は唐・韓愈「送窮文」を出典に挙げるが、原文の語形は「怪怪奇奇」／四字「奇奇怪怪」の形は明『封神演義』・清『紅楼夢』などの白話小説に確認できる／日本での初出用例は『中華若木詩抄』（一五二〇年頃）（精選版日本国語大辞典）",
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      "word": "気骨",
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      "meaning": "自分が正しいと信じることを、どんな圧力にも屈せず貫こうとする強い心。同じ表記を「きぼね」と読むと「気苦労」というほぼ正反対の意味になる。",
      "origin": "出典は特定されていない。この語を特定の人物の言葉や故事に結びつける資料は確認できず、辞書も語義と用例を示すにとどまる。字の組み合わせとしては「気」（精神の働き）に「骨」（からだを支える芯）を重ねたもので、精神に芯が通っているさまを骨に見立てた言い方である。精選版日本国語大辞典が挙げる早い実例は抄物『四河入海』（17世紀前）の「詩を作らば、此様に詩人の気骨に似んことを学で作り入てこそよけれ」で、近代では内田魯庵『社会百面相』（1902年）の「苟くも気骨のある丈夫の風上に置くもんぢゃないぞ」がある。なお同じ二字を「きぼね」と読むと「心づかい・気苦労」の意になり、中勘助『銀の匙』（1913〜15年）の「気ぼねと遠みちとでへとへとに疲れたあげく」のように、多く「気骨が折れる」の形で使われる。読みによって評価が正反対になる、珍しい語である。",
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      "word": "勤倹力行",
      "reading": "きんけんりっこう",
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      "meaning": "仕事に励み、無駄を省いて倹約しながら、誠実に実行していくこと。",
      "origin": "出典は特定されていない。中国の古典にこの四字を一語として載せる記述は確認できず、成立の経緯を示す資料も見当たらない。よく働いて倹約する意の「勤倹」と、力を尽くして実行する意の「力行」という、それぞれ独立して使われてきた二字熟語を組み合わせた表現である。うち「力行」は『中庸』第二十章の「力行は仁に近し」に見える語で、知識ではなく実践を重んじる文脈で古くから使われてきた。日本語での用例としては、精選版日本国語大辞典が人見一太郎『第二之維新』（1893年）の「勤倹力行自ら奉ずる頗る薄かりしが故に」を引いており、明治期には熟した表現として通用していたことがわかる。読みは「きんけんりっこう」のほか「きんけんりきこう」「きんけんりょっこう」も行われる。",
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      "word": "金蘭之契",
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      "meaning": "心を一つにすれば金をも断ち切り、その言葉は蘭のように芳しく香るという、固く美しい友情の絆。",
      "origin": "「金蘭」の比喩は『易経』繋辞上伝に遡る。同伝の第八章は易の爻辞を引いて孔子の言を添える体裁をとり、同人の卦の一節に続けて「子曰く、君子の道は、或いは出で或いは処り、或いは黙し或いは語る。二人心を同じくすれば、其の利きこと金を断つ。同心の言は、其の臭蘭の如し」と記す。心を一つにした二人の鋭さは金属をも断ち、その言葉は蘭のように香るという意で、精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉・普及版字通はいずれもこの一節を「金蘭の契り」の出典に挙げる。人物の逸話ではなく卦辞への注釈である点は、由来を語るときに押さえておきたい。日本での受容は早く、精選版日本国語大辞典は「金蘭」の項に『懐風藻』（七五一年）の長屋王の詩「金蘭の賞を愛すること有り、風月の筵に疲るること無し」を引き、「金蘭の契り」の形では江戸後期の俳文集『鶉衣』の用例を挙げる。",
      "originSource": "『易経』繋辞上伝",
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      "word": "琴瑟相和",
      "reading": "きんしつそうわ",
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      "meaning": "琴と瑟という二つの楽器がよく調和して美しく響き合うように、夫婦の仲がむつまじいこと。結婚の祝辞などで、息の合った夫婦の暮らしを祝う語として使う。",
      "origin": "出典は中国最古の詩集『詩経』小雅「常棣」。この詩は「凡今之人、莫如兄弟」（凡そ今の人、兄弟に如くは莫し）とうたう兄弟の情愛を主題とした作品で、その一章に「妻子好合、如鼓瑟琴」（妻子好く合うこと、瑟琴を鼓するが如し）とあり、すぐ後に「兄弟既翕、和楽且湛」と兄弟の和合が続く。妻や子と睦まじいさまを、琴と瑟の合奏にたとえた句である。日本の辞書はこの句を「琴瑟を鼓するが如し」の形で引いている。原典に「琴瑟相和」の四字が並んでいるわけではなく、この比喩から「琴瑟相和す」という言い回しが生まれ、四字熟語としても扱われる。『詩経』周南「関雎」にも「窈窕淑女、琴瑟友之」（窈窕たる淑女は琴瑟もて之を友とす）という句があり、琴瑟は男女の親しい交わりのたとえとしても使われてきた。「瑟」は琴より大型の弦楽器。日本語の用例は、正岡子規の随筆『筆まかせ』に「琴瑟相調はず」の形で見える（『精選版 日本国語大辞典』）。",
      "originSource": "『詩経』小雅「常棣」",
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      "word": "Knowledge is power.",
      "reading": "ナレッジ イズ パワー",
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      "meaning": "「知は力なり」という意味の英語の格言。正しい知識を持つことが、物事を動かすための力になるという考え方。フランシス・ベーコンの言葉として知られるが、ベーコンが書いたのはラテン語の「ipsa scientia potestas est」で、「scientia potentia est」の形はトマス・ホッブズによる。",
      "origin": "たどれる最も古い一句は、フランシス・ベーコンが1597年に著した『聖なる瞑想（Meditationes Sacrae）』のラテン語「nam et ipsa scientia potestas est」（知識それ自体もまた力である）で、神の知と力について論じた文脈に置かれている。一方、格言としてよく引かれるラテン語の形「scientia potentia est」が確認できるのは、若い頃ベーコンの秘書を務めたトマス・ホッブズが1668年に出したラテン語版『リヴァイアサン』第1部第10章で、そこでは「Scientia potentia est, sed parva」——知は力である、だが小さな力だ——と続き、優れた知は稀で目立たないために力として認められにくい、という趣旨で語られている。つまり「知は力なり」として流通している言い方は、ベーコンの一句とホッブズの言い回しが重なって定型化したもので、ベーコン自身がこの形で書いたわけではない。知識が力になるという考え自体はさらに古く、旧約聖書『箴言』24章5節にも「知識ある人は力を増す」という一節がある。",
      "originSource": "フランシス・ベーコン『Meditationes Sacrae』（1597年）「ipsa scientia potestas est」／トマス・ホッブズ ラテン語版『リヴァイアサン』（1668年）第1部第10章「Scientia potentia est」",
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      "word": "刻苦勉励",
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      "meaning": "苦労を重ねながらも、学業や仕事に一心に励むこと。",
      "origin": "四字熟語としての出典は特定されていない。中国古典の特定の一節を典拠として挙げる資料は確認できず、故事に結びつける記録も見当たらない。「刻苦」は身を刻むように心身を苦しめて努めること、「勉励」はつとめ励むことで、意味の近い二つの熟語を重ねて強めた形と考えられる。日本語での使用は近代以降にさかのぼることができ、精選版日本国語大辞典は森有礼『教育論』（1879年）の「其義を解するに至る迄刻苦勉励過多の年数を費さざれば」を早い用例として引いている。学制が整えられていく時期に、学業へ打ち込む姿勢を語る言葉として使われていたことがうかがえる。",
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        "部活で使うとき"
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      "word": "心",
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      "meaning": "物事に取り組むときの気持ちのあり方そのものを大切にする姿勢を表す一文字。技術や結果以上に、真剣な心構えを重んじる考え方の象徴として使われる。",
      "origin": "出典は特定されていない。座右の銘として一文字の「心」を掲げることが、特定の人物の言葉や故事に始まるという記録は確認できない。漢字としての「心」は心臓の形にかたどった象形字で、周代の青銅器に鋳込まれた金文に、心臓をかたどった字形が残る。『説文解字』はこの字を「人の心なり。土藏、身の中に在り。象形」と説明する。「土藏」という言い方は、当時のすべてを五行に配当する考え方によるもので、心臓が体の中心にある臓器だという認識がその前提にある。古代中国では心臓が思考と感情の座と考えられており、この字が精神のはたらき全般を指すようになったのはそのためである。思想のうえでの用例として広く知られるのは『大学』（『礼記』大学篇）伝七章の「心焉に在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず」で、心がそこに無ければ、目も耳も口も働いていないのと変わらないと説く。日本語では「心技体」のように、技術や体力と並ぶ精神面を指す使われ方が定着している。",
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      "meaning": "将来こうありたいと心に決めた目標や目的意識のこと。座右の銘として一文字で掲げ、常に高い目標を意識し続ける姿勢を表す。",
      "origin": "出典は特定されていない。座右の銘として一文字の「志」を掲げることが、特定の人物の言葉や故事に始まるという記録は確認できない。漢字としての「志」は、心を意味の部分、「之」を音の部分とする形声字で、『説文解字』はこの字を「意なり」と釈し、心と之から成ると説明する。「之」はもともと足が地面を離れて出ていく形で「行く」を表した字であり、心がある方向へ向かっていくことがこの一字の骨格になっている。現在の楷書で上部が「士」の形に見えるのは、この「之」が変形したものである。思想のうえでの用例は古く、『論語』為政篇の「吾十有五にして学に志す」は、孔子が自分の生涯を振り返る一節の起点にこの字を置いたものとして知られる。子罕篇の「三軍も帥を奪うべきなり、匹夫も志を奪うべからず」は、軍の総大将は奪えても、一人の人間が心に決めたものは誰にも奪えないと説く。この一字が指してきたのは、抱いた願いの大きさではなく、心が向かう方向が定まっていることのほうである。",
      "originSource": "",
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        "一文字の座右の銘"
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    {
      "slug": "kokou",
      "word": "孤高",
      "reading": "ここう",
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      "meaning": "群れに交わらず、ひとり抜きん出て高いところにいること。孤立しながら自分の志を守り続けるさま。",
      "origin": "特定の故事に由来する語ではないが、来歴は漢詩までさかのぼる。普及版字通は「孤高」を「ひとり群を抜いて高い」と釈し、李白『行路難』三首の其三から「含光混世貴無名、何用孤高比雲月」——光を包んで世に混じり無名であることを貴ぶ、なぜ孤高であって雲や月に肩を並べる必要があろうか——を引く。ここでの孤高は称賛ではなく、才を隠して世に紛れよという文脈で退けられている側の語である。精選版日本国語大辞典は唐の高適『同諸公登慈恩寺浮図』の「登臨駭孤高」（登り臨みて孤高に駭く）も挙げており、もとは塔の高さのような物理的な高さにも使われた。日本語の文献での早い用例として同辞典が挙げるのは『六如庵詩鈔』二編（1797年）の「出語孤高動忤俗、人道我狂吾不狂」で、ここでも孤高であることと世間に逆らうことがひと続きに語られている。坂口安吾『大阪の反逆』（1947年）の「孤高の文学という。然し、真実の孤高の文学ほど万人を愛し万人の愛を求め愛に飢えているものはないのだ」も同辞典の用例で、孤高が孤立の自足ではないことを言い当てている。",
      "originSource": "李白『行路難』三首其三「含光混世貴無名、何用孤高比雲月」（普及版字通が「孤高」の項に引く）",
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    {
      "slug": "kouin-ya-no-gotoshi",
      "word": "光陰矢の如し",
      "reading": "こういんやのごとし",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "月日が過ぎ去るのは、矢が飛んでいくように速いということわざ。時間は貴重であり、無駄に過ごさず大切に使うべきだという戒めを表す。",
      "origin": "中国由来の表現で、漢文では「光陰如箭」と書く。「光陰」は日（光）と月（陰）、すなわち月日のことで、それが矢のように飛び去ると言っている。出典には諸説あり、『岩波ことわざ辞典』は禅僧の詩偈を集めた『禅門諸祖偈頌』に「光陰箭の如し」の表記が見えるとし、『漢文名言辞典』は北宋の蘇軾の詞「行香子・秋興」の「朝来庭下、光陰如箭」を挙げる。どちらか一方に断定できる資料は確認できない。日本では南北朝期頃の『曾我物語』に「くゎうゐん矢のごとし」の用例があり、古くから読み下しの形で使われてきた。なお唐の李益の詩「遊子吟」を出典とする説明がインターネット上に広く見られるが、『全唐詩』所収の同詩に「光陰如箭」の語はなく、根拠が確認できない。",
      "originSource": "『禅門諸祖偈頌』または蘇軾「行香子・秋興」（諸説あり。どちらか一方に断定できる資料は確認できていない）",
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        "スピーチで使うとき"
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    {
      "slug": "koutou-mukei",
      "word": "荒唐無稽",
      "reading": "こうとうむけい",
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      "meaning": "話の内容が現実離れしていて、まったく根拠がなくでたらめなこと。",
      "origin": "四字の形での初出は特定されていないが、二字ずつの語はいずれも中国古典にさかのぼる。「荒唐」は『荘子』天下篇で荘周の言論を評した「謬悠の説、荒唐の言、無端崖の辞を以てす」の一句に見える。とりとめがなく果てしのない語り口という意味で、ここでの荒唐は非難ではなく、常識の枠に収まらない荘子の文体への評価である。一方の「無稽」は『書経（尚書）』大禹謨の「無稽の言は聴くこと勿れ、詢らざるの謀は庸いること勿れ」から。「稽」はかんがえる・照らし合わせるの意で、無稽とは照合すべき根拠がないことを言う。舜が禹を戒めた言葉のなかに置かれており、こちらは明確に「聞くに値しない」という戒めである。評価の語と戒めの語が組み合わさったうえで、日本語では後者に寄って「根拠がなくでたらめ」という否定の意味に固まった。荘子側の含みは残っていないため、褒め言葉として使う余地はない。",
      "originSource": "「荒唐」は『荘子』天下篇「謬悠之説、荒唐之言、無端崖之辞」／「無稽」は『書経（尚書）』大禹謨「無稽之言勿聴、弗詢之謀勿庸」（四字熟語としての初出は特定されていない）",
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    {
      "slug": "ku-areba-raku-ari",
      "word": "苦あれば楽あり",
      "reading": "くあればらくあり",
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      "meaning": "つらく苦しいことがあれば、その後には必ず楽しいことや良いことがやってくるということわざ。今の苦労もいつか報われると信じて前向きに頑張る姿勢を表す。",
      "origin": "出典は特定されていない。特定の古典や人物の言葉に遡れる記録は確認できず、故事ことわざ辞典の類でも出典欄は空のまま扱われている。対になる「楽あれば苦あり」が江戸いろはがるたの札として採録されており、二つを続けた「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」の形で古くから並び称されてきた。同じ趣旨の言い回しには「楽は苦の種、苦は楽の種」がある。近代の用例としては、林芙美子の小説『お父さん』（1947年）に「おとうさんが、楽あれば苦あり、苦あれば楽ありとおっしゃったことが」という一節があり、遅くともこの頃には家庭で語り継がれる教訓として定着していたことがうかがえる。ただし、いつ誰の言葉として生まれたのかを示す資料は確認できていない。",
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        "スポーツの目標に"
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    {
      "slug": "kyoan-seibi",
      "word": "挙案斉眉",
      "reading": "きょあんせいび",
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      "meaning": "妻が夫を敬い、夫婦が互いに礼を尽くして仲良く暮らすこと。",
      "origin": "『後漢書』逸民列伝の梁鴻伝に見える故事による。後漢の梁鴻は学識に優れながら官には仕えず、妻の孟光とともに世を避けて暮らした人物である。皇帝を風刺する詩を作って追われ、姓名を変えて呉の地に移り、豪族の皋伯通の家の軒下に住んで、人に雇われて米を搗く暮らしをしていた。伝には「人の為に賃舂す。帰る毎に、妻食を具え、敢えて鴻の前に仰ぎ視ず、案を挙ぐること眉に斉しくす」とある。「案」は食事をのせる膳のことで、孟光は夫の顔を見上げようともせず、膳を自分の眉の高さまで捧げ持って差し出した、という描写である。雇い人にこれほどの礼を尽くさせる者が只者であるはずがないと驚いた皋伯通は、梁鴻の一家を自邸に迎え入れたという。ここから「挙案斉眉」は、妻が夫を敬うこと、転じて夫婦が互いに礼を尽くして睦まじく暮らすことのたとえとして使われるようになった。",
      "originSource": "『後漢書』逸民列伝・梁鴻伝「為人賃舂、毎帰、妻為具食、不敢於鴻前仰視、挙案斉眉」",
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        "恋愛の四字熟語",
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    {
      "slug": "kyokugaku-asei",
      "word": "曲学阿世",
      "reading": "きょくがくあせい",
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      "meaning": "学問の真理を曲げてまで、世間や権力者の気に入るような言動をすること。学者としての筋を通さず、時勢に迎合する姿勢を指す。",
      "origin": "出典は『史記』儒林列伝。前漢の武帝が即位して賢良の士を召し出したとき、九十歳を超えていた老学者の轅固生（えんこせい）も再び召された。同じく召された若い学者の公孫弘が轅固生を見下すような目を向けたのに対し、轅固生は「公孫子、務めて正学を以て言え、学を曲げて以て世に阿（おもね）ること無かれ」（公孫先生、正しい学問に基づいて発言しなさい。学問を曲げて世間に迎合してはならない）と諭した。この一節が四字に縮められて成語になった。同じ文は『漢書』儒林伝にも見える。「阿」はおもねる、へつらうの意。日本でこの語が広く知られるようになったのは、1950年5月、首相の吉田茂が、全面講和を主張した東京大学総長の南原繁を「曲学阿世の徒」と評したことによる。",
      "originSource": "『史記』儒林列伝",
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      "slug": "kyoshin-tankai",
      "word": "虚心坦懐",
      "reading": "きょしんたんかい",
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      "meaning": "先入観やわだかまりを捨て、素直でおおらかな心でいること。",
      "origin": "出典は特定されていない。四字熟語としての古い漢籍の用例は確認されておらず、日本国語大辞典が挙げる早い用例は里見弴『桐畑』（一九二〇年）の「虚心坦懐に話すことが出来た」である。構成要素のうち「虚心」は古典によく見える言葉で、『老子』第三章の「其の心を虚しくして、其の腹を実たす」（原文「虚其心、実其腹」）がよく知られる。一方の「坦懐」には古い典故がなく、「坦」は平らであること、「懐」は心を表し、好き嫌いにとらわれない平らな心という字義を持つ。四字熟語を知る辞典はこれを、似た意味の言葉を二つ重ねた熟語と説明している。近代以降は大岡昇平『俘虜記』（一九五二年）、小林秀雄『真贋』（一九七七年）などにも使用例がある。",
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    {
      "slug": "kyouji",
      "word": "矜持",
      "reading": "きょうじ",
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      "meaning": "自分の能力や立場をすぐれたものとして誇り、それを保ち続ける気持ち。誇り、プライド。慣用読みで「きんじ」とも読む。",
      "origin": "精選版日本国語大辞典は「矜持・矜恃」の項に、漢籍の出典として『呉志』（『三国志』呉書）陸遜伝を挙げる。そこでは劉備軍を迎え撃つ呉の諸将が「諸将軍は或いは是れ孫策の時の旧将、或いは公室の貴戚にして、各自矜恃し、相ひ聴従せず」——古参や公室の縁者であるそれぞれが自分を誇って、互いに命令を聞かなかった——と描かれ、若い陸遜が剣に手をかけて彼らを制する場面へつながる。「矜」は誇る、「持」（恃）は保つ・たのむという字義を持ち、二字で自分の価値を高く持し続けることを言う。同辞典が語釈に「自分の能力をすぐれたものとして、他に誇ること。尊大、荘重な態度をとること」と両面を並べているとおり、この語はもともと誇りが過ぎた状態まで射程に入れていた。日本語の文献では伊藤仁斎『童子問』（1707年）の「専持敬者、特事矜持、外面斉整」が同辞典の挙げる早い用例で、ここでも外面を整えることと並べて語られている。読みは本来「きょうじ」で、「きんじ」は慣用読みだが、萩原乙彦『音訓新聞字引』（1876年）に「矜持 キンヂ タシナミ」とあり、この読みも新しいものではない。",
      "originSource": "『三国志』呉書・陸遜伝（精選版日本国語大辞典が「矜持・矜恃」の項に挙げる漢籍出典）",
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    {
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      "word": "蒔かぬ種は生えぬ",
      "reading": "まかぬたねははえぬ",
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      "meaning": "種をまかなければ芽は出ないように、自分から行動を起こさなければ、良い結果は得られないということわざ。",
      "origin": "出典は特定されていない。特定の人物の発言や古典の一節に遡れる記録は確認できず、故事ことわざ辞典の類でも出典欄は空のまま扱われている。『上方いろはかるた』の札の一つとして採録されており、かるたを通じて広く覚えられた言い回しと考えられるが、成立の時期を示す資料は確認できていない。言葉そのものは農事をそのまま写したもので、種を蒔かなければ芽は出ず収穫もない、という当たり前を、原因のないところに結果は生じないという教訓に重ねている。同じ発想の言い回しには「打たぬ鐘は鳴らぬ」「春植えざれば秋実らず」があり、逆の側から言った「棚から牡丹餅」と対にして覚えられてきた。",
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    {
      "slug": "makoto",
      "word": "誠",
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      "meaning": "偽りやごまかしがなく、まごころを尽くして人や物事に真摯に向き合う姿勢のこと。誠実さや正直さを重んじる価値観を表し、座右の銘として一文字で掲げられることも多い。",
      "origin": "出典は特定されていない。座右の銘としての「誠」は、特定の一つの物語や人物に由来するものではなく、複数の文脈で重んじられてきた文字である。儒教の経典『中庸』には「誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり」とあり、偽りのない真心を尽くすことを天地の道理と結びつけて説いている。また幕末には新選組が隊旗に「誠」の一字を掲げ、正直であること・約束を違えないこと・仲間を思いやることの象徴としたことでも広く知られる（ただし新選組がこの一字を選んだ具体的な経緯を裏づける記録は確認できなかった）。このように「誠」は儒教思想から武士・志士の精神まで幅広い文脈で用いられてきた文字であり、座右の銘として選ぶ場合も特定の出典に紐づくものではなく、誠実さそのものを重んじる普遍的な価値観の表現と捉えるのが妥当である。",
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      "word": "明",
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      "meaning": "物事の本質を曇りなく見通す明るく澄んだ心を表す一文字。誠実さや聡明さを重んじ、明るく前向きな姿勢を貫くことの象徴として使われる。",
      "origin": "一字の座右の銘として「明」を掲げることの出典は特定されていない。特定の人物の言葉や故事に始まるという記録は確認できない。字の成り立ちについては『角川新字源 改訂新版』が「もと、明・朙の二体があり、ともに会意」とし、明は日と月とから成って「あかるい」意を表し、朙は月と囧（窓の形）とから成って窓に月光がさしこむさまを表す、のち明の字形に統一された、と説明する（漢字ペディア）。現行の楷書「明」は日と月の合字ではなく朙の系統を継いだもので、囧が隷書で目に、楷書で日に変わった結果だとする説もある（ウィクショナリー日本語版、裘錫圭『中国漢字学講義』に拠る記述）。古典でこの字が担ってきたのは、明るさという状態よりも「明らかにする」という働きのほうである。『礼記』大学篇は「大學之道、在明明德、在親民、在止於至善」と始まり、ここでの一つ目の明は徳を明らかにする動詞として使われている。『論語』顔淵篇には子張がこの一字を問う章があり、孔子は「浸潤之譖、膚受之愬、不行焉、可謂明也已矣」と答えた。じわじわ染み込むような中傷も、肌を刺すような訴えも通用しない、それを明と言う、という意である。明るい人柄ではなく、惑わされずに見分ける側に重心がある。",
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    {
      "slug": "meikyou-shisui",
      "word": "明鏡止水",
      "reading": "めいきょうしすい",
      "pillar": "yoji-jukugo",
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      "meaning": "曇りのない鏡や静かに澄んだ水のように、邪念や迷いのない澄み切った心の状態を表す言葉。武道やスポーツの場面で、集中力を高めるための心構えとしてよく使われる。",
      "origin": "出典は『荘子』の徳充符篇。ただし原典に「明鏡止水」という四字が並んで現れるわけではなく、同じ篇に出てくる二つの比喩が後世に組み合わされて成語になったとされる。「止水」は、足切りの刑を受けた王駘のもとに多くの門人が集まる理由を問われた孔子（仲尼）が答える一節「人は流水に鑑みること莫くして止水に鑑みる。唯だ止のみ能く衆止を止む」（人は流れる水ではなく静止した水に自分の姿を映す。静止しているものだけが、多くのものを静止させられる）に見える。「明鏡」は、同じ徳充符篇で申徒嘉という人物が鄭の宰相・子産に語る「鑑明らかなれば則ち塵垢止まらず、止まれば則ち明らかならざるなり」（鏡が曇りなく澄んでいれば塵や垢は付かない、付けば曇る）に基づく。どちらも、心を静かに澄ませておくことの働きを水と鏡にたとえた比喩であり、四字熟語としていつ定着したかを示す資料は確認できていない。",
      "originSource": "『荘子』徳充符篇",
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        "冷静を表す四字熟語",
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    {
      "slug": "menjuu-fukuhai",
      "word": "面従腹背",
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      "crossPillar": false,
      "meaning": "表面では従うふりをしながら、内心では従わず反発していること。",
      "origin": "出典は特定されていない。四字熟語を知る辞典は、この語が一般化したのは戦後で、それ以前は「面従腹非」「面従腹誹」と書かれたと記す。腹誹（心のなかでそしること）の「誹」が「はい」と読まれ、その音に引かれて「背」の字が定着したという説明である。中国語には古く「面是背非」「面従背非」といった言い方があり、森鷗外も「面従腹誹」の形を使っている。近い発想の先行表現としてしばしば挙げられるのが『書経（尚書）』益稷の「予違わば汝弼けよ、汝面従して退きて後言有ること無かれ」で、舜が禹を戒めた言葉。ここから「面従後言」という四字の語も生まれた。ただしこれらは同趣旨の先行表現であって、「面従腹背」そのものの出典ではない。日本語の用例としては、精選版日本国語大辞典が中野好夫『諷刺文学序説』（一九四六年）の「尾を垂れて鼻息をうかがった面従腹背の狗犬どもが」を実例に挙げる。",
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    {
      "slug": "menmoku-isshin",
      "word": "面目一新",
      "reading": "めんもくいっしん",
      "pillar": "yoji-jukugo",
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      "meaning": "これまでの印象や評価が、すっかり新しく生まれ変わること。世間の評判がよいほうへ一変する意味のほか、外見や中身のありさまをすっかり改める意味でも使う。",
      "origin": "出典は特定されていない。日本の辞書には、中国の故事や特定の人物の言葉に由来するという記載は見当たらず、「面目」と「一新」を組み合わせた言葉と考えられる。「面目」は、世間に対する名誉・体面という意味と、物事の外に現れたありさまという意味をあわせ持ち、「めんぼく」とも読む。「一新」はすっかり改めて新しくすることである。この二つの字義が重なるため、「評判がよいほうへ一変する」と「見た目や内容がすっかり変わる」の二つの使い方が生まれた。読みは「めんもくいっしん」が一般的で、「めんぼくいっしん」とも読む。四字熟語を知る辞典は、用例として石川淳の小説『落花』（1955年）を挙げている。中国語でも成語として使われ、中国の成語辞典は魯迅が内山完造の著書に寄せた序文を用例に挙げるが、これが最初の用例だと確かめられているわけではない。",
      "originSource": "",
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        "前向きな四字熟語"
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    {
      "slug": "menpeki-kunen",
      "word": "面壁九年",
      "reading": "めんぺきくねん",
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      "meaning": "壁に向かって座禅を九年も続けたという故事のように、長い年月わき目もふらず一つのことに打ち込むこと。",
      "origin": "禅宗の初祖とされる菩提達磨（ぼだいだるま）が、嵩山（すうざん）の少林寺で九年のあいだ壁に向かって坐禅を続け、悟りに至ったという故事に基づく。達磨は南インドから中国に渡った僧と伝えられ、梁の武帝と問答して意が通じなかったのち北魏に移り、少林寺で黙して壁に向かったとされる。この逸話の典拠については、宋代の禅の灯史『景徳伝灯録』巻三を挙げる辞典と、同じく宋代の公案集『碧巌録』を挙げる辞典があり、一定しない。達磨の伝記は後世の禅宗のなかで整えられた部分が大きく、九年という年数も含めて史実として確かめられているわけではない。日本では歌舞伎『小春穏沖津白浪』（1864年）に「面壁九年の禅家の祖師達磨大師」と見え、幕末には成語として通用していたことがわかる。語順を入れ替えた「九年面壁」も同義で使われる。",
      "originSource": "『景徳伝灯録』巻三／『碧巌録』（典拠は辞典により異なる）",
      "themes": [
        "努力・継続",
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        "スピーチで使うとき"
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    {
      "slug": "minoru-hodo-koube-wo-tareru",
      "word": "実るほど頭を垂れる稲穂かな",
      "reading": "みのるほどこうべをたれるいなほかな",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "稲穂は実れば実るほど重みで頭を垂れるように、人も学び経験を積んで立派になるほど、謙虚な姿勢を持つべきだということわざ。",
      "origin": "五・七・五の句形をとるが、詠んだ人物は伝わっておらず、詠み人知らずの句として広まった。『ことわざを知る辞典』（小学館）はこの句の出典として、近世の俳諧論書『毛吹草』（松江重頼編、正保二年＝1645年刊）を挙げている。『毛吹草』は俳諧の作法と作例をまとめた書で、巻二に収める世話（ことわざ）の集成が古くから俚諺の資料として知られてきた。ただし、この句を誰が詠んだかを示す記録は確認できない。「頭（こうべ）」は首から上を指す古い言い方で、「頭を垂れる」は頭を下げる、へりくだる意である。稲は実が入るほど穂が重くなって垂れ下がる。その姿を、学問や徳を積んだ人ほど他人に対してへりくだるさまに重ねている。「実るほど頭の下がる稲穂かな」という形もあり、デジタル大辞泉はこちらを見出しに立てている。実った稲だけが垂れるという点が要で、まだ実の入らない穂は立ったままであるという対比が、この句の含みにあたる。",
      "originSource": "『毛吹草』（松江重頼編・1645年刊）※『ことわざを知る辞典』（小学館）が出典として挙げる",
      "themes": [
        "ことわざ由来の座右の銘"
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        "面接で聞かれたとき",
        "スピーチで使うとき"
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    {
      "slug": "momo-kuri-sannen-kaki-hachinen",
      "word": "桃栗三年柿八年",
      "reading": "ももくりさんねんかきはちねん",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "桃や栗は芽が出てから実がなるまで三年、柿は八年かかるように、何事も成果が出るまでにはそれ相応の時間が必要だということわざ。",
      "origin": "出典は特定されていない。特定の人物の言葉や漢籍の故事に紐づく記録は確認できず、果樹の栽培経験から生まれ、口承で広まった言い回しと考えられる。古い用例としては、江戸前期の評判記『役者評判蚰蜒』（1674年）に「桃栗三年柿八年人の命は五十年夢の浮世にささのであそべ」という歌謡の形で見え、天明六年（1786年）序の『譬喩尽』には「桃栗三年柿八年、枇杷は九年でなり兼ねる、梅は酸い酸い十三年」と後続の句を伴う形で載る。十八世紀にはことわざとして定着していたことが用例から分かる。後続の句は「柚子は大馬鹿十八年」など地域や時代によって多様で、どれが本来の形かを決められる資料はない。",
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      "themes": [
        "ことわざ由来の座右の銘",
        "一言で言う座右の銘"
      ],
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        "面接で聞かれたとき"
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    {
      "slug": "mugen-houyou",
      "word": "夢幻泡影",
      "reading": "むげんほうよう",
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      "meaning": "夢や幻、泡や影のようにすぐ消えてしまう、人生のはかなさのたとえ。",
      "origin": "出典は『金剛般若経』。「一切有為法、如夢幻泡影、如露亦如電、応作如是観」（一切の有為の法は夢・幻・泡・影の如く、露の如く亦た電の如し、まさにかくの如き観を作すべし）という経の末尾の句に基づく（精選版 日本国語大辞典）。因縁によって生じたものはすべて実体がなく空である、という教えを、夢・幻・泡・影という四つのはかないものに並べて説いたもので、四字熟語「夢幻泡影」はこの四つを取り出した形である。日本語としての用例は『宝物集』（一一七九年頃）にさかのぼる（精選版 日本国語大辞典）。辞書には「如夢幻泡影」の五字の形でも見出しが立つ。",
      "originSource": "『金剛般若経』",
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    {
      "slug": "munen-musou",
      "word": "無念無想",
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      "meaning": "すべての雑念を払い、心を空にして何も考えない状態。本来は仏教語で無我の境地を言うが、「何の考えもない、思慮がない」という悪い意味で使われることもある。",
      "origin": "出典は特定されていない。辞書には「無念無想」の四字が漢籍や仏典にそのまま見える例は挙げられておらず、特定の人物や故事に結びつく記録も確認できない。「無念」は本来仏教語で、私心や妄念を取り去って無我の境地に入った状態を指し、「無想」は何も思わないことを表す（『四字熟語を知る辞典』）。『精選版 日本国語大辞典』は、一切の想念を離れるという仏語としての意味の用例に浮世草子『傾城禁短気』（1711年）の「ただ夢の浮世に無念無想にして、遊ぶ所が極楽々々」を挙げる。あわせて「何の考えもない、思慮のない」という意味の用例として、浄瑠璃『百合若大臣野守鏡』（1711年頃）の「むねんむさうの下部共」も挙げている。江戸時代中期にはすでに、良い意味と悪い意味の両方で使われていたことになる。",
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      "themes": [
        "冷静を表す四字熟語",
        "かっこいい座右の銘"
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    {
      "slug": "musou",
      "word": "無双",
      "reading": "むそう",
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      "meaning": "並ぶものがない、比べる相手が見当たらないほど優れていること。「双（ならぶもの）が無い」という字のとおり、優劣の差というより「二番手が遠く離れている」という比較の絶対性に重心がある。なお建築の「無双窓」（連子を左右に動かして開け閉めする窓）、和裁の「無双仕立て」（衣服の表裏を同じ布地で仕立てること）のように称賛とは別系統の語義もあり、そちらに褒める意味はない。",
      "origin": "「無双」は漢籍に由来し、字義は「双（ならぶもの）が無い」。精選版日本国語大辞典は「むそう」の項の出典に『荘子』盗跖を挙げ、同篇には「生而長大、美好無雙、少長貴賤見而皆説之、此上徳也」（生まれつき体が大きく、美しさに並ぶものがなく、老若貴賤を問わず見た者は皆よろこぶ。これが最上の徳だ）とある。最も知られるのは『史記』淮陰侯列伝で、いったん逃げた韓信を連れ戻した蕭何が漢王に「至如信者、國士無雙」（韓信のような者は、国じゅうに並ぶ者がおりません）と説く場面。デジタル大辞泉と精選版日本国語大辞典は、この淮陰侯伝を「国士無双」の出典に挙げる。普及版字通は『後漢書』儒林伝下、許慎の条の「五經無雙、許叔重」を引く。日本語では「ぶそう」とも読み、精選版は和漢朗詠集（一一世紀前半）の菅原文時の句や、高野本平家物語の「まことに無双の碩徳、天下第一の高僧にておはしければ」を早い用例に挙げている。",
      "originSource": "『荘子』盗跖「生而長大、美好無雙」（精選版日本国語大辞典が「無双」の項の出典に挙げる）／『史記』淮陰侯列伝「至如信者、國士無雙」＝蕭何が韓信を評した語（デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典が「国士無双」の出典に挙げる）／『後漢書』儒林伝下「五經無雙、許叔重」（普及版字通が「無双」の項に引く）",
      "themes": [
        "かっこいい二字熟語",
        "二字熟語一覧"
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    {
      "slug": "muyoku-tentan",
      "word": "無欲恬淡",
      "reading": "むよくてんたん",
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      "meaning": "欲がなく、物事に執着せずさっぱりとしていること。名誉や利益に心を動かされない人柄・態度を指す。",
      "origin": "出典は特定されていない。四字熟語辞典オンラインはこの語に出典を示しておらず、コトバンク収録の精選版日本国語大辞典・『四字熟語を知る辞典』も典拠となる古典を挙げていない。意味の近い二語を重ねて強めた形で、「無欲」はあれこれ欲しがらないこと、「恬淡」は執着せずあっさりしていること。「恬淡」は「恬澹」「恬憺」とも書き、四字全体も「無欲恬澹」「無欲恬憺」の表記がある。「無慾恬淡」と書く例もある。日本語での使用は近代以降に確認でき、精選版日本国語大辞典は丹羽文雄『蛇と鳩』（一九五二年）の「宗教家はもっと無欲恬淡であるべき筈だと言われていた」を初出に挙げ、『四字熟語を知る辞典』は花田清輝『小説平家』（一九六五〜六七年）の「その無欲恬澹な上人が舎利泥棒であるという訴えが」を引く。どちらも他人の人柄を外から評した文であり、この語が主に第三者を評する言葉として使われてきたことがうかがえる。",
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    {
      "slug": "nana-korobi-ya-oki",
      "word": "七転び八起き",
      "reading": "ななころびやおき",
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      "meaning": "七回転んでも八回目には起き上がるように、何度失敗してもそのたびに立ち直り、挑戦を続けること。転じて、人生の浮き沈みの激しさをたとえるのにも使われる。",
      "origin": "出典は特定されていない。特定の古典に一句として現れる記録は確認できず、日本で成立した言い回しと考えられる。文献上の用例としては、音読みの「七転八起」の形が坪内逍遙『当世書生気質』（一八八五〜八六年）に見え、精選版日本国語大辞典はこれを実例として挙げる。訓読みの「七転び八起き」は岡本綺堂『平家蟹』（一九一二年）などに用例がある。「七」「八」は正確な回数ではなく、数を重ねること一般を指す慣用的な使い方である。転んだ回数より起きた回数が一つ多い理由については、人は生まれた時点では立てず、まず起き上がるところから始まるからだといった説明が広く行われているが、これは後からの解釈であり、成立の経緯を示す資料があるわけではない。倒しても起き上がる「起き上がり小法師」やだるまと結びつけて語られることも多いが、これも語の由来を示す記録ではなく、意味の近さから後に結びついたものである。",
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        "ことわざ由来の座右の銘",
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        "スポーツの目標に"
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    {
      "slug": "nanji-jishin-wo-shire",
      "word": "汝自身を知れ",
      "reading": "なんじじしんをしれ",
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      "meaning": "自分自身の力や限界、本当の姿を正しく理解することの大切さを表す言葉。古代ギリシャのデルポイの神殿に刻まれていたとされ、哲学者ソクラテスが好んで説いたことで広く知られる。",
      "origin": "デルポイのアポロン神殿に掲げられていた格言で、誰か一人の作とは古代から定まっていない。プラトン『プロタゴラス』343Bは、タレス・ピッタコス・ビアス・ソロン・クレオブロス・ミュソン・キロンの七賢人が集まり、知恵の初穂としてデルポイのアポロンに奉げたのが「汝自身を知れ」と「度を超すなかれ」の二句だったと伝える。ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第1巻は、この句をタレスのものとする一方、アンティステネスが巫女ペモノエの言葉とし、キロンがそれを自分のものとしたと述べていることも併記しており、帰属は一つに定まらない。神殿に掲げられた本来の含みは、自己分析の勧めというより「お前は神ではなく死すべき人間だ」という、分をわきまえよという警告だったと解されてきた。この句を哲学の中心に据えたのがソクラテスで、プラトン『カルミデス』164D以下では節制との関わりが論じられ、『パイドロス』229Eでは、自分自身をまだ知らないのに神話の詮索をするのは滑稽だと語られる。ソクラテスは作者ではなく、すでにあった格言の意味を問い直した人である。",
      "originSource": "デルポイのアポロン神殿の箴言（プラトン『プロタゴラス』343B、ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』1.40）",
      "themes": [
        "有名人・経営者の座右の銘",
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        "面接で聞かれたとき"
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    {
      "slug": "nasake-wa-hito-no-tame-narazu",
      "word": "情けは人の為ならず",
      "reading": "なさけはひとのためならず",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "人にかけた情けは、巡り巡っていずれ自分自身に良い形で返ってくるということわざ。誰かのためにした親切は、結局は自分のためにもなるという教え。",
      "origin": "出典は特定されていないが、鎌倉から室町にかけて成立した軍記物語『曽我物語』に見えるのが早い例だとする説がある。ただしこれを初出と確定した資料はなく、以後も謡曲や物語のなかに同じ言い回しが繰り返し現れるため、どこで生まれた句かは分かっていない。明治期には新渡戸稲造が『一日一言』に「施せし情けは人の為ならず　おのがこゝろの慰めと知れ」と記しており、人にかけた情けは相手のためではなく自分の心の慰めなのだ、という読み方を示している。なお「ならず」は現代語の「ならない」ではなく「〜ではない」という古語の打ち消しで、全体は「情けは人の為ではない（自分のためだ）」と読む。文化庁の「国語に関する世論調査」（平成13年度）では、この句を「情けをかけるのは相手のためにならない」と誤って理解している人が48.2パーセントと、正しく理解している47.2パーセントを上回った。",
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      "themes": [
        "ことわざ由来の座右の銘",
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        "スピーチで使うとき"
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    {
      "slug": "naseba-naru",
      "word": "為せば成る",
      "reading": "なせばなる",
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      "meaning": "強い意志を持って本気で取り組めば、どんなことでも成し遂げられるということ。逆に自分から行動を起こさなければ、何事も成し遂げられないという戒めの意味も込められている。",
      "origin": "江戸時代の米沢藩主・上杉鷹山（治憲）が家臣に示した「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」という教訓歌が出典として広く知られ、上杉家文書などにもその存在が伝えられている。天明5年（1785年）、鷹山が家督を養子の治広に譲って隠居する際、藩主としての心得を三カ条にまとめた「伝国の辞」とともにこの歌を申し渡したと伝えられる。財政再建に取り組んできた鷹山が、後を継ぐ若い藩主に対し、行動を起こすことの大切さを説いた言葉として位置づけられる。一方で、同様の主旨を詠んだ「為せば成る 為さねば成らぬ成る業を 成らぬと捨つる人のはかなさ」という歌が武田信玄の作だとする説もあり、鷹山の歌はこれを踏まえて詠まれたとの見方も語られる。ただし信玄作とする一次資料での裏付けは確認できず、俗説の域を出ないとの指摘もある。鷹山の歌としての伝承のほうが史料的な裏づけは厚いが、信玄由来説も完全には否定されていない。",
      "originSource": "上杉鷹山の教訓歌／伝国の辞（伝承。武田信玄由来説あり、諸説併存）",
      "themes": [
        "有名人・経営者の座右の銘",
        "一言で言う座右の銘"
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        "面接で聞かれたとき",
        "スピーチで使うとき"
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    {
      "slug": "never-put-off-till-tomorrow",
      "word": "Never put off till tomorrow what you can do today.",
      "reading": "ネバー プット オフ ティル トゥモロー ワット ユー キャン ドゥー トゥデイ",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
      "crossPillar": false,
      "meaning": "「今日できることを明日に延ばすな」という意味の英語の格言。先延ばしにせず、手をつけられることはその日のうちに片づけるべきだという戒め。ベンジャミン・フランクリンの言葉として紹介されることが多いが、この語順に近い早い用例として確認できるのはチェスターフィールド伯の書簡である。",
      "origin": "一人の作者を特定することはできない。現在流通している語順に近い早い用例としてしばしば挙げられるのが、フィリップ・スタンホープ（第4代チェスターフィールド伯）が息子に宛てた1749年12月26日付の書簡で、時間の価値を説いたくだりに「No idleness, no laziness, no procrastination: never put off till to-morrow what you can do to-day.」（怠惰も、怠けも、先延ばしもするな。今日できることを明日に延ばすな）とある。ベンジャミン・フランクリンの言葉として紹介されることが非常に多いが、フランクリン自身の文言は『貧しいリチャードの暦』（1742年）の「Have you somewhat to do to-morrow, do it to-day.」や『富に至る道』（1758年）の「Never leave that till to-morrow which you can do to-day.」であり、語句が異なる。先延ばしを戒める同趣旨の言い回しはこれ以前の英語圏にもあり、誰か一人の創作というより、当時すでに広く言われていた教えが定型化したものと見るのが妥当である。",
      "originSource": "フィリップ・スタンホープ（第4代チェスターフィールド伯）1749年12月26日付 息子宛書簡",
      "themes": [
        "英語の座右の銘",
        "有名人・経営者の座右の銘"
      ],
      "scenes": [
        "ESに書くとき"
      ],
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      "articleUrl": "https://kotonoha-jiten.pages.dev/zayuu-no-mei/word/never-put-off-till-tomorrow/",
      "updatedAt": "2026-08-19"
    },
    {
      "slug": "ninin-sankyaku",
      "word": "二人三脚",
      "reading": "ににんさんきゃく",
      "pillar": "yoji-jukugo",
      "crossPillar": false,
      "meaning": "二人が歩調を合わせ、力を合わせて一つの目標に向かって進んでいくこと。もとは二人が足首を結んで走る運動会の競技名。",
      "origin": "古典に出典を持つ語ではなく、出典は特定されていない。漢籍由来の四字熟語ではなく、近代日本の運動会の競技名から生まれた言葉である。二人が横に並び、内側の足首を紐で結んで走る競技を、二人でありながら脚が三本に見えることから「二人三脚」と呼ぶ。英語圏の three-legged race にあたる競技で、日本では一八七四年（明治七年）に海軍兵学寮が開いた「競闘遊戯会」——日本で最初の運動会とされる催し——の種目として、「蛺蝶趁花（ちょうちょうはなをおう）」という雅名で行われた記録がある。一八七八年の札幌農学校の運動会では、すでに定着した種目として組み込まれていた。競技名が先にあり、そこから「息を合わせて二人で一つの事をやり遂げる」という比喩に転じたもので、比喩としての用例は精選版日本国語大辞典が水上勉『金閣炎上』（一九七九年）などを挙げる。誰が最初に比喩として使ったかは特定されていない。",
      "originSource": "",
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        "恋愛の四字熟語",
        "努力・継続",
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    {
      "slug": "nisshin-geppo",
      "word": "日進月歩",
      "reading": "にっしんげっぽ",
      "pillar": "yoji-jukugo",
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      "meaning": "日を追うごとに、また月を追うごとに絶え間なく進歩していくこと。",
      "origin": "出典は特定されていない。出典欄を持つ四字熟語辞典（四字熟語辞典オンライン・imidas・四字熟語の百科事典）はいずれも「日進月歩」に出典を記していない。解説記事のなかには、構成要素の一つ「日進」を『荀子』天論篇の「君子は己に在る者を敬いて、天に在る者を慕わず……是を以て日に進むなり」という一節に結び付けるものがあるが、この結び付けを採る辞典は確認できず、裏づけのある出典として扱うことはできない。「日進」に語呂を整えるための「月歩」を組み合わせ、近代以降の日本で定着した表現とみられる。なお「日新月歩」と書くのは誤りで、類語「日新月異」との混同とされる（imidas・四字熟語の百科事典）。",
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        "前向きな四字熟語"
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      "updatedAt": "2026-09-23"
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    {
      "slug": "nito-wo-ou-mono",
      "word": "二兎を追う者は一兎をも得ず",
      "reading": "にとをおうものはいっとをもえず",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "同時に二羽のウサギを追いかけると、結局どちらも捕まえられないように、欲張って複数のことを同時にやろうとすると、どれも中途半端になってしまうということわざ。",
      "origin": "出典は特定されていないが、西洋から入ったことわざで、日本語での使用が確認できる最も古い例は1877年（明治10年）刊の『西洋諺草』とされる。これは英語のことわざを翻訳して紹介した書物で、収められた七百ほどのことわざのうち日本語として定着したものはごくわずかだが、この一句はその数少ない例にあたる。1879年ごろには修身の教科書に、1890年代には小説の会話文にも現れており、明治期のうちに日常語として根づいたことがうかがえる。西洋側の起源については、ルネサンス期の人文学者エラスムスが編んだ格言集に同趣旨の句が収められているとする説や、さらに遡って古代ローマの格言に由来するとする説があるが、いずれも最初の出所を確定する資料は示されていない。日本の古典に原型は見当たらない。",
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        "ことわざ由来の座右の銘"
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    {
      "slug": "no-pain-no-gain",
      "word": "No pain, no gain.",
      "reading": "ノー ペイン、ノー ゲイン",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "「苦労なくして得るものなし」という意味の英語のことわざ。払った労苦の分だけ得るものがある、裏を返せば楽をして手に入るものはない、という見方を短く言い切った形。",
      "origin": "特定の作者はいない。同じ趣旨の言葉は古く、2世紀初頭に編まれたユダヤ教の格言集『ピルケイ・アボット（父祖の教え）』第5章に「苦しみに応じて報いがある」という一節がある。英語では、17世紀の詩人ロバート・ヘリックが詩集『Hesperides』（1650年）に「No Pains, No Gains」と題した詩を残しており、「労が少なければ、得るものも少ない／人の運命はその労苦に応じる」と歌っている。ベンジャミン・フランクリンも1734年の『Poor Richard’s Almanack』に \"There are no gains, without pains\"（労苦なしに得るものはない）と記した。現在の \"No pain, no gain.\" という短い形が日常語として一般化したのは1980年代で、運動・トレーニングの決まり文句として広まった経緯がある。この出自のため、英語圏では運動の指導としては適切でないという批判も並べて語られる言葉になっている。",
      "originSource": "ロバート・ヘリック「No Pains, No Gains」（詩集『Hesperides』1650年）／ベンジャミン・フランクリン \"Poor Richard’s Almanack\"（1734年）\"There are no gains, without pains\"",
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        "英語の座右の銘",
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    {
      "slug": "nothing-ventured-nothing-gained",
      "word": "Nothing ventured, nothing gained.",
      "reading": "ナッシング ヴェンチャード、ナッシング ゲインド",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
      "crossPillar": false,
      "meaning": "「何も挑戦しなければ、何も得られない」という意味の英語のことわざ。リスクを恐れて挑戦しなければ、成果や成長も得られないという教え。中世イギリスから伝わる古いことわざとされる。",
      "origin": "出典は特定されていない。特定の人物の作として記録された言葉ではなく、英語圏に古くから伝わることわざである。同趣旨の表現は14世紀後半のフランス語のことわざ「Qui onques rien n’enprist riens n’achieva」（何も企てなかった者は何も成し遂げなかった）に見られ、英語では14世紀のジェフリー・チョーサーの作品に「nought venture, nought have」に類する古い形が現れるとされる（Gregory Y. Titelman『Random House Dictionary of Popular Proverbs and Sayings』はこの語がチョーサー〈1374年頃〉に遡るとする）。ことわざ集としては、ジョン・ヘイウッドが1546年に編んだ英語の諺集に「Nothing venture, nothing have」の形で収められている。現在広く使われる gained の形がいつ定着したかについては、確定的な資料を確認できていない。",
      "originSource": "",
      "themes": [
        "英語の座右の銘",
        "かっこいい座右の銘",
        "一言で言う座右の銘"
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        "ESに書くとき",
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    {
      "slug": "okujou-kaoku",
      "word": "屋上架屋",
      "reading": "おくじょうかおく",
      "pillar": "yoji-jukugo",
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      "meaning": "すでに屋根があるのに、その上にさらに屋根を架けるように、無駄に同じことを重ねること。",
      "origin": "四字の「屋上架屋」という形について出典を示す辞典は確認できない。もとの形は「屋下架屋」（屋根の下にさらに屋根を架ける）で、この句は『世説新語』文学篇と『顔氏家訓』序致の二か所に実在する。『世説新語』では、庾仲初の作った『揚都賦』を庾亮が身内びいきで「『二京賦』『三都賦』と並べてよい」と持ち上げ、都の紙が値上がりするほど書き写された。これに対し謝安が「此れは是れ屋下に屋を架するのみ。事事擬学して、倹狭を免れず」——何もかも先人の模倣で、狭苦しさを免れない——と退けたという。『顔氏家訓』のほうは故事ではなく、顔之推が「魏晋已来、著す所の諸子、理重なり事復り、逓いに相模学す。猶お屋下に屋を架し、牀上に牀を施すがごときのみ」と、重複ばかりの著述を批判した一節である。日本では「下」が「上」に入れ替わった「屋上屋を架す」「屋上架屋」の形が定着したが、入れ替わった時期と理由を示す資料は確認できない。",
      "originSource": "原形「屋下架屋」は『世説新語』文学篇および『顔氏家訓』序致（四字「屋上架屋」の形の典拠を示す辞典は確認できない）",
      "themes": [
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    {
      "slug": "onko-chishin",
      "word": "温故知新",
      "reading": "おんこちしん",
      "pillar": "yoji-jukugo",
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      "meaning": "昔のことをよく学び直し、そこから新しい知識や考え方を見いだすこと。",
      "origin": "「温故知新」は、中国の思想家・孔子の言葉を弟子たちがまとめた『論語』為政篇に由来する。原文は「子曰、温故而知新、可以為師矣」（子曰く、故きを温ねて新しきを知れば、以て師と為るべし）で、昔のことをよく学び直し、そこから新しい知見を見いだせる人物であれば、人を導く師となる資格があるという孔子の教えを述べたものである。「温」の読みは「たずねて」が主流だが、デジタル大辞泉や四字熟語を知る辞典は「あたためて」という読みも認めており、漢和辞典や岩波文庫『論語』でも両方が併記されている。いずれの読みでも、古い知識をただ保存するのではなく、繰り返し向き合うことで新たな理解を得るという能動的な学びの姿勢を指す。日本でも古くから使われており、精選版日本国語大辞典は『続日本紀』大宝三年（703年）三月の「然温故知新希有其人」を実例に挙げ、参考文献として『漢書』成帝紀を示している。",
      "originSource": "『論語』為政第二",
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    {
      "slug": "onkou-tokujitsu",
      "word": "温厚篤実",
      "reading": "おんこうとくじつ",
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      "meaning": "性格が穏やかで人情に厚く、誠実であること。",
      "origin": "複数の四字熟語辞典が典拠として『易経』大畜を挙げる。国立国会図書館のレファレンス協同データベースに登録された調査事例でも、五点の四字熟語辞典がそろって『易経』大畜を出典としていることが確認されている。該当箇所は大畜の彖伝「大畜、剛健篤実輝光、日新其徳」——大畜は剛健で内に厚く、その徳が光り輝いて日々新たになる——で、ただしここにあるのは「篤実」の二字であり、「温厚篤実」という四字の形が原典にあるわけではない。日本語での早い実例は、精選版日本国語大辞典が挙げる随筆『雲萍雑志』（一八四三年）の「温厚篤実の儒者なり」。四字熟語を知る辞典は井伏鱒二『黒い雨』（一九六五〜六六年）、阿川弘之『米内光政』（一九七八年）の使用例を挙げる。「温厚」は穏やかで角が立たないこと、「篤実」は情に厚く誠実なことで、性質の違う二つの美点を並べて人物像を作る形になっている。",
      "originSource": "『易経』大畜 彖伝「大畜、剛健篤実輝光、日新其徳」（複数の四字熟語辞典が典拠として挙げることを国立国会図書館レファレンス協同データベースの調査事例で確認。本文は維基文庫『周易・大畜』で確認）／日本語の早い実例は『雲萍雑志』（一八四三年）「温厚篤実の儒者なり」（精選版日本国語大辞典）",
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        "冷静を表す四字熟語",
        "前向きな四字熟語"
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    {
      "slug": "ookina-koto-wo-suru-hitsuyou-hanai",
      "word": "大きなことをする必要はない。小さなことを大きな愛を込めて行えばよい。",
      "reading": "おおきなことをするひつようはない。ちいさなことをおおきなあいをこめておこなえばよい。",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "特別に大きなことを成し遂げなくても、日々の小さな行いに真心を込めることに価値があるという考え方を表す言葉。修道女マザー・テレサの言葉として知られる。",
      "origin": "マザー・テレサの言葉として広く流布しているが、この一文の逐語の出典は特定されていない。修道会（神の愛の宣教者会）の公式サイトは、彼女に帰される言葉を「本人の言葉ではないもの」と「大きく言い換えられた版・個人の解釈」に分けて公開しており、英語圏で定着している \"Not all of us can do great things. But we can do small things with great love.\"（私たちの誰もが大きなことをできるわけではない。だが小さなことを大きな愛を込めて行うことはできる）は後者、つまり逐語の引用ではない言い換えとして挙げられている。日本語の「大きなことをする必要はない。小さなことを大きな愛を込めて行えばよい」は、この言い換え版をさらに訳したものにあたる。一方で \"Do small things with great love\"（小さなことを大きな愛を込めて）が彼女の信条を要約する句として繰り返し引かれてきたこと自体は、カトリック系の各媒体でも一致して確認できる。思想の出どころははっきりしているが、この日本語の一文をそのまま本人が語ったという記録は確認できない、というのが正確な状態である。人前で引くなら「マザー・テレサの言葉として伝えられている」という形にしておくと、後から出典を問われたときに崩れない。",
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        "有名人・経営者の座右の銘"
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        "ESに書くとき"
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    {
      "slug": "practice-makes-perfect",
      "word": "Practice makes perfect.",
      "reading": "プラクティス メイクス パーフェクト",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "「練習は完璧を作る」という意味の英語のことわざ。繰り返し練習を重ねることでしか上達はないという見方を、短く言い切った形。",
      "origin": "出典は特定されていない。特定の作者に帰せる一句ではなく、英語の成句辞典では、まず中英語期に「use makes mastery」（use は習慣、mastery は熟達の意）という古い形で使われ、現在の \"Practice makes perfect.\" の形が定着したのは十六世紀半ば、一五六〇年ごろとされる。同じ趣旨のことわざはラテン語をはじめ多くの言語に並行して存在し（たとえばラテン語の「repetitio est mater studiorum」＝反復は学習の母）、そのどれかが直接の祖形だと確定できる資料はない。日本語では「習うより慣れろ」が訳語として当てられることが多いが、こちらは「教わるより実地でやれ」という学び方の指示であり、英語の原文が言っているのは学び方ではなく反復の量である。両者を同じ意味として扱うと、原文にない「教わるな」という含みが入り込む点は、由来として押さえておきたい。",
      "originSource": "",
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        "英語の座右の銘",
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        "スポーツの目標に"
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    {
      "slug": "raku-kanji",
      "word": "楽",
      "reading": "らく",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "物事を苦しいものとしてではなく、楽しみながら取り組む姿勢を表す一文字。つらい状況でも前向きに楽しさを見いだそうとする考え方を象徴する。",
      "origin": "出典は特定されていない。座右の銘として一文字の「楽」を掲げることが、特定の人物の言葉や故事に始まるという記録は確認できない。漢字としての「楽」の本義は音楽である。『説文解字』は「五聲八音の緫名なり」と釈し、鼓や鞞（つづみ）をかたどった字形で、下の「木」は楽器を掛ける台（虡）を表すと説明する。たのしい・らくだという意味は、そこから後に広がったものである。この字が「たのしむ」の意で使われた古典として広く知られるのは『論語』雍也篇の「之を知る者は之を好む者に如かず、之を好む者は之を楽しむ者に如かず」（知之者不如好之者、好之者不如樂之者）で、知る・好む・楽しむを三段に並べ、楽しむ段を最上に置いた一節である。同じ雍也篇には「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」（知者樂水、仁者樂山）もある。北宋の范仲淹『岳陽楼記』の「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」（先天下之憂而憂、後天下之樂而樂）は、指導者の心構えを語る一節として知られ、小石川後楽園・岡山後楽園の名もここから採られたとされる。いずれもこの一字を座右の銘とする出典ではないが、この字が「怠ける」の側ではなく「深く入り込む」の側で使われてきたことを示している。",
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        "一文字の座右の銘"
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      "slug": "reisei-chinchaku",
      "word": "冷静沈着",
      "reading": "れいせいちんちゃく",
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      "meaning": "感情に流されず、常に落ち着いて物事に対処すること。",
      "origin": "出典は特定されていない。特定の人物の発言や中国の故事に結びつく記録は確認できず、「冷静」（感情に左右されず落ち着いていること）と「沈着」（物事に動じず落ち着いていること）という、意味の近い二字熟語を重ねて意味を強めた言葉と考えられる。四字熟語を知る辞典は漢籍の典拠を挙げておらず、用例として井伏鱒二『半生記』（一九七〇年）の「しんとした場所がらを心得た冷静沈着な行為」を引いている。語順を入れ替えた「沈着冷静」という形も辞書に立っており、意味に違いはない。構成が素直なぶん、由来を聞かれたら「二つの似た言葉を重ねて、落ち着きを強調した言葉です」と答えるのが正確で、それ以上の故事を付け加える必要はない。",
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    {
      "slug": "rinzen",
      "word": "凛然",
      "reading": "りんぜん",
      "pillar": "yoji-jukugo",
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      "meaning": "態度や姿が引き締まって、りりしく威厳のあるさま。もとは寒さがきびしく身が引き締まるさまを言う語で、そこから気持ちや態度の引き締まりに転じた。",
      "origin": "特定の故事や人物の言葉としての出典は特定されていない。ただし語の来歴は辞書ではっきりたどれる。「凜（凛）」はもともと寒さがきびしいことを表す字で、精選版日本国語大辞典も「凜然」の第一義を「寒さのきびしいさま」とし、『史記抄』（1477年）の「盛夏に凜然たり、さるほどに寒門と云ぞ」を用例に挙げる。「勇ましくりりしいさま」の用例はそれより後で、同辞典は『両足院本山谷抄』（1500年頃）の「壮気凜然たるほどに、文章もちとも衰へぬぞ」を挙げる。寒気で身が引き締まる感覚が、そのまま気持ちや態度の引き締まりへ移った語だと分かる。漢詩の用例としては、普及版字通が「凜然」の項に劉禹錫『蜀先主廟』の「天地英雄気、千秋尚凜然」——天地をふるわせた英雄の気は、千年を経てなお凜然としている——を引く。劉備を祀る廟を訪れて詠んだ句で、この語がまず「その場の空気の張り」を指してきたことがよく表れている。",
      "originSource": "劉禹錫『蜀先主廟』「天地英雄気、千秋尚凜然」（普及版字通が「凜然」の項に引く）",
      "themes": [
        "かっこいい二字熟語",
        "二字熟語一覧"
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    {
      "slug": "rome-wasnt-built-in-a-day",
      "word": "Rome wasn't built in a day.",
      "reading": "ローマ ワズント ビルト イン ア デイ",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
      "crossPillar": false,
      "meaning": "「ローマは一日にして成らず」という意味の英語のことわざ。大きな物事は長い時間と積み重ねを経て初めて成し遂げられるという教え。",
      "origin": "英語で生まれた言葉ではなく、記録に残る最も古い形は1190年ごろに成立したとされる中世フランスの格言詩集『Li Proverbe au Vilain』の「Rome ne fut pas faite toute en un jour」（ローマは一日で造られたのではない）だとされる。英語での早い記録としては、1545年にリチャード・タヴァナーがエラスムスの格言集をラテン語から訳した『Prouerbes』の \"Rome was not buylt in one day.\" が挙げられ、同時期に出たジョン・ヘイウッドの英語ことわざ集にも収められている。特定の建設事業を指した言葉ではなく、ローマという都市が長い年月をかけて今の姿になったという一般的な認識が下敷きになっている。日本語では「ローマは一日にして成らず」という訳が定着している。",
      "originSource": "『Li Proverbe au Vilain』(1190年ごろ)／英語での早い記録はリチャード・タヴァナー訳エラスムス『Prouerbes』(1545) の \"Rome was not buylt in one day.\"",
      "themes": [
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        "ESに書くとき"
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    {
      "slug": "rongo-to-soroban",
      "word": "論語と算盤",
      "reading": "ろんごとそろばん",
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      "meaning": "道徳と利益追求は対立するものではなく、両立させてこそ事業は続くという考え方。実業家・渋沢栄一の談話を集めた同名の書物の題名で、『論語』が道徳を、算盤が商売の計算をそれぞれ表している。",
      "origin": "渋沢栄一（1840-1931）の談話・演説を梶山彬が編み、大正5年（1916年）9月に東亜堂書房から刊行された書物の題名。10篇90章からなる。渋沢栄一記念財団は、「論語と算盤」と題した渋沢の談話が明治44年（1911年）1月の『竜門雑誌』に載っていることを、この言葉の早い例として挙げている。渋沢は生涯の拠り所を『論語』に置き、道理にかなって得た富であれば肯定されるという読み方を示した。渋沢自身がこの考えに与えた名前は「道徳経済合一説」で、同時代の漢学者・三島中洲が説いた「義利合一論」と同じ方向を向く思想として並べて論じられることが多い。なお書名の成立をめぐっては別の逸話も語られるが、裏付けとなる資料を確認できなかったためここでは触れない。",
      "originSource": "渋沢栄一述・梶山彬編『論語と算盤』（東亜堂書房、1916年9月、10篇90章）／渋沢栄一記念財団「論語と算盤オンライン」",
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        "有名人・経営者の座右の銘"
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    {
      "slug": "ryuutou-dabi",
      "word": "竜頭蛇尾",
      "reading": "りゅうとうだび",
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      "meaning": "龍の頭のように勢いよく始まったものが、蛇の尾のように尻すぼみに終わってしまうこと。",
      "origin": "出典は南宋の禅書『碧巌録』の第一〇則。雪竇重顕が選んだ公案に圜悟克勤が評唱を付した書で、この則は唐代の禅僧・睦州道明——陳尊宿とも呼ばれる——と、訪ねてきた僧との問答を扱う。睦州が「近ごろどこから来たか」と問うと、僧はいきなり「喝！」と一喝で応じた。睦州が「老僧、汝の一喝を受けた」と言うと僧はまた喝する。「三喝四喝ののちはどうする」と重ねて問われたところで、僧は何も言えなくなった。睦州はすかさず打ちすえ、「この掠虚頭の漢（見せかけだけの男）」と言い放つ。この僧の出方を評したのが「只だ恐らくは竜頭蛇尾ならん」——頭は竜のようだが尾は蛇だろう、という一句である。禅問答の出だしの勢いだけが立派で中身が続かない者への評が、そのまま尻すぼみのたとえとして日本語に入った。日本語の用例は近代に目立ち、四字熟語を知る辞典は福田英子『妾の半生涯』（一九〇四年）と、森鷗外『独身』（一九一〇年）の「もうおしまいか。竜頭蛇尾だね」を挙げる。",
      "originSource": "『碧巌録』第一〇則（睦州＝陳尊宿と僧の問答への評唱「只だ恐らくは竜頭蛇尾ならん」）",
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      "word": "才子佳人",
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      "meaning": "才能豊かな男性と美しい女性、または似合いの美男美女の組み合わせ。",
      "origin": "一説には唐代の伝奇『瀟湘録』（李隠）に見える「妾既に君と匹偶し、諸鄰皆な之を才子佳人と謂う」の一句に由来するとされ、宋の晁補之の詞「鷓鴣天」の用例も挙げられる（漢典・百度百科）。ただし引用される詞の字句は資料によって異なり、四字の初出を一つに確定できる資料は確認できない。「才子」は才知のすぐれた男性、「佳人」は容姿の美しい女性を指す。明・清の小説や戯曲では才ある書生と美しい女性の恋を描く作品が数多く書かれ、「才子佳人小説」と呼ばれる型として定着した。日本語の用例としては山田美妙『柿山伏』（一八八八年）の「才子佳人が主人公で政治の薬味が一寸加はり」が辞書に引かれ（精選版 日本国語大辞典）、芥川龍之介『開化の良人』（一九一九年）などにも見える（四字熟語を知る辞典）。",
      "originSource": "一説に『瀟湘録』（唐・李隠）／晁補之「鷓鴣天」（宋）",
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    {
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      "word": "颯爽",
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      "meaning": "人の姿や態度、身のこなしがきびきびと引き締まっていて、見ている側にさわやかな印象を与えるさま。「颯」はもともと風がさっと吹く音を表す字で、風が通り抜けたような速さと迷いのなさが、そのまま人の動きの形容になっている。",
      "origin": "「颯」は風がさっと吹くことを表す字で、説文解字は「風聲なり」とし、普及版字通も訓義に「かぜふく、かぜの吹く音」を挙げる。「爽」は説文解字に「明らかなり」とあり、あきらか・すがすがしいの意。この二字が人の姿の形容として結びついた早い例が、唐の杜甫の詩にある。『丹青引 曹将軍覇に贈る』の一節「褒公鄂公毛髪動、英姿颯爽猶酣戦」——褒公も鄂公も髪が動くばかりで、その英姿は颯爽として、今まさに激戦のただ中にいるかのようだ。色あせていた凌煙閣の功臣像を画家の曹覇が描き直した、その出来ばえを讃えた句で、四字熟語「英姿颯爽」の出典でもある（この句は「来酣戦」に作る本もある）。杜甫は『画鶻行』の冒頭でも「高堂見生鶻、颯爽動秋骨」と、絵に描かれた鶻に同じ語を当てている。どちらも、描かれた姿が見る者にどう迫ってくるかを言う場面で使われている点が共通する。日本語の文献では、精選版日本国語大辞典が『玉山先生詩集』（一七五四年）の「蒼鷹独立不下、颯爽英姿残日愁」を早い用例に挙げる。",
      "originSource": "杜甫『丹青引贈曹将軍覇』「褒公鄂公毛髪動、英姿颯爽猶酣戦」（諸本により「来酣戦」。四字熟語「英姿颯爽」の出典）",
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      "word": "静",
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      "meaning": "動揺せず、落ち着いた心を保つ姿勢を表す一文字。慌ただしい状況でも冷静さを失わず、物事を見極める心構えの象徴として座右の銘に選ばれる。",
      "origin": "出典は特定されていない。座右の銘として一文字の「静」を掲げることが、特定の人物の言葉や故事に始まるという記録は確認できない。漢字としての「静」は形声字で、『説文解字』はこの字を「審なり」と釈し、青を意味符、争を音符とすると説明する。「審」はつまびらかに見きわめるという意味で、字の原義は音や動きが無いことそのものではなく、乱れずに見分けがつく状態のほうにあった。「動の対」「安」「息」といった訓は『康熙字典』に並ぶ後代の広がりである。思想のうえでの用例として広く知られるのは『大学』冒頭の「止まるを知りて后定まる有り、定まりて后能く静かなり、静かにして后能く安く、安くして后能く慮る」で、この字は落ち着きという到達点ではなく、思慮に至るまでの一段として置かれている。諸葛亮が子に宛てたとされる『誡子書』の「静以て身を修め、倹以て徳を養う」「寧静に非ざれば以て遠きを致す無し」も、この一字を修養の語として定着させた一節である。兵法では『孫子』軍争篇が「治を以て乱を待ち、静を以て譁を待つ、此れ心を治むる者なり」と述べ、静を、相手の乱れに乗るための構えとして扱う。",
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        "一文字の座右の銘"
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      "word": "静謐",
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      "meaning": "物音一つなく、深く落ち着いた静けさ。音の有無だけでなく、世の中や心が乱れなく穏やかに治まっている状態にも使う。",
      "origin": "特定の故事に由来する語ではないが、漢籍にさかのぼる用例は辞書ではっきりたどれる。普及版字通は「静謐」の項に『宋書』礼志一の用例を引く。南朝宋の正史のうち礼制を記した巻で、太常（祭祀をつかさどる官）の馮懐が上奏した文に見える語である。精選版日本国語大辞典は語義を二つに分け、①世の中が穏やかに治まっていること、②心が静かで落ち着いていること、とする。①の日本語での早い例は同辞典が引く『凌雲集』（八一四年）序の「世機の静謐なるに属し、琴書に託して日を終ふ」で、平安初期の勅撰漢詩集にすでに見える。『日葡辞書』（一六〇三‐〇四年）にも「テンカ イマ xeifitni（セイヒツニ）ゴザル」とあり、近世初期には「天下が静謐だ」という時局の言い方として口語にも入っていた。②の例には森田草平『煤煙』（一九〇九年）の「強い力が籠ってるやうだが、それと共に飽迄静謐だ」が挙がる。字の側では、「謐」は言に必を添えた形声字で、説文解字は「静かに語るなり」と釈す。字通の訓義は「やすらか、やすんずる」「つつしむ」で、音が消えていることよりも、乱れずに収まっていることを言う字である。",
      "originSource": "『宋書』礼志一（普及版字通が「静謐」の項に、太常馮懐の上奏文の用例として引く）／精選版日本国語大辞典「静謐」の項の用例『凌雲集』（八一四年）序「属世機之静謐、託琴書而終日」",
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      "word": "静寂",
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      "meaning": "音が絶えて静まりかえっていること。またそのさま。単に音量が小さいことではなく、場の空気ごとひっそりと沈んでいる状態を指し、辞書では「さびしさ」を含む語として説明される。",
      "origin": "特定の故事や人物の言葉に由来する語ではなく、出典は特定されていない。ただし来歴は漢籍までたどれる。精選版日本国語大辞典は「静寂」の項に謝霊運『会吟行』を参考に挙げるが、その詩には「列筵皆静寂、咸共聆会吟」——並んだ筵の客はみな静まりかえり、そろって会吟に耳を傾ける——という句がある。音が消えたことではなく、人が声を収めて聞き入っている場の状態を言っている点が、この語のもとの姿をよく示す。普及版字通は同じ項に晋・何劭『雑詩』を引く。日本語の文献では、同辞典が随筆『孔雀楼筆記』（1768年）序の「清先生性楽静寂、節介寡欲」（清先生、性静寂を楽しみ、節介にして寡欲なり）を用例に挙げ、明治期には矢野龍渓『経国美談』（1883-84年）に「四辺静寂として人馬声なく」が見える。字の成り立ちでは、「静」は旧字「靜」で、青（澄んださま）に音符の争を組み合わせた形声字。「寂」は宀（家）に叔を添えた形声字で、家の中の人声が細くなったさまを指す。読みの「ジャク」は呉音で、「入寂」など仏教語に残る音である。",
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    {
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      "word": "生気溌溂",
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      "meaning": "生き生きとして、動きにも表情にも元気があふれている様子。",
      "origin": "出典は特定されていない。典拠となる古典の一節を挙げる資料は確認できず、故事との結びつきも見当たらない。「生気」は生き生きとした気配・活力のこと。「溌溂」はもともと魚が勢いよく跳ねるさまを表す語で、そこから動作や表情に元気があふれている状態のたとえとして使われるようになった。二語を重ねて、内側の活力が見た目にまで現れている状態を表す。「溌溂」は「溌剌」とも書き、同じ構成の語に「元気溌剌（げんきはつらつ）」がある。",
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      "slug": "seikou-towa-shippai-wo-kasanetemo",
      "word": "成功とは、失敗を重ねてもなお情熱を失わないことである",
      "reading": "せいこうとは、しっぱいをかさねてもなおじょうねつをうしなわないことである",
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      "meaning": "成功とは失敗しないことではなく、何度失敗しても情熱を失わずに挑戦を続けられることだという考え方を表す言葉。ウィンストン・チャーチルの言葉として広く紹介されるが、本人の発言・著作には確認されていない。",
      "origin": "出典は特定されていない。ウィンストン・チャーチルの言葉として広く紹介されているが、チャーチルの演説や著作にこの一文があるという記録は確認できない。英語では \"Success consists of going from failure to failure without loss of enthusiasm.\"（成功とは、熱意を失わずに失敗から失敗へと渡っていくことである）という形で流布している。チャーチル研究のリチャード・ラングワースは著書 Churchill By Himself の巻末で、この一文を誤って帰属された言葉の一覧に入れており、国際チャーチル協会も、チャーチルのどの言葉のなかにも見当たらないとして誤帰属の項目に挙げている。出典調査サイト Quote Investigator によれば、確認できる最も古い用例は1953年刊の話し方指南書 How to Say a Few Words（David Guy Powers）で、そこでは誰の言葉とも書かれず「成功とは、熱意を失わずに失敗から失敗へ進んでいける力だと定義されてきた」と匿名の定義として紹介されている。チャーチルやリンカーンの名前が結びつけられ始めたのは1980年代以降とされ、どちらについても典拠は見つかっていない。内容そのものは古くから語られてきたが、作者は分かっていない、というのが現状である。",
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    {
      "slug": "seikousha-dewanaku",
      "word": "成功者ではなく、価値ある人間になろうとせよ",
      "reading": "せいこうしゃではなく、かちあるにんげんになろうとせよ",
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      "meaning": "世間的な成功だけを追い求めるのではなく、周囲に価値を与えられる人間であろうとすることが大切だという考え方を表す言葉。物理学者アルベルト・アインシュタインの言葉として知られる。",
      "origin": "アインシュタインが亡くなる数か月前の1955年、『ライフ』誌の編集者ウィリアム・ミラーが、科学を学ぶ息子を連れてプリンストンの自宅を訪ねた。人生の意味に悩む息子に何か言葉をもらえないか、という趣旨の訪問だったと伝えられる。そのときの発言として、同誌1955年5月2日号のアインシュタイン追悼記事に「Try not to become a man of success but rather try to become a man of value.」と記録された。これが現在たどれる最も確かな形で、引用の来歴を検証する Quote Investigator もこの1955年の記事の記述を採るべき版として挙げている。記事では、この一文のあとに「今日、成功者と見なされるのは、世に与えるより多くを世から受け取る人間だ」という趣旨の言葉が続く。つまりこの言葉は成功一般を否定したのではなく、受け取った量で人を測る当時の風潮への異議として語られている。日本語では「〜になろうとせよ」という命令形で広まっているが、原文は二度とも「try to（〜しようと努めなさい）」であり、達成を命じるのではなく努力の向きを変えよという勧めに近い。",
      "originSource": "『ライフ』誌1955年5月2日号（ウィリアム・ミラーによるアインシュタイン訪問の記録）",
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        "有名人・経営者の座右の銘"
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        "面接で聞かれたとき",
        "ESに書くとき"
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      "word": "精励恪勤",
      "reading": "せいれいかっきん",
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      "meaning": "力の限りを尽くして、真面目に仕事や学業に励むこと。",
      "origin": "四字熟語としての出典は特定されていない。中国古典の一節を典拠に挙げる資料は確認できず、故事との結びつきも見当たらない。「精励」は力を尽くして努めること、「恪勤」の「恪」はつつしむ意で、怠らず慎んで務めに当たることを表す。二つを重ねて「全力で、かつ真面目に勤め続ける」という意味になる。語順を入れ替えた「恪勤精励（かっきんせいれい）」も同義で用いられる。「恪」は日常でほとんど使われない字で、この四字熟語も漢字検定では一級相当に分類される。",
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        "努力・継続"
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      "slug": "seishin-ittou",
      "word": "精神一到",
      "reading": "せいしんいっとう",
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      "meaning": "心を一つのことに集中させれば、どんな困難も成し遂げられるという考え方を表す言葉。「精神一到何事か成らざらん」という形でよく使われる。",
      "origin": "中国・南宋の儒学者である朱熹の言行録『朱子語類』の「学二」にある「陽気発処、金石亦透、精神一到、何事不成」に由来する。陽の気が発するところでは金や石のような硬いものさえ貫き通す、精神を一点に集中させて事に当たれば成らないことはない、という趣旨の一節である。日本ではこの後半を読み下した「精神一到何事か成らざらん」の形で広く知られており、『日本国語大辞典』もこの句の出典として『朱子語類』を挙げている。四字の「精神一到」だけを切り出して座右の銘に掲げる用法は、この長い成句が縮まったものである。",
      "originSource": "『朱子語類』学二「陽気発処、金石亦透、精神一到、何事不成」",
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        "四字熟語の座右の銘",
        "一言で言う座右の銘"
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        "面接で聞かれたとき",
        "ESに書くとき"
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    {
      "slug": "seishin-seii",
      "word": "誠心誠意",
      "reading": "せいしんせいい",
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      "meaning": "偽りのない真心を込めて、誠実に物事に取り組むこと。",
      "origin": "出典は特定されていない。四字熟語辞典（四字熟語辞典オンライン・四字熟語の百科事典）やデジタル大辞泉はいずれも出典欄を設けておらず、特定の人物の言葉や中国古典の故事に由来するという記録も確認できない。「誠心」（偽りのない真心）と「誠意」（偽りのない誠実な気持ち）という、意味の近い二つの二字熟語を重ねることで意味を強めた表現と考えられ、四字熟語の百科事典も「『誠』を重ねて真心を強調したもの」と説明している。「誠意誠心」と前後を入れ替えた形で書かれることもある。少なくとも近代の日本では、謝罪や依頼、誓いの場面で相手に対する誠実さを強調する定型句として広く定着している。なお、同じ読みの「正心誠意（せいしんせいい）」は『礼記』大学を出典とする別の語で、「心を正しく保つために自分を偽らず誠実に対処する」という意味であり、出典を持つのはこちらのほうである。",
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      "themes": [
        "座右の銘になる四字熟語"
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        "面接で聞かれたとき",
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    {
      "slug": "sekishou-idai",
      "word": "積小為大",
      "reading": "せきしょういだい",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "小さなことをこつこつと積み重ねていくことが、やがて大きな成果につながるという考え方を表す言葉。江戸時代の農政家・二宮尊徳の教えとして伝えられる。",
      "origin": "江戸時代後期の農政家・二宮尊徳（にのみやそんとく、1787〜1856年。通称・金次郎）の教えを四字にまとめた言葉として伝えられる。門人の富田高慶が尊徳の生涯と教えを記した『報徳記』（1856年成立）には「小を積めば則ち大と為る」とあり、談話を筆録した『二宮翁夜話』巻之一（福住正兄筆録、1884〜87年刊）には「大事をなさんと欲せば、小なる事を、怠らず勤むべし。小積りて大となればなり」と説かれている。同じ段は続けて、多くの人は大きなことを望みながら小さなことを怠るために、結局は大きなことを成せないのだと述べる。若い頃、荒地に捨てられていた苗を植えて秋に一俵の実りを得たという体験が教えの土台にあると『報徳記』は伝える。なお「積小為大」という四字の形を尊徳自身が用いたことを示す資料は確認できず、教えを要約した言い方として広まったとみられる。",
      "originSource": "富田高慶『報徳記』（1856年成立）／福住正兄筆録『二宮翁夜話』巻之一（1884〜87年刊）",
      "themes": [
        "有名人・経営者の座右の銘",
        "四字熟語の座右の銘",
        "一言で言う座右の銘"
      ],
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        "面接で聞かれたとき",
        "ESに書くとき"
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    {
      "slug": "senri-no-michi-mo-ippo-kara",
      "word": "千里の道も一歩から",
      "reading": "せんりのみちもいっぽから",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "どんなに遠く大きな目標であっても、まずは目の前の小さな一歩を踏み出すことから始まるということわざ。大きな挑戦を前にしり込みせず、行動を起こす大切さを表す。",
      "origin": "『老子』第64章の「千里之行、始於足下」に由来する。原文は「合抱之木、生於毫末、九層之臺、起於累土、千里之行、始於足下」と並ぶ一節で、ひと抱えもある大木は細い芽から育ち、九層の高台は一盛りの土から始まり、千里の道も足もとの一歩から始まる、という趣旨である。ただし第64章全体は、事が大きくなる前のうちに手を打つべきだという文脈でも読まれる箇所であり、本来は放置すれば大事になるという警めの含みを持つ表現だったと説明される。現在の日本語では「大きな事業も手近な一歩から始まる」という前向きな励ましとして定着している。「千里」はきわめて遠い道のりのたとえで、特定の距離を指すわけではない。",
      "originSource": "『老子』第64章「千里之行、始於足下」",
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        "ことわざ由来の座右の銘",
        "一言で言う座右の銘"
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        "面接で聞かれたとき",
        "ESに書くとき"
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    {
      "slug": "sessa-takuma",
      "word": "切磋琢磨",
      "reading": "せっさたくま",
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      "meaning": "仲間同士が互いに励まし合い、競い合いながら共に努力し成長すること。",
      "origin": "「切磋琢磨」は中国最古の詩集『詩経』衛風・淇奥篇に由来する。辞典が出典として挙げるのはこの『詩経』のみで、原文は「有匪君子、如切如磋、如琢如磨」。衛の君主・武公の人徳を称えた詩の中で、骨や角を「切」り「磋」き、玉や石を「琢」ち「磨」くという、器物を仕上げる四つの工程の描写を通して、絶えず努力を重ねて人格を磨き上げる様子がたとえられている。この詩句は『論語』学而篇第十五章でも引かれており、弟子の子貢が「貧しくてもへつらわず、富んでも驕らない人物はどうでしょうか」と孔子に問い、孔子が「貧しくても道を楽しみ、富んでも礼を好む人物には及ばない」と答えたのを受けて、子貢がこの句を引き合いに出すと、孔子は「賜（子貢の名）よ、お前とはようやく詩を語り合えるようになった」と評価したという。ただしこの『論語』の場面を出典として挙げる辞典は確認できず、あくまで『詩経』の句が引用された例である。なお imidas は出典に伊藤仁斎『童子問』も併記し、精選版日本国語大辞典は日本語での用例として『伝教大師消息』（824〜831年頃）以降のものを挙げており、平安初期から使われてきた語であることがわかる。現在は仲間同士が互いに励まし合い競い合いながら共に向上していく様子を表す言葉として使われる。",
      "originSource": "『詩経』衛風・淇奥（辞典が挙げる出典。imidas は伊藤仁斎『童子問』も併記）",
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        "友情の四字熟語"
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      "slug": "setsuna",
      "word": "刹那",
      "reading": "せつな",
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      "meaning": "極めて短い、一瞬の時間。サンスクリット kṣaṇa の音写語で、仏教では時間の最小単位を指す。「一瞬」より詩的な響きがあり、そこで生まれて消えるという無常の含みを帯びる。",
      "origin": "「刹那」はサンスクリットの kṣaṇa（クシャナ）の音写で、意味を漢語に訳した語ではなく音を漢字で写した語である。そのため「刹」「那」それぞれの字義から意味をたどることはできない。漢訳では「念」と訳されることもある。仏教では時間の最小単位とされ、『阿毘達磨大毘婆沙論』が伝える換算では、120刹那が1怛刹那、60怛刹那が1臘縛、30臘縛が1須臾（牟呼栗多）、30須臾が1昼夜になる。1昼夜は648万刹那という計算で、現代の時間に直せば一刹那はおよそ75分の1秒。ブリタニカ国際大百科事典は0.013秒ほどと書く。ただし長さには諸説あり、指を弾く間に65刹那とする説（『倶舎論』巻十二）、64刹那とする説があり、「一念」を1刹那とするか60刹那とするかも一定しない。日本語では早くから和文に取り込まれ、精選版日本国語大辞典は『宇津保物語』（970〜999年頃）俊蔭の「文殊、獅子にのりて刹那のあひだに到りて」を初出例に挙げる。近代には「刹那的」の形が現れ、同辞典は夏目漱石『明暗』（1916年）を、時間の短さの意の初出例として挙げている。",
      "originSource": "『阿毘達磨大毘婆沙論』の時間換算（新纂浄土宗大辞典が「一昼夜648万刹那」の典拠として挙げ、本願寺出版社『くらしの仏教語豆事典』も同じ換算を示す）／『倶舎論』巻十二「六十五刹那＝一弾指」（ブリタニカ国際大百科事典も一弾指に65刹那を挙げる）／『宇津保物語』俊蔭「文殊、獅子にのりて刹那のあひだに到りて」（精選版日本国語大辞典が「刹那」の初出例に挙げる）",
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      "word": "七転八起",
      "reading": "しちてんはっき",
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      "meaning": "何度失敗しても、そのたびに立ち直って挑戦を続けること。",
      "origin": "「七転び八起き」は中国の故事や古典に由来する言葉ではなく、日本で生まれたことわざだとされる。江戸時代にはすでに「七ころび八おき」に類する言い回しが使われていたとする資料もあるが、確実な最古級の出典としては、明治期の坪内逍遙の小説『当世書生気質』（1885〜86年）に「七転八起、一栄一辱」という四字熟語の形での用例が確認できる。だるまが何度倒れても起き上がることから、粘り強さの象徴として結び付けられ、現在では新年の書き初めやスポーツの応援スローガンとしても親しまれている。",
      "originSource": "坪内逍遙『当世書生気質』（1885〜86年）における使用例が確認できる最古級の出典。それ以前の江戸期の言い回しについては確実な原典の特定に至っていない",
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        "努力・継続",
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      "word": "疾駆",
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      "meaning": "馬や車などを速く走らせること。また、それらが速く走ること。走る本人の脚力よりも、地面を蹴って距離を詰めていく乗り物の勢いに重心がある語で、転じて物事の進行が速いことにも使う。",
      "origin": "精選版日本国語大辞典は「疾駆」の漢籍出典として『詩経』斉風「載駆」の伝（毛伝）を挙げる。「載駆」は「載驅薄薄、簟茀朱鞹」——馬車を走らせる音がパタパタと鳴り、車には竹のおおいと赤いなめし革——で始まる詩で、毛伝はこの「薄薄」に「疾駆の声なり」と注をつける。つまり「疾駆」はもともと詩句そのものではなく、馬車を急がせる音を説明するために注釈者が使った語だった。詩の側は、斉の君主の車馬の派手さを風刺したものと古くから読まれている。字の側では、「疾」は説文解字に「病なり」とあり、もとは病の意で、そこから「急」「速」の意が引き伸ばされたと説明される。「駆（驅）」は説文解字に「馬馳なり」、鞭で馬を進ませることをいう。日本語の文章での早い例としては、同辞典が矢野龍渓『経国美談』（一八八三〜八四年）の「斉軍の右翼は之を見るより疾駆し」を挙げる。",
      "originSource": "『詩経』斉風・載駆の毛伝「薄薄、疾驅聲也」（精選版日本国語大辞典が「疾駆」の項の漢籍出典に『詩経伝－斉風・載駆』を挙げる。句は維基文庫『毛詩正義』巻五で確認）／日本語の早い用例は同辞典が挙げる矢野龍渓『経国美談』（一八八三〜八四年）",
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      "word": "信",
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      "meaning": "嘘やごまかしのない誠実さを持ち、人からの信頼を大切にする姿勢を表す一文字。約束を守り、裏切らないという価値観の象徴として座右の銘に選ばれる。",
      "origin": "出典は特定されていない。座右の銘として一文字の「信」を掲げることが、特定の人物の言葉や故事に始まるという記録は確認できない。漢字としての「信」は、人を表す「亻」と、ことばを表す「言」を組み合わせた会意字で、人の口にすることばに偽りがないことを表す。『説文解字』はこの字を「誠なり」と釈し、人と言から成ると説明する。ここから「まこと」「いつわらない」の意が生まれ、さらに人の言を信じる「信用」「信頼」、人から人へ伝えられることばとしての「音信」へと意味が広がった。儒教では仁・義・礼・智と並ぶ五常の一つに数えられる。『論語』為政篇には「人にして信なくんば、其の可なるを知らざるなり」とあり、続けて、くさびの無い車が動かないのと同じだと説く。学而篇の曾子の三省にも「朋友と交わりて信ならざるか」が並び、顔淵篇では、政治から兵と食を捨てても最後まで手放せないものとして「民信なくば立たず」と述べられる。この一字が指してきたのは、誰かを信じる心の側ではなく、言ったことを違えず信頼される側のほうである。",
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      "word": "真",
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      "meaning": "偽りやごまかしのない、ありのままの誠実さを表す一文字。何事にも真剣に、真っすぐに向き合う姿勢を重んじる価値観の象徴として座右の銘に選ばれる。",
      "origin": "出典は特定されていない。座右の銘として一文字の「真」を掲げることが、特定の人物の言葉や故事に始まるという記録は確認できない。字源そのものにも定説がなく、諸説が併存している。『説文解字』は旧字「眞」を「僊人、形を變じて天に登るなり」と説き、仙人が姿を変えて天に昇るさまとする。白川静はこれを退け、「眞」を行き倒れの死者にかたどる字と見て、死者は変わることがないという含みから「変わらないもの＝まこと」の意が生じたと説明する。一方で、甲骨文・金文の字形はいずれの説明とも合わないという指摘があり、もともと「めずらしい」を表す字を借りて「まこと」の意に用いたとする見方も示されている。つまり、この字が「偽りがない・ありのまま」の意で使われてきた歴史は長いものの、なぜその意になったのかは分かっていない。常用漢字では「真」、旧字体は「眞」で、日本語では「真心」「真面目」「真摯」のように、態度の偽りのなさを表す語を数多く作っている。",
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      "word": "心機一転",
      "reading": "しんきいってん",
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      "meaning": "何かをきっかけに、それまでの気持ちをすっかり入れ替えて新たな気持ちで物事に取り組むことを表す言葉。進学や就職、異動など節目のスピーチでよく使われる。",
      "origin": "典拠となる古典は特定されていない。「心機」は心の働き・心の動きを、「一転」はひと回りすること、転じてがらりと変わることを指す語で、この二つを組み合わせた表現である。『精選版 日本国語大辞典』が挙げる早い使用例は幸田露伴『いさなとり』（1891年）の「狼狽愕く其中に心機一転、ゑゑ死ぬまじと思ひし事やら」で、森鷗外『青年』（1911年）にも「純一は心機一転して」と見える。明治期の文学作品を通じて広まった表現とみられるが、成立の時期や最初に用いた人物を確定できる資料は確認できない。中国の古典に典拠を求める説明も見かけるものの、原典の該当箇所を示した資料は見当たらないため、ここでは採らない。",
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        "前向きな四字熟語",
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      "word": "心広体胖",
      "reading": "しんこうたいはん",
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      "meaning": "心が広くおおらかであれば、体つきまでゆったりと落ち着いて見えるということ。内面の余裕が外に表れるという、儒教の人間観を表した言葉。",
      "origin": "出典は儒教の経典『大学』の、「富は屋を潤し、徳は身を潤す」に続く「心広ければ体胖（ゆた）かなり」という一節である（日本漢字能力検定協会「漢字カフェ」ほか）。財が住まいを立派にするように、徳は人の身を潤すのだ、という対句を受けた箇所に置かれている。訓読は資料によって「心広ければ体胖かなり」「心広くして体胖かなり」と揺れる。朱熹の『大学章句』では、この句は心の中を偽らないこと（誠意）を説く章の結びに置かれ、「故に君子は必ず其の意を誠にす」と続く。人目のないところでどう在るかが結局は外に表れる、という文脈の言葉である。注意したいのは「胖」の字で、現代の日本語では〈太る〉の意味が先に立つが、ここでの「胖」は〈ゆたか・のびやか〉の意。体がくつろいでゆるやかであることを言っており、肥満を指す語ではない。",
      "originSource": "『大学』",
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      "word": "忍",
      "reading": "にん",
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      "meaning": "つらいことや苦しいことがあっても、耐え忍んで動じない心を表す一文字。感情に流されず、我慢強く物事に向き合う姿勢を示す座右の銘として使われる。",
      "origin": "出典は特定されていない。座右の銘として一文字の「忍」を掲げることが、特定の人物の言葉や故事に始まるという記録は確認できない。漢字としての「忍」について、『説文解字』は「能なり」と釈し、心を意味符、刃を音符とする形声字と説明する。ここでの「能」は耐えうるということで、刃を心の上に置いて我慢を表した字だという説き方は、字書の分析ではなく後世に広まった解字である。掲げるならこの違いは押さえておきたい。用例は古く、『論語』衛霊公篇の「小を忍ばざれば則ち大謀を乱る」は、小さなことに耐えられないと大きな計画のほうが台無しになると説く。『孟子』告子下では「天の将に大任を是の人に降さんとするや」に続けて、心志を苦しめ筋骨を労する境遇を並べたうえで「心を動かし性を忍ばせ、其の能わざる所を曾益せしむ」と述べ、耐えることを、まだ持っていない力を身につける過程として位置づける。仏教では菩薩の実践である六波羅蜜の一つに「忍辱」が数えられ、耐え忍ぶことがそれ自体で徳目に立てられている。",
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    {
      "slug": "shinpei-kiwa",
      "word": "心平気和",
      "reading": "しんぺいきわ",
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      "meaning": "感情に左右されず、心を平らかで穏やかに保つこと。争いを起こす気持ちがまったくない、静かな状態を言う。",
      "origin": "四字熟語辞典オンラインは出典に、北宋の程頤が兄の程顥（明道先生）の事跡を記した「明道先生行状」を挙げる。ただしこの典拠を示すのは確認できた範囲では同辞典と、中国語の成語「心平気和」を立項する中国語辞典のみで、コトバンク収録の国語辞典各種はこの四字を見出しに立てていない。中国側の語釈が日本の四字熟語辞典に引き継がれた形とみられ、『孟子』『荘子』のような有名な古典に結びつける解説は確認できない。語の作りは「心（こころ）平（たい）らかに気（き）和（わ）す」と訓読され、心が平らであることと、気持ちが和らいでいることの二つを並べた形である。「平」も「和」も、荒れていないこと・角が立たないことを言う字で、こみ上げたものを抑え込むというより、そもそも波立っていない状態を指す。",
      "originSource": "程頤「明道先生行状」",
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    {
      "slug": "shinra-banshou",
      "word": "森羅万象",
      "reading": "しんらばんしょう",
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      "meaning": "この世に存在する、ありとあらゆる物事や現象。",
      "origin": "仏教に由来する語。一説には漢訳仏典『法句経』の「参羅及万像、一法之所印」（森羅および万象は、一法の印する所なり＝この世のあらゆる存在は唯一の真理によって定められている）という句にさかのぼるとされる。ただし精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉はこの句を出典としては挙げておらず、由来を『法句経』一本に断定はできない。字義としては「森」は木が多いこと、「羅」は連なることで、「森羅」は無数に並び連なるさま、「万象」はあらゆる形あるものを指す。日本語での使用は古く、「しんらまんぞう」の読みで道元『正法眼蔵』（1231-53）法性の巻に「この森羅万象と法性と、はるかに同異の論を超越せり」とあり、「しんらばんしょう」の読みでの用例は洒落本『契情買虎之巻』（1778）に見える（いずれも精選版日本国語大辞典）。仏教の文脈では「すべては一つの理に貫かれている」という含みを持つ語であり、単なる「たくさんある」という意味ではなかった。",
      "originSource": "一説に漢訳仏典『法句経』「参羅及万像、一法之所印」（辞書類は出典として明記せず）／日本での用例は『正法眼蔵』（1231-53）法性の巻・洒落本『契情買虎之巻』（1778）（精選版日本国語大辞典）",
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    {
      "slug": "shinshoku-jijaku",
      "word": "神色自若",
      "reading": "しんしょくじじゃく",
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      "crossPillar": false,
      "meaning": "一大事に直面しても顔色ひとつ変えず、平然と落ち着いていること。「神色」は心の様子と顔色を指し、内心の落ち着きが表情や態度にまで表れている状態を言う。",
      "origin": "『精選版 日本国語大辞典』は漢籍の典拠として『晋書』王戎伝を挙げている。ただし同辞典は書名を示すにとどまり、どの場面の記述かまでは載せていないため、ここでも特定の逸話には結びつけない。「神色」は精神と顔色、つまり心の状態とそれが表に出た顔つきを指し、「自若」は慌てず普段どおりに落ち着いているさまを表す。二つを合わせて、内心の動揺が顔色にも現れないことを言う。日本での用例として、同辞典は荻生徂徠の詩文集『徂徠集』（1735〜40年）から、源義経が頼朝に仕えて盥を持ち、熱で手を焼かれても離さず「神色自若」だったと記す一節を挙げる。近代の用例には森鷗外『灰燼』（1911〜12年）の「山口は神色自若として相原に言った」がある（『四字熟語を知る辞典』）。由来を聞かれたら「中国の『晋書』に見える言葉で、心も顔色も普段と変わらない、という意味です」と答えるのが、確認できる範囲で正確である。",
      "originSource": "『晋書』王戎伝（『精選版 日本国語大辞典』が典拠として挙げる）",
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    {
      "slug": "shintou-mekkyaku",
      "word": "心頭滅却",
      "reading": "しんとうめっきゃく",
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      "meaning": "心の中の雑念や執着を消し去れば、どんな苦しみも苦しみと感じなくなるということ。「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の前半を切り出した形で、暑さや苦境を心の持ち方で乗り越える意に使われる。",
      "origin": "出典は唐の詩人・杜荀鶴の詩「夏日題悟空上人院」（夏日、悟空上人の院に題す）。暑い夏の日に悟空上人の僧院を訪ねて詠んだもので、結びの二句「安禅不必須山水／滅得心中火自涼」（安禅は必ずしも山水を須いず、心中を滅し得れば火も自ら涼し）は、坐禅に静かな山水は必ずしも要らず、心の中の火を消してしまえば暑さも自然と涼しく感じられる、と上人の境地をたたえている。この句は宋代の禅僧・圜悟克勤の『碧巌録』第四十三則にも引かれ、禅語として広まった。日本では、天正十年（1582年）に織田信忠の軍勢が甲斐の恵林寺を焼き討ちした際、住職の快川紹喜が炎の中でこの句を唱えて没したと伝えられ、その逸話とともによく知られるようになった。原詩が「心中」、よく知られる形が「心頭」と字が異なる点は、由来を語るときに押さえておきたい。",
      "originSource": "杜荀鶴「夏日題悟空上人院」／『碧巌録』第四十三則",
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    {
      "slug": "shippai-shita-tokoro-de-yamete",
      "word": "失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければそれは成功になる。",
      "reading": "しっぱいしたところでやめてしまうからしっぱいになる。せいこうするところまでつづければそれはせいこうになる。",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "途中でやめてしまうことこそが本当の失敗であり、成功するまで続けさえすれば、それは成功だという考え方を表す言葉。パナソニックの創業者・松下幸之助の言葉として知られる。",
      "origin": "パナソニックの創業者・松下幸之助（1894〜1989年）の言葉として広く流布しているが、この一文そのままの形での初出は確定していない。国立国会図書館のレファレンス協同データベースに収録された調査では、この文言の出典を確かめるために松下の著作・発言集を含む13点の資料が照合され、この言葉を引用する二次資料はいずれも出典を示していないことが確認されている。そのうえで、本人の著作でこれに最も近い記述として挙げられているのが『人を活かす経営』（1979年）で、そこには「成功するまで続けることである。途中であきらめて、やめてしまえば、それで失敗である」「決してあきらめない。成功するまで続けていく」とある。『松下幸之助発言集』第5巻の「必ず成功すると信ずる。成功するまでやめない」、第44巻の同趣旨の発言も確認されている。つまり、考え方そのものは松下本人が繰り返し語ったもので間違いないが、現在広まっている整った二文の形は、後から要約されて定着したものとみるのが妥当である。",
      "originSource": "松下幸之助『人を活かす経営』（1979年）に同趣旨の記述／『松下幸之助発言集』第5巻・第44巻。引用される一文そのままの初出は未確定（国立国会図書館レファレンス協同データベースの調査による）",
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        "有名人・経営者の座右の銘"
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    {
      "slug": "shippuu-jinrai",
      "word": "疾風迅雷",
      "reading": "しっぷうじんらい",
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      "meaning": "激しく吹く疾風と、鋭く轟く雷のように、物事の変化や行動が非常に素早く、力強いさまを表す言葉。突発的で激しい出来事や、スピード感のある動き、勢いのある行動のたとえとして用いられる。",
      "origin": "出典は中国の儒教経典『礼記』の「玉藻」篇とされる。同篇には「若有疾風、迅雷、甚雨、則必変。虽夜必興、衣服冠而坐」（疾風・迅雷・激しい雨があれば、必ず居住まいを正す。たとえ夜であっても必ず起き出し、衣服を整えて端座する）という一節があり、そこから「疾風迅雷」の語が生まれたとされる。君子たる者は普段から油断せず、突発的な自然の異変に際しても心構えを崩さないという教えを示した記述である。「疾風」は速く激しく吹く風、「迅雷」は突然轟く激しい雷を意味し、二つの自然現象を組み合わせることで、物事の変化や行動の素早さ、激しさを強調する表現として用いられるようになった。日本では漢籍の教養として古くから知られ、行動や情勢の急変を形容する言葉として定着している。",
      "originSource": "礼記（玉藻篇）",
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    {
      "slug": "shiran-no-majiwari",
      "word": "芝蘭之交",
      "reading": "しらんのまじわり",
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      "meaning": "香り高い芝や蘭のような、人格の優れた人同士の清らかで美しい交際。",
      "origin": "この四字熟語そのものの出典は特定されていない。四字熟語辞典オンラインは「良い影響を受ける賢者との交友」と語釈するが典拠となる書名を挙げておらず、主要な国語辞典にも「芝蘭之交」の見出しは確認できない。たどれるのは「芝蘭」という比喩の来歴のほうである。芝は霊芝、蘭は藤袴とされ、どちらも香りの高い草を指す。漢典は「芝蘭之室」の出処として『孔子家語』六本篇の「善人と居るは、芝蘭の室に入るが如し、久しくして其の香を聞かず、即ち之と化するなり」と、漢の戴徳『大戴礼』の「君子と游ぶは、苾乎として蘭芷の室に入るが如し」を並べて挙げる（『孔子家語』の引用は「久而不聞其香」と「久聞而不知其香」の二通りの字句が併存する）。良い香りの中に長くいると香りに気づかなくなり、そのまま自分がその香りになっている——人格は説得ではなく同席によって移る、という見方である。北斉の顔之推『顔氏家訓』慕賢篇にも「善人と居るは、芝蘭の室に入るが如く、久しくして自ら芳し」という一節がある。日本でも古く、精選版日本国語大辞典は「芝蘭」の項に『懐風藻』（七五一年）の「芝蘭四座、三尺を去りて君子の風を引く」を引き、その他の文献として〔荀子‐王制〕を挙げる。室や化を言う語が先にあり、そこから交わりそのものを指す形になったと読めるが、これは語形の関係から導いた整理で、成立の順序を記した資料は確認できない。",
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      "word": "支離滅裂",
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      "meaning": "物事の筋道がばらばらで、まったく理屈が通っていないこと。",
      "origin": "「支離」と「滅裂」という二つの語を組み合わせた四字熟語で、四字の形での中国古典の出典は確認できない。個々の語はいずれも『荘子』にさかのぼり、精選版日本国語大辞典・普及版字通は「支離」の典拠に『荘子』人間世篇を挙げる。同篇には「支離疏」という、あごがへそに隠れ肩が頭より高いという異形の人物が登場し、その名から「支離」には「身体が不揃いである」という意味も派生した。「滅裂」は破れ裂けて形を失うことで、精選版日本国語大辞典は『荘子』則陽篇を引く。四字熟語としての日本語の用例は近代以降で、精選版日本国語大辞典は坪内逍遙『当世書生気質』（1885-86）の「支離滅裂と嘲りたまはず」を初出に挙げ、夏目漱石『草枕』（1906）にも「双方に気合がないから、もう画としては、支離滅裂である」と見える。",
      "originSource": "「支離」＝『荘子』人間世篇（支離疏）／「滅裂」＝『荘子』則陽篇（いずれも精選版日本国語大辞典）／四字での初出用例は坪内逍遙『当世書生気質』（1885-86）",
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      "slug": "shishi-eiei",
      "word": "孜々営々",
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      "meaning": "こつこつと熱心に、たゆまず物事に励み続けること。休まず地道に努力を重ねるさまを表す。",
      "origin": "四字熟語としての出典は特定されていない。「孜々営々」の形で典拠を示す古典は確認できず、故事に結びつける記録も見当たらない。ともに畳語である「孜孜」と「営営」を重ねて、休まず励むさまを強めた形と考えられる。「孜孜」は熱心に努め励むさまで、中国では『書経』に見える語。日本でも古く、精選版日本国語大辞典は菅原道真『菅家文草』（900年頃）の「孜々又汲々」を用例に引く。「営営」は『詩経』小雅・青蠅に由来し、休みなく行き来してあくせく働くさまを表す語で、同辞典は内田魯庵『社会百面相』（1902年）の「月給に営々として金を貯めやうと決心した」を引いている。四字を並べた形での用例は近代以降の小説に確認でき、吉川英治『新書太閤記』『三国志』、林不忘『煩悩秘文書』などに見られる。",
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    {
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      "word": "質実剛健",
      "reading": "しつじつごうけん",
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      "meaning": "飾り気がなく誠実で、心身ともに強くたくましいこと。見栄や華美を排し、地に足のついた生き方や気風を表す言葉で、明治期以降、学校の校訓や企業の社是としてもよく用いられてきた。",
      "origin": "「剛健」は『易経』乾卦にある「剛健にして中正、純粋にして精なり」に由来するとされ、「質実」は飾り気のない誠実さを表す語として組み合わされたとみられる。四字熟語としての使用が確認できる早い例は、徳富蘇峰『時務一家言』（1913年）とされる（精選版日本国語大辞典）。また、日露戦争後の社会風紀の乱れを正すために発布された戊申詔書（1908年）が勤勉・質実の気風を国民に説いたことが、この語を教育理念や校訓として広める契機になったという説がある。両者の時期は近く、明治末期にかけて言葉として定着していったと考えられる。",
      "originSource": "精選版日本国語大辞典（徳富蘇峰『時務一家言』1913年の用例）／戊申詔書（1908年）",
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    {
      "slug": "shoshi-kantetsu",
      "word": "初志貫徹",
      "reading": "しょしかんてつ",
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      "meaning": "最初に心に決めた志や目標を、途中で投げ出さずに最後まで貫き通すこと。",
      "origin": "出典は特定されていない。「初志貫徹」という四字熟語そのものの出典を明記した文献は確認できず、成立の経緯や最初の使用者を特定する記録も見当たらない。「初志」（最初に心に決めた志）と「貫徹」（最後まで押し通すこと）という、それぞれ独立した二字熟語を組み合わせた表現と考えられる。学校教育や自己啓発の文脈で使われることが多く、教育・修養に関する言説を通じて一般に定着していったと推定されるが、この成立時期についても確定的な資料があるわけではない。",
      "originSource": "",
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    {
      "slug": "shoshin-wasurubekarazu",
      "word": "初心忘るべからず",
      "reading": "しょしんわするべからず",
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      "meaning": "何かを始めたときの謙虚な気持ちや、まだ未熟であった頃の経験を忘れず、その姿勢を持ち続けながら努力を重ねていくべきだということ。慣れた後も初心を思い出す戒めとして使われる。",
      "origin": "室町時代の能楽師・世阿弥が著した『花鏡』を出典とする言葉で、複数の資料で確認できる（『風姿花伝』でも関連する内容が語られている）。『花鏡』奥段には「初心不可忘（初心忘るべからず）。この句、三箇条の口伝あり」とあり、続けて「是非初心不可忘」「時々初心不可忘」「老後初心不可忘」という三つの『初心』が説かれている。「是非の初心」は若い頃の失敗や未熟さを忘れず、当時の芸と現在の芸を比べる物差しとして持ち続けること、「時々の初心」は年齢や境遇の各段階で身につけた芸の初めての境地を忘れず、幅広い芸域を保つこと、「老後の初心」は「命には終わりあり、能には果てあるべからず」という考えのもと、老いてなお新たな芸境に挑み続ける心構えを指すとされる。これは初めて能に触れた頃の初々しい気持ちを保つという意味ではなく、どの段階にあっても自分の未熟さから目を逸らさず学び続けよという、芸を磨くための厳しい教えである。現代では「始めた頃の初心を忘れず頑張る（初志貫徹）」という意味で使われることが多いが、これは世阿弥が本来込めた意味とは異なる、後世に広まった解釈だといえる。",
      "originSource": "世阿弥『花鏡』",
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      "word": "昇",
      "reading": "しょう",
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      "meaning": "止まることなく上へ向かって成長していく姿勢を表す一文字。地位や能力、人格などをたゆまず高めていこうとする向上心の象徴として使われる。",
      "origin": "出典は特定されていない。座右の銘として一文字の「昇」を掲げることが、特定の人物の言葉や故事に始まるという記録は確認できない。字としては形声字で、日を意味符、升（ショウ）を音符とし、日が上がることを表す。「升」はますで穀物などをすくい上げるさまをかたどった字とされ、容量の単位（十合）を表すとともに、上へあがるという意味を持つ。『説文解字』が「德」を「升なり」と釈すときの「升」がこの意味にあたる。「昇」は「上昇」「昇天」のように物理的に上がる意味に加え、「昇格」「昇進」のように地位や序列が上がる意味でも使われ、「昇平」のように世が平らかに治まる意味もある。「徳」「義」「静」のように中国古典で修養の語として厚く語られてきた字と違い、この字は思想の蓄積を背負っておらず、意味が字面のままである点が特徴といえる。掲げる側が「何を昇らせるのか」を自分で決めなければならない字である。",
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      "word": "従容不迫",
      "reading": "しょうようふはく",
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      "meaning": "ゆったりと落ち着き払い、慌てることなく物事に対処する様子。",
      "origin": "四字熟語としての出典は特定されていない。『四字熟語の百科事典』は典拠・出典の欄を空欄にしており、この四字の形で典拠を示す辞典は確認できない。「縦容不迫」とも書き、「従容として迫らず」と訓読される。語を作っている二つの熟語のほうは古い。「従容」はゆったりと落ち着いているさまで、精選版日本国語大辞典はその他の文献として〔書経‐君陳〕を挙げ、普及版字通は『中庸』第二十章を引く。日本語としての使用も古く、同辞典は漢詩文集『経国集』（八二七年）の用例を初出に挙げ、近代では坪内逍遙『小説神髄』（一八八五〜八六年）の「大に怒りし折にもわざと面を和らげつつ従容として語らふべく」を引く。「不迫」は迫られない、つまり急かされて慌てることがないという意である。字面だけを見ると何もしていない落ち着きにも読めるが、訓読の「迫らず」が前提にしているのは、事態のほうが迫ってきている場面である。何も起きていない静けさを言う語ではない。",
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    {
      "slug": "shunpuu-taitou",
      "word": "春風駘蕩",
      "reading": "しゅんぷうたいとう",
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      "meaning": "春風がのどかに吹くように、人柄がおっとりと穏やかであること。",
      "origin": "出典は特定されていない。四字熟語辞典・国語辞典のいずれにも、四字としての典拠の記載は確認できなかった。四字熟語を知る辞典は「駘蕩」を、頭の子音が同じ字を重ねた「双声」による擬態語（のどかなさま）と説明し、「駘」（のろい馬）「蕩」（ゆらゆらと広がる）という字の意味が春風ののどかさと通じる、と述べるにとどまる。一方で「駘蕩」の語自体は漢詩文で古くから使われており、精選版日本国語大辞典は『水流雲在楼集』（一八五四年）の「煙波駘蕩の春」、木下尚江『良人の自白』（一九〇四〜〇六年）の「駘蕩たる春光に心を馳せて」、芥川龍之介『或日の大石内蔵助』（一九一七年）の「復讐の挙を全然忘却した駘蕩たる瞬間を」を実例に挙げる。六朝期の漢詩を由来とする解説も見かけるが、辞典類で裏づけは取れなかった。",
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        "冷静を表す四字熟語",
        "前向きな四字熟語"
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    {
      "slug": "slow-and-steady-wins-the-race",
      "word": "Slow and steady wins the race.",
      "reading": "スロー アンド ステディ ウィンズ ザ レース",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
      "crossPillar": false,
      "meaning": "「遅くとも着実な者がレースに勝つ」という意味の英語のことわざ。速さより、止まらずに進み続けることが結果につながるという見方を表す。イソップ寓話「ウサギとカメ」の教訓を一句にした形。",
      "origin": "物語の元はイソップ寓話「ウサギとカメ」（ペリー・インデックス二二六番）。足の速いウサギが油断して眠り込み、遅いカメが歩き続けて先にゴールするという話だが、寓話そのものの本文にこの一句が現れるわけではない。英語の言い回しとしては、十八世紀イギリスの詩人ロバート・ロイドが寓話を詩に翻案した「The Hare and the Tortoise」（一七六二年）の結びに由来するとされる。勝ったカメがウサギに向かって「あなたは私の不格好な歩みを笑うだろうが、遅くとも着実な者がレースに勝つのだ（You may deride my awkward pace, / But slow and steady wins the race.）」と語る場面で、この最終行がことわざとして独立し、以後イソップ寓話の教訓文としても添えられるようになった。もとの寓話が戒めているのはカメの遅さの肯定というより、ウサギの慢心であり、「遅くてもよい」という含みは後から強まった読み方である点は押さえておきたい。",
      "originSource": "ロバート・ロイド「The Hare and the Tortoise」（詩集 Poems、1762年）の結び「But slow and steady wins the race.」／物語の元はイソップ寓話「ウサギとカメ」（ペリー・インデックス226番）",
      "themes": [
        "英語の座右の銘",
        "一言で言う座右の銘"
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      "word": "惻隠",
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      "meaning": "苦しんでいる人を見て、思わず湧き上がる同情や哀れみの心。『孟子』が人に生まれつき備わる善の芽生えの一つとして挙げた「惻隠の心」の形でよく使われる。",
      "origin": "出典は『孟子』公孫丑上。孟子は、人には他人の不幸を見過ごせない心が生まれつき備わっていると説き、その例として、幼い子どもがいまにも井戸に落ちそうなのを見れば、誰でもはっと驚き痛ましく思う心が起こる、と述べた。そのうえで「惻隠之心、仁之端也」（惻隠の心は、仁の端なり）と続け、羞悪（悪を恥じる心）・辞譲（へりくだり譲る心）・是非（善し悪しを見分ける心）と並べて、それぞれが仁・義・礼・智に至る芽生え（端）だとした。これが性善説の根拠として知られる「四端」の説である。孟子はさらに、人にこの四端があるのは両手両足（四体）があるのと同じだと述べている。ここでの「隠」は隠れる意ではなく、いたむ意で使われており、二字で「かわいそうだと心を痛める」気持ちを表す。",
      "originSource": "『孟子』公孫丑上",
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    {
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      "word": "滄海桑田",
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      "meaning": "かつて青々とした海だった場所が桑畑に変わるように、世の中が激しく移り変わること。",
      "origin": "出典は東晋の葛洪が著した『神仙伝』の「麻姑」の話とされる（四字熟語辞典・漢語の成語辞典がともに『神仙伝』を挙げる）。仙女の麻姑が、久しぶりに会った仙人の王遠（王方平）に向かって「接侍以来、已見東海三為桑田」（お目にかかってから、東海が三度も桑畑になるのを見ました）と語り、蓬莱の水もかつてより浅くなっていたと続ける場面が語のもとである。海が桑畑に変わるほどの時の流れという字義から、世の移り変わりの激しさを表す語になった。「滄海」は青々とした大海原、「桑田」は桑畑を指す。日本語では「滄海変じて桑田となる」の形でも使われ、「桑田碧海」「滄海揚塵」「桑海之変」など同義の語が多い。",
      "originSource": "『神仙伝』「麻姑」（東晋・葛洪）",
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    {
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      "word": "総角之好",
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      "meaning": "髪を束ねて結っていた幼い頃からの、古くからの親しい友人関係。",
      "origin": "出典は『晋書』列伝第三・何劭伝。西晋の重臣である何曾の子・何劭（字は敬祖）について、「劭、字は敬祖、少くして武帝と年を同じくし、総角の好有り」——若い頃に武帝（司馬炎）と同い年で、総角の好があった——と記す一句に基づく。「総角」は髪を束ねて頭の両側に角のように垂らした子どもの髪型で、転じて幼い時分を指す。何劭は武帝が皇太子になると中庶子として仕え、即位後もそのまま側近に用いられた。つまり幼なじみがそのまま君臣になった関係の書き出しにあたる言葉で、劇的な故事があるわけではない。なお「総角」という語自体はさらに古く、『詩経』衛風・氓の「総角の宴、言笑晏晏たり」、斉風・甫田の「婉たり孌たり、総角丱たり」に見えるが、四字「総角之好」の出典として『詩経』を挙げる辞典は確認できない。日本語の「総角（あげまき）の契り」は『源氏物語』総角の帖に由来する、紐の結び方に寄せた恋の約束で、この語とは別である。",
      "originSource": "『晋書』列伝第三・何劭伝",
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      "slug": "soukyuu",
      "word": "蒼穹",
      "reading": "そうきゅう",
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      "meaning": "青々と晴れわたった大空のこと。ただの「青空」と違い、ドーム状に高く張った空間としての広がりを含み、見上げる側の小ささまで一緒に運ぶ文章語。",
      "origin": "特定の故事に基づく語ではない。精選版日本国語大辞典は「蒼穹」の項に、日本での早い実例として本朝麗藻（一〇一〇年頃）下巻「九月尽日北野廟に侍る」源孝道の句「霊廟本為風月主、宜哉明徳満蒼穹」を挙げ、漢籍の参照文献として唐の高適「秘書弟に酬い兼ねて幕下の諸公に寄す」を挙げる。高適のその詩には「高縦激頽波、逸翮馳蒼穹」（高く放たれて衰えの波に抗い、すぐれた翼が大空を駆ける）の句があり、大鳥の飛翔の比喩として使われている。本朝麗藻は一条天皇の御代の漢詩文を高階積善が編んだ集で、平安中期にはすでに漢詩の語彙として日本に入っていたことになる。字の側では、普及版字通が「穹」を形声・声符は弓とし、弓に彎曲するものの意があるとして「蒼穹・穹廬のように、ドーム形の天井の高いものをいう」と説明する。説文解字は「穹」を「窮なり」とするが、字通は究極の意には究・窮を用いるとし、穹はもっぱら弓なりの高さの側に立つとみる。蒼穹が指すのは平らな青ではなく、丸みと高さを持った空である。",
      "originSource": "本朝麗藻（一〇一〇年頃）下・九月尽日侍北野廟〈源孝道〉「霊廟本為風月主、宜哉明徳満蒼穹」（精選版日本国語大辞典が「蒼穹」の初出の実例に挙げる）／漢籍は高適「酬秘書弟兼寄幕下諸公詩」「高縦激頽波、逸翮馳蒼穹」（同辞典が「蒼穹」の項の参照文献に挙げる）／字義は普及版字通「穹」の項",
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    {
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      "word": "相思相愛",
      "reading": "そうしそうあい",
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      "meaning": "お互いがお互いを想い合っている、両想いの状態。「両思い」をやや改まって言うときの言い方として使われる。",
      "origin": "この語の出典は特定されていない。照合した辞書（『精選版 日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』『四字熟語を知る辞典』『四字熟語辞典オンライン』）はいずれも典拠を挙げておらず、中国古典などの原典に結びつける記述は確認できなかった。語の組み立てとしては、「相」が相手という意味と互いにという意味を持ち、「相思」（相手を慕うこと）と「相愛」（相手を愛すること）という二語を重ねた形である。辞書が載せる用例も近現代の日本語文献に限られ、『精選版 日本国語大辞典』は井伏鱒二『本日休診』（1949〜50年）を、『四字熟語を知る辞典』は舟橋聖一『鴛鴦の間』（1956年）などを引く。漢字検定5級相当の易しい字だけで構成されており、古典の重みを背負った語ではない。なお、この語を中国の故事に由来すると説明する記事も見かけるが、辞書でその裏付けは取れなかった。",
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    {
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      "word": "水魚之交",
      "reading": "すいぎょのまじわり",
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      "meaning": "魚が水を得たときのように、切っても切り離せないほど親密で深い交わり。",
      "origin": "『三国志』蜀書（蜀志）諸葛亮伝に見える、劉備と諸葛亮の故事に基づく。劉備は諸葛亮を迎え入れたのち、日ごとに親密さを深めていった（原文「是に於いて亮と情好日に密なり」）。関羽・張飛らがこれを喜ばなかったため、劉備は「孤の孔明有るは、猶ほ魚の水有るがごとし。願はくは諸君復た言ふこと勿れ」（私に孔明がいるのは、魚に水があるようなものだ。どうか二度と言わないでほしい）となだめ、関羽・張飛はそれで不満を口にしなくなったという。つまり原典のたとえは、君主が欠かせない臣下を得たことを言ったもので、対等な友人同士の話ではない。日本ではこれが友情や交際一般に広げて使われ、精選版日本国語大辞典は意味を「非常に親密な友情、交際など」としたうえで、談義本『地獄楽日記』（一七五五年）の「誠に水魚の交ともいふべし」を用例に挙げる。近代でも樋口一葉『やみ夜』（一八九五年）、吉川英治『平の将門』に使用例がある（故事成語を知る辞典）。",
      "originSource": "『三国志』蜀書（蜀志）諸葛亮伝",
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      "word": "好きこそ物の上手なれ",
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      "meaning": "人は好きなことには自然と熱心に取り組むため、上達も早いということわざ。好きという気持ちが、努力を続ける原動力になるという教え。",
      "origin": "出典は特定されていない。ことわざとしての作者や原典を示す記録は確認できないが、江戸中期には広く使われていたことが用例から分かる。俳諧書『其角十七回』（1723年）には、江戸前期の俳人・宝井其角が「器用さと稽古と好きと三つのうち好きこそものの上手なりけれ」とよく口ずさんでいたと記されている。ただしこれは其角がこの句を作ったという記述ではなく、当時すでに知られていた言い回しを引いていた可能性がある。近代の用例では、彫刻家・高村光雲の談話をまとめた『光雲懐古談』（1929年）に「好きこそ物の上手で」の形で見える。文法上は係助詞「こそ」を受けて「なり」の已然形「なれ」で結ぶ係り結びで、「好きだからこそ上手になるのだ」と強調する形である。",
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      "word": "進",
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      "meaning": "立ち止まらず、前へ前へと歩みを進めていく姿勢を表す一文字。現状に満足せず、常に成長や前進を志す座右の銘として使われる。",
      "origin": "出典は特定されていない。座右の銘として一文字の「進」を掲げることが、特定の人物の言葉や故事に始まるという記録は確認できない。漢字としての「進」について、『説文解字』は「登なり」と釈し、行くことを表す辵を意味符とする形声字と説明する。原義は前へ移ることよりも、高いほうへ上がることに近い。『論語』子罕篇は学問を土を盛る仕事にたとえ、「譬えば山を為るが如し、未だ一簣を成さざるも、止むは吾が止むなり。譬えば地を平らかにするが如し、一簣を覆すと雖も、進むは吾が往くなり」と述べる。あと一杯で山が完成する場面で手を止めるのも、平地にたった一杯の土を空けて進むのも、どちらも自分が決めることだという文で、この字は「止」と対に置かれている。仏教では六波羅蜜の一つに「精進」があり、修行を怠らず励み続けることを指す。日本語の「精進する」「精進料理」はここから出た語である。",
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        "一文字の座右の銘"
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        "面接で聞かれたとき",
        "スポーツの目標に"
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    {
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      "word": "大願成就",
      "reading": "たいがんじょうじゅ",
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      "meaning": "大きな願いや目標が、最終的に叶うことを表す言葉。長年の努力の末に大きな目標を達成したいという強い思いを込めて使われる。",
      "origin": "由来となる特定の経典は特定されていない。「大願」はもともと仏教語で、仏や菩薩が衆生を救おうとして立てる誓願を指す。その代表が阿弥陀仏の四十八願で、デジタル大辞泉は四十八願を「阿弥陀仏が法蔵比丘のとき、衆生を救うために立てたという四八の誓願」と説明する。「成就」は成し遂げられること。精選版日本国語大辞典はこの四字を「大願がかなうこと。大願が神仏の加護によって成就すること」とし、用例に浄瑠璃『日高川入相花王』（1759年）の「ゆらの戸が大願成就」を挙げる。少なくとも江戸中期には日本語の文章に現れていたことになるが、四字が最初に組まれた漢籍を特定する資料は確認できない。現在では神仏への祈願に限らず、受験・仕事・スポーツなど、長く抱いてきた目標が叶う意味で広く使われている。",
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      "meaning": "大きな器がすぐには完成しないように、真にすぐれた人物ほど大成するまでに時間がかかること。",
      "origin": "「大器晩成」は、中国の思想家・老子の言葉をまとめた『老子』第四十一章に由来する。原文には「大方無隅、大器晩成」（大きな四角形には角がなく、大きな器はできあがるまでに時間がかかる）とあり、本当にすぐれた才能や人物ほど、世に認められるまでに長い年月を要するという考え方を述べている。なお1973年に発見された馬王堆漢墓帛書（前漢初期の写本）の『老子』では、この部分が「大器免成」（大きな器は完成しない）と記されており、もともとは「完成することがないほど大きい」という、現在とは異なる意味だった可能性が指摘されている。現行の「大器晩成」の解釈は後世に伝わった通行本（王弼注本など）に基づくものであり、若いうちに芽が出なくても焦る必要はない、という励ましの言葉として広く使われるようになった。",
      "originSource": "『老子』第四十一章（通行本）。1973年発見の馬王堆漢墓帛書『老子』では「大器免成」と記されており、字句に異同がある",
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    {
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      "word": "泰斗",
      "reading": "たいと",
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      "meaning": "その分野で誰もが仰ぎ見る第一人者。「泰山北斗」を二字に縮めた語。",
      "origin": "「泰山北斗」の略で、出典は『新唐書』韓愈伝の賛。「愈没してより、其の言大いに行はれ、学者之を仰ぐこと、泰山北斗の如しと云ふ」——韓愈の死後、その主張は広く行われるようになり、学ぶ者は彼を泰山や北斗星のように仰いだ——とある。泰山は五岳の一つとして古くから祭祀の対象とされた山、北斗は方角の基準になる北斗七星で、どちらも「見上げられ、動かない基準になるもの」の代表として置かれている。普及版字通も「泰斗」の項に『唐書』韓愈伝賛を挙げ、語義を「泰山北斗。第一人者」とし、故事成語を知る辞典も同じ出典を示す。精選版日本国語大辞典は「たいざんほくと（泰山北斗）」の略と釈し、日本語の用例に島村抱月『囲はれたる文芸』（一九〇六年）の「ピネロは地位に於いてアーサー、ジョーンスと共に英国劇作界の泰斗たれども」を挙げる。四字を二字に縮めた形は、明治期の評論文で分野の権威を指す語として定着していったことが分かる。",
      "originSource": "『新唐書』韓愈伝・賛「自愈没、其言大行、学者仰之、如泰山北斗云」（普及版字通「泰斗」の項が『唐書、韓愈伝賛』として、故事成語を知る辞典が「新唐書―韓愈伝・賛」として挙げる）",
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    {
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      "word": "泰然",
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      "meaning": "落ち着き払っていて、目の前で何が起きても動じない様子。緊張や困窮の中でも構えが変わらない、外から見た態度の安定を指す。",
      "origin": "特定の故事に由来する語ではないが、漢籍にさかのぼる用例は辞書ではっきりたどれる。精選版日本国語大辞典は「泰然」の漢籍出典として『元史』許衡伝を挙げる。同伝には、家が貧しく自ら耕し、穀物が実らない年は糠や野菜で食いつないだ許衡について「之に処すること泰然たり」——その境遇にありながら少しも動じなかった——とあり、外からの圧が続く中で崩れない態度を指す語だと分かる。普及版字通は『金史』顔盞門都伝の「矢石前に至ると雖も、泰然自若たり」——矢や石が目の前まで飛んできても平然としていた——を引く。字の側では、「泰」は説文に「なめらか」とあり、訓義は「やすらか」「ゆたか」「ゆるやか」など、詰まっていないゆとりを表す。日本語での早い例は清原国賢書写本『荘子抄』（一五三〇年）に見える。なお四字の「泰然自若」については、日本語の文章に定着したのは近代以降とする辞書の説明もある。",
      "originSource": "『元史』許衡伝「処之泰然」（精選版日本国語大辞典が「泰然」の項に漢籍出典として挙げる）／『金史』顔盞門都伝「雖矢石至前、泰然自若」（普及版字通が「泰然」の項に引く）",
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      "word": "泰然自若",
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      "meaning": "どんな出来事に直面しても、落ち着き払って動じない様子を表す言葉。予想外の事態やプレッシャーの中でも、冷静さを保ち続ける心の強さを表す。",
      "origin": "この四字熟語としての出典は特定されていない。「泰然自若」の形で典拠となる原典を示す辞書は確認できず、成立の経緯を記した資料も見当たらない。「泰然」（ゆったりと落ち着いているさま）と「自若」（事が起きても普段どおりであるさま）という、それぞれ独立して用いられてきた語を重ねた表現である。日本語の文献での早い使用例としては、永井荷風『地獄の花』（1902年）に「どうして泰然自若とした穏かな心を保って居る事が出来やう」とあり（『精選版 日本国語大辞典』）、近代以降の文章語として定着してきたとみられる。「泰然」「自若」それぞれを中国の古典に結びつける解説も見られるが、四字熟語としての「泰然自若」の典拠を示すものではない。",
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      "word": "多情多恨",
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      "meaning": "感受性が強く、恋心や恨み、悲しみといった感情の起伏が激しいこと。",
      "origin": "この語の出典は特定されていない。中国古典に典拠を示す記述は確認できず、故事に基づく語ではない。日本では明治期の文章にすでに現れており、正岡子規『筆まかせ』（1884〜92年）に「天下多情多恨の才子は皆公然と筆を揮ふて小説堺に雄飛することとなりぬ」の用例がある。広く知られるようになったのは、尾崎紅葉が明治29（1896）年に『読売新聞』へ連載した小説『多情多恨』によるところが大きい。妻を亡くして立ち直れない主人公の心理を言文一致体で描いた作品で、題名がそのままこの語のイメージを決めた面がある。ただし子規の用例が連載に先行することからも、紅葉がこの語を作ったわけではない。字義としては、「多情」が物事に感じやすいこと・情の深いことを、「多恨」が恨みや悔いの多いことを指し、二つの二字熟語を重ねた形である。「多恨多情」と入れ替えた形でも使われる。",
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      "articleUrl": "https://kotonoha-jiten.pages.dev/yoji-jukugo/word/tajou-takon/",
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    {
      "slug": "taku-kanji",
      "word": "拓",
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      "meaning": "自らの手で道を切り開いていく姿勢を表す一文字。「開拓」の字が持つ、未知の物事に果敢に挑み道を作り出すという意味を象徴する。",
      "origin": "出典は特定されていない。座右の銘としての一文字「拓」が特定の人物の言葉や故事に由来するという記録は確認できない。漢字としては手偏に「石」を組み合わせた形声文字で、後漢の字書『説文解字』は「拓は拾ふなり」と記し、陳・宋の地方で「拾う」の意に用いられた語だと説明している。そこから手で押し開く・広げる意が派生し、未開の土地をひらく「開拓」の用法につながった。同じ字は石碑の文字や文様を紙に写し取る技法（拓本）も表す。日本語では音読み「タク」、常用漢字表外の訓読みに「ひら（く）」があり、名のりでは「ひらく」「ひろ」と読まれる。座右の銘として掲げる「拓」は、この「自分の手で道をひらく」という字義に基づくもので、特定の出典に紐づく用法ではない。",
      "originSource": "",
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        "一文字の座右の銘",
        "かっこいい座右の銘"
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        "面接で聞かれたとき",
        "ESに書くとき"
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    {
      "slug": "ten-wa-hito-no-ue-ni",
      "word": "天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり",
      "reading": "てんはひとのうえにひとをつくらずひとのしたにひとをつくらずといえり",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "「人の上に人を造らず、人の下に人を造らず——天はそう言っている」という意味。福沢諭吉『学問のすゝめ』初編の冒頭の一文で、生まれによる上下はないという前提を置いたうえで、現実にある差は学ぶか学ばないかで生じると説く議論の出発点になっている。",
      "origin": "福沢諭吉が明治5年（1872年）に刊行した『学問のすゝめ』初編の冒頭にある一文で、原文は「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり」。見落とされやすいのは文末の「と云へり」＝「と言われている」という伝聞の形で、福沢はこれを自分の主張としてではなく、広く言われている前提として引いている。この一節はアメリカ独立宣言の「すべての人は平等に造られている」を踏まえたものだとする見方が多くの解説で示されているが、福沢自身が引用元を明示した記述は確認できないため、ここでは断定しない。福沢の議論の本体は直後に来る。現実には賢い人と愚かな人、富む人と貧しい人、身分の高い人と低い人の差があるが、それは「天より定たる約束にあらず」——生まれつき決まっていたのではなく、学ぶと学ばざるとによって生じたのだ、と続く。だからこそ学問を勧める、というのが初編の筋書きである。",
      "originSource": "福沢諭吉『学問のすゝめ』初編（明治5年／1872年）冒頭「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり」",
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    {
      "slug": "tensai-to-wa-1-percent",
      "word": "天才とは1%のひらめきと99%の努力である",
      "reading": "てんさいとはいちぱーせんとのひらめきときゅうじゅうきゅうぱーせんとのどりょくである",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "優れた才能やひらめきよりも、地道な努力の積み重ねこそが偉業を成し遂げる原動力になるという考え方を表す言葉。発明家トーマス・エジソンの言葉として広く知られる。",
      "origin": "トーマス・エジソンの言葉として伝わるが、本人が書き残した文章ではなく、記者や同僚の証言を通じて活字になった言葉である。数字の組み合わせには変遷があり、1898年4月の『レディース・ホーム・ジャーナル』誌はエジソンの言葉として「2パーセントが天才で、98パーセントが努力だ」と伝えている。現在広まっている1対99の形が活字で確認できる最初期の例は1901年のアメリカの新聞報道で、1902年の『サイエンティフィック・アメリカン』誌はなお2対98の形で紹介していた。最もよく典拠として挙げられるのは、エジソンの研究所で働いた化学者M・A・ロザノフが1932年9月の『ハーパーズ・マンスリー』誌に寄せた回想「Edison in His Laboratory」で、そこにはエジソン自身が「私が言った『天才とは1パーセントのひらめきと99パーセントの努力である』という言葉を、君も人が繰り返すのを聞いたことがあるだろう」と語ったと記録されている。エジソンは1927年の書簡でも、たしかにそう述べたし今も同じ意見だ、と自らの言葉であることを認めたと伝えられる。なお日本では「1パーセントのひらめきがなければ99パーセントの努力は無駄になる」という続きを添え、本当は着想の重要性を説いた言葉だったと紹介されることがあるが、この続きをエジソンに帰す一次資料は確認できない。引用するなら、確認できるのは1対99の一文までである。",
      "originSource": "『ハーパーズ・マンスリー』1932年9月号（エジソンの発言の記録。M. A. Rosanoff「Edison in His Laboratory」）／1901年のアメリカ新聞報道",
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    {
      "slug": "tentan",
      "word": "恬淡",
      "reading": "てんたん",
      "pillar": "yoji-jukugo",
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      "meaning": "名声や利益に執着せず、あっさりとした心境でいること。「恬」は心が安らかなさま、「淡」はあっさりしたさまという字義を持つ。",
      "origin": "老荘の語である。『荘子』刻意篇に「虚無恬惔、乃合天徳」——心を虚しくして安らかであれば、天の徳にかなう——とあり、同じ書の天道篇にも「夫虚静恬淡寂漠無為者、天地之平而道徳之至也」（それ虚静恬淡寂漠無為なる者は、天地の平にして道徳の至りなり）と見える。恬淡は単なる無気力ではなく、作為をやめた状態を指す道家の中心語だった。精選版日本国語大辞典はこのほか『史記』秦始皇本紀と『大智度論』一三を参考に挙げ、日本語の文献での早い用例として『家伝』（760年頃）の「其性温良、其心貞固、非義弗領。毎好恬淡」（其の性は温良、其の心は貞固、義に非ざれば領せず。毎に恬淡を好む）を挙げる。奈良時代にはすでに人物評の語として使われていたことが分かる。室町期の清原国賢書写本『荘子抄』（1530年）にも「聖人は心を恬淡寂漠に休し、智を虚無無為に息てをく也」とあり、原典の文脈のまま読み継がれていた。なお表記は「恬淡」「恬澹」「恬惔」が併存し、『荘子』刻意篇は「恬惔」の字を用いる。",
      "originSource": "『荘子』刻意篇「虚無恬惔、乃合天徳」／同・天道篇「夫虚静恬淡寂漠無為者、天地之平而道徳之至也」",
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      "updatedAt": "2026-09-03"
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    {
      "slug": "tenteki-senseki",
      "word": "点滴穿石",
      "reading": "てんてきせんせき",
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      "meaning": "わずかな水のしずくでも、同じ場所に落ち続ければやがて硬い石に穴を開けるように、小さな力でも根気よく続ければ大きなことを成し遂げられるということ。",
      "origin": "四字熟語辞典の多くは、前漢の文人・枚乗が呉王劉濞の謀反を思いとどまらせようと差し出した意見書（『漢書』枚乗伝）の一節「泰山之霤穿石、單極之綆斷幹」を由来とする。泰山に落ちる雨垂れは石に穴を開け、井戸の釣瓶縄は井桁の木を断ち切る——水は石を削る錐ではなく、縄は木を挽く鋸ではないのに、少しずつ擦り続けることがそうさせるのだ、という文である。ただし『漢書』の原文にあるのは「霤（あまだれ）石を穿つ」という表現であり、「点滴穿石」という四字の形そのものがこの書に現れるわけではない点は押さえておきたい。また枚乗の文脈では、この比喩は「小さな兆しを放置すると取り返しがつかなくなる」という警告の側で使われており、現在日本で定着している励ましの用法とは力点が逆である（呉王は諫言を容れず、七国の乱に加わって敗死した）。よく似た「水滴石穿」は別系統で、南宋・羅大経『鶴林玉露』に載る県令・張乖崖の説話——庫から一銭を盗んだ役人を罰する際に「一日一銭、千日千銭、縄鋸木断、水滴石穿」と判じた話——に基づき、こちらも原話では小さな不正の積み重ねを戒める文脈だった。",
      "originSource": "『漢書』枚乗伝「泰山之霤穿石、單極之綆斷幹」（枚乗「上書諫呉王」）／類話に南宋・羅大経『鶴林玉露』「一日一錢、千日千錢、繩鋸木斷、水滴石穿」",
      "themes": [
        "努力・継続",
        "座右の銘になる四字熟語"
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        "ESに書くとき",
        "部活で使うとき"
      ],
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      "articleUrl": "https://kotonoha-jiten.pages.dev/yoji-jukugo/word/tenteki-senseki/",
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    {
      "slug": "the-pen-is-mightier-than-the-sword",
      "word": "The pen is mightier than the sword.",
      "reading": "ザ ペン イズ マイティア ザン ザ ソード",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "「ペンは剣よりも強し」という意味の英語の格言。武力よりも、言葉や文章によって伝えられる思想のほうが人や社会を大きく動かすという考え方。19世紀の劇作家エドワード・ブルワー＝リットンの戯曲の台詞が、現在の形の初出とされる。",
      "origin": "現在の形の初出とされるのは、エドワード・ブルワー＝リットンの戯曲『リシュリュー、あるいは陰謀（Richelieu; Or the Conspiracy）』（1839年）第2幕第2場、リシュリュー枢機卿の台詞である。1839年3月7日にロンドンのコヴェント・ガーデン劇場で初演された。台詞は「Beneath the rule of men entirely great / The pen is mightier than the sword.」（まったく偉大な人々が治める世の下では、ペンは剣よりも強い）と条件をつけて始まり、続けてペンを「大魔術師の杖」にたとえ、それ自体は何ものでもないが使い手の手にかかれば為政者を麻痺させ大地を息もつかせぬほど打つ、と述べる。原文は言葉が無条件に武力に勝ると宣言したものではなく、誰が書くかによって効き目が決まると言っている点に注意したい。同趣旨の言い方はそれ以前にもあり、ロバート・バートン『憂鬱の解剖』（1621年）には、ペンは剣よりもどれほど残酷でありうるか、という趣旨の一節がある。",
      "originSource": "エドワード・ブルワー＝リットン『リシュリュー、あるいは陰謀』（1839年、ロンドン・コヴェント・ガーデン劇場初演）第2幕第2場",
      "themes": [
        "英語の座右の銘",
        "有名人・経営者の座右の銘",
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    {
      "slug": "time-is-money",
      "word": "Time is money.",
      "reading": "タイム イズ マネー",
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      "meaning": "「時は金なり」という意味の英語の格言。時間はお金と同じくらい貴重な資源であり、無駄に費やすべきではないという考え方。18世紀のアメリカの政治家ベンジャミン・フランクリンが著書の中で説いたことで広く知られるようになった。",
      "origin": "アメリカの政治家・著述家ベンジャミン・フランクリンが1748年に発表した小論「Advice to a Young Tradesman（若き商人への助言）」の冒頭に置いた \"Remember that time is money.\"（時は金なりということを忘れるな）が、この言い回しの広く知られた出典である。フランクリンは商売を始める若者に向けて、一日の半分を遊んで過ごせば、遊びに使った金だけでなく、働いていれば得られたはずの分まで失っている、と説明した。つまり元の文脈は「時間は貴重だ」という一般論ではなく、使わなかった時間には稼げたはずの金額という具体的な損失がある——今でいう機会費用——の話だった。同じ趣旨の考え方はフランクリン以前にもあったと紹介されることがあるが、現在流通している英語の形とその普及は、この一文に負うところが大きい。",
      "originSource": "ベンジャミン・フランクリン「Advice to a Young Tradesman」(1748) \"Remember that time is money.\"",
      "themes": [
        "英語の座右の銘",
        "有名人・経営者の座右の銘"
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        "面接で聞かれたとき"
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    {
      "slug": "toku-kanji",
      "word": "徳",
      "reading": "とく",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "人として身につけるべき正しい品性や、誠実で思いやりのある行いを表す一文字。人格を磨き高めることを重んじる姿勢の象徴として座右の銘に選ばれる。",
      "origin": "出典は特定されていない。座右の銘として一文字の「徳」を掲げることが、特定の人物の言葉や故事に始まるという記録は確認できない。字の来歴は次のとおりである。『説文解字』は「德」を「升なり」と釈し、彳を意味符、㥁を音符とする形声字と説明する。「升」は上がることで、字の原義は品性そのものではなく、高いほうへ進むことに近い。いま「徳」が担っている意味を本来受け持っていたのは別字の「悳」で、『説文解字』はこれを「外は人に得、内は己に得るなり」と釈する。人から得られるもの（信望）と、自分の内に得られるもの（納得）の両方を指す説明で、この語が他人の評価と自分の内面の両側にまたがることを、字書の段階ですでに示している。思想の側では、『論語』為政篇の冒頭「政を為すに徳を以てすれば、譬えば北辰の其の所に居りて衆星の之に共るが如し」（為政以德、譬如北辰居其所而眾星共之）が知られる。力で従わせるのではなく、自分が動かずにいても人が向いてくるあり方として徳を説いた一節である。同じ『論語』里仁篇の「徳は孤ならず、必ず隣有り」（德不孤、必有鄰）は、徳のある者は孤立せず必ず理解者が現れるという句で、この一字を掲げる理由としてしばしば引かれる。",
      "originSource": "",
      "themes": [
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    {
      "slug": "toukai",
      "word": "韜晦",
      "reading": "とうかい",
      "pillar": "yoji-jukugo",
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      "meaning": "自分の才能や地位、本心をあえて表に出さず、包み隠すこと。身を隠して姿をくらます意でも使う。",
      "origin": "精選版日本国語大辞典は「韜晦」の項の出典に〔旧唐書‐宣宗紀〕を挙げる。唐の宣宗（李忱）は即位前、文宗・武宗の治世にあたる太和・会昌の年間を通じて、能力を隠して身を守っていた。同紀に「太和・会昌の朝を歴て、愈（いよいよ）韜晦を事とし、群居游処、未だ嘗て言有らず」——年を追うごとに韜晦に努め、人の集まる場に居ても、ついぞ口を開かなかった——とある。皇位をめぐる争いの渦中で、目立てば命が危うい状況での処世として使われた語である。字の側では、「韜」は説文解字に「劍衣なり」（剣を納める袋）とあり、『広雅』釈器では弓袋の意で、そこから「つつむ・おさめる」に転じた。「晦」は月の隠れる日、転じて暗いこと。包んで見えなくする、という二字の組み合わせがそのまま語義になっている。日本語の文献では、同辞典が坪内逍遙『内地雑居未来之夢』（一八八六年）の「毫も其気質の如何を知らせず、いとよく韜晦して喜憂を示さず」を用例に挙げる。中国語では同じ系統の「韜光養晦」が今も生きた成語として使われている。",
      "originSource": "『旧唐書』宣宗紀「歴太和会昌朝、愈事韜晦、群居游処、未嘗有言」（精選版日本国語大辞典が「韜晦」の項の出典に挙げ、JST サイエンスポータルチャイナの成語解説も同じ句を引く）",
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    {
      "slug": "tourou-no-ono",
      "word": "蟷螂之斧",
      "reading": "とうろうのおの",
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      "meaning": "かまきりが前脚を振り上げて大きな車に立ち向かうように、弱い者が力の差も顧みず強者に立ち向かうこと。",
      "origin": "斉の荘公が狩りに出たとき、一匹の虫が前脚を振り上げて車輪に立ち向かおうとした、という故事に基づく。御者に尋ねると「これは螳螂（かまきり）という虫で、進むことは知っていても退くことを知らず、自分の力量を量らずに敵を軽んじます」と答えたという。この逸話は『韓詩外伝』巻八と『淮南子』人間訓に見え、『韓詩外伝』では荘公が「これが人であれば必ず天下の勇者となろう」と言って車を回して避け、それを聞いた勇士たちが奮い立ったと続く。つまり原典の一つでは勇気を讃える話である。一方『荘子』人間世篇には「汝かの螳螂を知らざるか。その臂を怒らして以て車轍に当たる。その任に勝えざるを知らざるなり」とあり、身のほどを知らない振る舞いへの戒めとして引かれる。同じ情景でありながら評価が正反対で、日本語の「蟷螂之斧」は後者、無謀な抵抗を指す用法が定着した。「斧」は、かまきりが振り上げた前脚を斧に見立てたもの。",
      "originSource": "『韓詩外伝』巻八・『淮南子』人間訓（『荘子』人間世篇にも類話）",
      "themes": [
        "難しい四字熟語",
        "面白い四字熟語"
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      "articleUrl": "https://kotonoha-jiten.pages.dev/yoji-jukugo/word/tourou-no-ono/",
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    {
      "slug": "unity-is-strength-en",
      "word": "Where there is unity, there is strength.",
      "reading": "ウェア ゼア イズ ユニティ、ゼア イズ ストレングス",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
      "crossPillar": false,
      "meaning": "「団結あるところに力あり」という意味の英語のことわざ。一人ずつでは及ばない力が、心を一つに合わせたときに生まれるという見方を表す。イソップ寓話「束ねた薪」の教訓として広まった考え方だが、この英文そのものの初出は特定されていない。",
      "origin": "この英文そのものの初出は特定されていない。イソップの言葉として引用サイトなどで広く流布しているが、古典期の英訳でこの綴りが定訳として使われた形跡は確認できず、近代英語での言い回しと考えられる。一方で、考え方の出どころははっきりたどれる。イソップ寓話「老人と息子たち」（「束ねた薪」の名でも知られる。ペリー索引53番）は、争い続ける息子たちに、老いた父が薪の束を折らせようとして誰も折れず、ほどいて一本ずつ渡すと簡単に折れる、という話で、束ねれば強く、ばらばらなら弱いことを教える。現存する最古の版は2世紀のバブリオスによる韻文で、偽プルタルコスはスキタイ王スキルロスと80人の息子の話として同じ筋を伝えている。この寓話の教訓は英訳では「Union gives strength」「Strength lies in union」などと訳されてきた。同趣旨の表現はイソップ以外にも古くから見え、ホメロス『イリアス』第13歌には弱い者どうしでも力を合わせれば力になるという趣旨の一節があり、ラテン語ではサッルスティウス『ユグルタ戦記』の「concordia res parvae crescunt」（小さなものも和合によって大きくなる）、格言としての「vis unita fortior」（合わさった力はより強い）が知られる。近世以降はオランダ共和国の標語「Eendracht maakt macht」、1830年の独立以後のベルギーの国是「L'union fait la force」として国家の標語に採られ、19世紀からは労働組合のスローガンとしても使われた。誰か一人の発言ではなく、地中海世界から近代ヨーロッパまで繰り返し言い直されてきた考え方だと理解しておくのが正確である。",
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      "themes": [
        "英語の座右の銘"
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        "スポーツの目標に",
        "スピーチで使うとき"
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      "updatedAt": "2026-08-23"
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    {
      "slug": "uzou-muzou",
      "word": "有象無象",
      "reading": "うぞうむぞう",
      "pillar": "yoji-jukugo",
      "crossPillar": false,
      "meaning": "とりたてて特徴のない、ありふれた人々や物事の集まり。",
      "origin": "仏教語「有相無相（うそうむそう）」が転じた語。「有相」は姿形をもって現れているもの、「無相」は形を持たない本性を指し、合わせて「形あるものも形なきものも含めた一切」、すなわち森羅万象を意味した。精選版日本国語大辞典は「有相無相」の初出例に『日葡辞書』（1603-04）を挙げる。もとは世界の全体を指す中立の語だったものが、日本語では「あれもこれも雑多にある」という側面が前に出て、「取るに足りない者たちの群れ」という侮蔑的な意味に転じた。「有象無象」の表記での初出例として精選版日本国語大辞典は幸若舞『笛之巻』（寛永版、室町末〜近世初）の「末世の衆生のまよひにはうざうむざう是おほし」を挙げ、次いで『川柳評万句合』宝暦十三年（1763）の「やせ世帯うぞうむぞうにうんざりし」を引く。江戸期にはすでに、現在に近い雑多で卑俗な集まりという語感で使われていた。",
      "originSource": "仏教語「有相無相」からの転（「有相無相」の日本語初出例は『日葡辞書』1603-04）／「有象無象」の初出用例は幸若『笛之巻』（寛永版、室町末〜近世初）（いずれも精選版日本国語大辞典）",
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        "面白い四字熟語"
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      "articleUrl": "https://kotonoha-jiten.pages.dev/yoji-jukugo/word/uzou-muzou/",
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    {
      "slug": "wa-kanji",
      "word": "和",
      "reading": "わ",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
      "crossPillar": false,
      "meaning": "周囲の人々と争わず、心を合わせて仲良く協調していくことを大切にする姿勢を表す一文字。聖徳太子の十七条憲法「和を以て貴しとなす」でも知られる価値観。",
      "origin": "座右の銘としての一文字「和」は、聖徳太子の作と伝えられる十七条憲法の第一条「以和爲貴（和を以て貴しと為す）」と結びつけて語られることが多い。『日本書紀』はこれを推古天皇十二年（604年）のこととして記す（ただし十七条憲法の成立時期や作者については、後世の編纂とする議論もある）。この一条はさらに『論語』学而篇の「礼之用、和爲貴（礼の用は和を貴しと為す）」を踏まえたものとされ、『礼記』儒行篇にも同趣旨の表現がある。つまり「和」を重んじる考え方自体は儒教の古典に遡り、十七条憲法はそれを統治の第一の原則として掲げた文書として知られている。一方で、一文字の「和」を座右の銘として掲げる用法そのものに特定の出典があるわけではない。",
      "originSource": "『日本書紀』所収の十七条憲法 第一条「以和爲貴」／『論語』学而篇「礼之用、和爲貴」",
      "themes": [
        "一文字の座右の銘",
        "かっこいい座右の銘"
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        "面接で聞かれたとき",
        "スピーチで使うとき"
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      "articleUrl": "https://kotonoha-jiten.pages.dev/zayuu-no-mei/word/wa-kanji/",
      "updatedAt": "2026-08-10"
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    {
      "slug": "wagan-aigo",
      "word": "和顔愛語",
      "reading": "わがんあいご",
      "pillar": "yoji-jukugo",
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      "meaning": "穏やかな笑顔と、思いやりのこもった優しい言葉で人に接すること。仏典に由来し、人への接し方そのものを説く言葉。",
      "origin": "出典は『仏説無量寿経』（大無量寿経）巻上。曹魏の康僧鎧訳とされる漢訳の本文に「無有虚僞諂曲之心　和顏愛語　先意承問」とあり、法蔵菩薩が修めた行いを列挙する箇所に現れる。偽りやへつらいの心がないことを受け、「和顔愛語」に「先意承問」（相手が言い出す前にこちらから察して尋ねる）が続く八字の句で、笑顔と言葉だけでなく、先に気づいて声をかけるところまでが一続きの教えになっている。読み下しは資料によって「和顔愛語して」「和顔愛語にして」と揺れ、別本には「和顔軟語」という表記もある（『新纂浄土宗大辞典』）。日本では親鸞がこの経文を『教行信証』『浄土文類聚鈔』に引用しており、現在も仏教系の学校が建学の精神として「和顔愛語　先意承問」を掲げる例がある。なお、別の経典に説かれる「無財の七施」の「和顔悦色施」「言辞施」とは内容が重なるが、七施の名称に「和顔愛語」は含まれない。",
      "originSource": "『仏説無量寿経』巻上",
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        "冷静を表す四字熟語",
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      "updatedAt": "2026-09-12"
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    {
      "slug": "where-theres-a-will-theres-a-way",
      "word": "Where there's a will, there's a way.",
      "reading": "ウェア ゼアズ ア ウィル、ゼアズ ア ウェイ",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "「意志あるところに道は開ける」という意味の英語のことわざ。強い意志を持って取り組めば、必ず実現の道は見つかるという教え。",
      "origin": "英語のことわざであり、最初に言い出した人物は特定されていない。記録に残る早い類句として、詩人ジョージ・ハーバートが編んだ格言集『Outlandish Proverbs』（1640年、のちに『Jacula Prudentum』として知られる）の「To him that will, ways are not wanting.」（意志ある者に道が欠けることはない）が挙げられる。現在の \"Where there's a will, there's a way.\" という言い回しについては、随筆家ウィリアム・ハズリットが1822年に New Monthly Magazine へ寄せた文章の用例が早いものとして知られる。ただしこれらはいずれも「誰が作ったか」を示す記録ではなく、その形が書き留められていた時期の目安にとどまる。will（意志）と way（道）が頭韻を踏む短い形が、覚えやすさを支えている。",
      "originSource": "ジョージ・ハーバート編『Outlandish Proverbs』(1640) の類句「To him that will, ways are not wanting.」／現行形の早い用例としてウィリアム・ハズリット寄稿の New Monthly Magazine (1822)",
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        "英語の座右の銘",
        "一言で言う座右の銘"
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      "updatedAt": "2026-08-13"
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    {
      "slug": "while-theres-life-theres-hope",
      "word": "While there's life, there's hope.",
      "reading": "ワイル ゼアズ ライフ、ゼアズ ホープ",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "「命ある限り希望あり」という意味の英語のことわざ。どんなに苦しい状況でも、生きている限りまだ望みは残っているという見方を表す。ギリシャ・ローマにさかのぼる古い言い回しで、キケロが「病人については、息のあるうちは希望があると言われる」と書き留めている。",
      "origin": "ギリシャ・ローマにさかのぼる言い回しで、特定の一人が作った言葉ではない。現存する最も古い形は、紀元前3世紀のギリシャの詩人テオクリトス『牧歌』第4歌42行の「ἐλπίδες ἐν ζωοῖσιν, ἀνέλπιστοι δὲ θανόντες」（希望は生きている者にある、死んだ者に希望はない）である。ラテン語では、キケロが紀元前49年に友人アッティクスへ宛てた書簡（『アッティクス宛書簡集』第9巻第10書簡3節）に「Ut aegroto, dum anima est, spes esse dicitur」（病人については、息のあるうちは希望があると言われるように）と記している。キケロ自身が「言われる（dicitur）」と書いているとおり、これは彼の造語ではなく、当時すでに広まっていた言い回しを引いたものである。内戦のさなかにポンペイウスがイタリアを去るまでは自分も望みを捨てなかった、という情勢判断の文脈で使われており、病人を慰める例を、自分自身の政治的な見通しに当てはめている。同趣旨のラテン語の標語「Dum spiro, spero」（息をする限り、私は希望する）も広く知られる。英語で現在の形に定まった最初の記録がどれかは特定できていない。古典の格言を集めて訳す動きが盛んだった時代を経て英語に移ったと考えられるが、初出を示す資料は確認できなかった。",
      "originSource": "テオクリトス『牧歌』第4歌42行「ἐλπίδες ἐν ζωοῖσιν, ἀνέλπιστοι δὲ θανόντες」／キケロ『アッティクス宛書簡集』第9巻第10書簡3節（紀元前49年）「Ut aegroto, dum anima est, spes esse dicitur」",
      "themes": [
        "英語の座右の銘"
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        "スピーチで使うとき"
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      "updatedAt": "2026-08-24"
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    {
      "slug": "yononin-wa-ware-wo",
      "word": "世の人は我を何とも言わば言え 我がなすことは我のみぞ知る",
      "reading": "よのひとはわれをなんともいわばいえ わがなすことはわれのみぞしる",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "周囲からどう言われようと気にせず、自分が成すべきことは自分自身が一番よくわかっているという信念を表す言葉。幕末の志士・坂本龍馬が詠んだ和歌として伝えられる。",
      "origin": "坂本龍馬が詠んだ和歌として伝わる。京都国立博物館が所蔵する重要文化財「坂本龍馬関係資料」のうち『詠草二 和歌』（江戸時代末期・19世紀）は一枚の紙に六首を記したもので、その二首目に「世の人はわれをなにともいはばいへわがなすことはわれのみぞしる」とある。ただしこの詠草がいつ書かれたかは特定されておらず、十代後半の作とする紹介も見られるが、年代を確定できる資料は確認できていない。現在広く流布している「世の人は我を何とも言わば言え 我がなすことは我のみぞ知る」という表記は、原文の仮名遣いを読みやすく改めたもので、原文どおりではない。",
      "originSource": "京都国立博物館蔵「坂本龍馬関係資料 詠草二 和歌」（重要文化財）",
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        "有名人・経営者の座右の銘",
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      "updatedAt": "2026-08-12"
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    {
      "slug": "youi-shuutou",
      "word": "用意周到",
      "reading": "よういしゅうとう",
      "pillar": "zayuu-no-mei",
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      "meaning": "準備に抜かりがなく、細部まで行き届いていることを表す言葉。何事も事前の準備を怠らず、万全の態勢で臨む姿勢を示す。",
      "origin": "この四字熟語の出典は特定されていない。中国古典の特定の一節や、最初に用いた人物を示す記録は確認できない。「用意」（前もって備えること）と「周到」（すみずみまで行き届いていること）という二つの漢語を重ねた表現で、日本語のなかで組み合わさって定着したものと考えられるが、成立の時期を確定できる資料は見当たらない。「周」は「あまねく・ひとまわりする」、「到」は「行き届く」という字義を持ち、二字で「抜けている箇所がひとつもない」状態を表す。この語が言うのは準備の量ではなく網羅性であり、そこが「たくさん準備した」という表現との違いになる。なお「到」を「倒」と書く誤記が多く、漢字の解説でも注意点として繰り返し挙げられている。",
      "originSource": "",
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        "座右の銘になる四字熟語"
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    {
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      "word": "羊頭狗肉",
      "reading": "ようとうくにく",
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      "meaning": "羊の頭を看板に掲げながら実際には犬の肉を売るように、見せかけと中身が伴わないこと。",
      "origin": "「羊頭を懸けて狗肉を売る」を四字に縮めた形。店先に羊の頭を掲げておきながら、実際には狗（犬）の肉を売る——という商売のたとえで、看板と中身が食い違うことを指す。出典としては南宋の禅書『無門関』（無門慧開・1228年成立）が挙げられ、その第六則に「傍若無人、良を圧して賊と為し、羊頭を懸けて狗肉を売る」と見える。同じ宋代の灯史『五灯会元』にも同様の句がある。ただしこの比喩自体はさらに古く、『晏子春秋』には、斉の霊公が宮中では女性の男装を許しながら宮外では禁じたことを晏子が諫めて「牛の首を門に懸けて馬肉を内に売るがごとし」と述べた一節があり、掲げる物と売る物を入れ替えた同型の言い回しが先行している。『後漢書』にも羊の頭を掲げて馬の干し肉を売る、という形が伝えられる。動物の組み合わせは伝承の過程で移り変わっており、羊と狗の形が禅籍を通じて広まって日本に定着した。",
      "originSource": "『無門関』第六則（ほかに『五灯会元』。『晏子春秋』に「牛首を懸けて馬肉を売る」の先行例）",
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      "word": "油断大敵",
      "reading": "ゆだんたいてき",
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      "meaning": "気を緩めて注意を怠ることこそが、最大の失敗の原因になるという戒め。うまくいっているときほど気を引き締めよ、という文脈で使われる。",
      "origin": "この四字熟語そのものの出典は特定されていない。成句としてまとまった形で載る古典は確認できず、「油断」という語に「大敵」を続けた日本語の言い回しである。ただし「油断」の語源については古くから複数の説が唱えられてきた。一つは仏教経典『大般涅槃経』の説話に結びつける説で、王が臣下に油を満たした鉢を持たせ、一滴でもこぼせば命を断つと告げたという話から、油を断つまいと張り詰めること、すなわち注意を怠らないことを指したとする。もう一つは、「ゆったり」「のんびり」を意味する古語「寛（ゆた）に」が音変化して「ゆだん」になったとする説で、語源辞典ではこちらをやや有力とし、涅槃経の説話に由来するなら表記はすべて「油断」になるはずなのに古辞書には別の漢字表記も併存する、として涅槃経説を疑問視する見方が示されている。灯明の油を絶やさないことに由来するという説も広く語られるが、文献上の裏づけは確認できない。",
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        "四字熟語の座右の銘",
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      "slug": "yume-kanji",
      "word": "夢",
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      "meaning": "将来実現させたいと思う事柄を表す一文字。眠っているときに見る「ゆめ」から転じた語義で、目標を持ち続けて追いかける姿勢を一字で示す座右の銘として選ばれる。",
      "origin": "出典は特定されていない。座右の銘としての一文字「夢」が、特定の人物の言葉や故事に由来するという記録は確認できない。漢字としての「夢」は、甲骨文では寝台の上に横たわる人の姿にかたどられ、のちに夜を表す「夕」を組み合わせた字体に整った。字書はこの字の原義を「暗い・はっきりしない」とし、そこから「眠っているときに見るゆめ」の意に転じたと説明する。日本語の「ゆめ」には現在、睡眠中に見るもの・将来実現させたいと思う事柄・現実から離れた想像・はかないもの、といった複数の語義が並存しており、座右の銘として掲げる「夢」は二つ目の語義で使われる。ただし「邯鄲之夢」「一炊之夢」「夢幻泡影」のように、古典の熟語では「はかなさ」の側の意味で用いられてきた歴史のほうが長い点は知っておきたい。",
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        "ESに書くとき",
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      "word": "勇",
      "reading": "ゆう",
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      "meaning": "恐れずに困難や挑戦に立ち向かう強い心を表す一文字。逃げずに一歩を踏み出す勇気を大切にする姿勢の象徴として座右の銘に選ばれる。",
      "origin": "出典は特定されていない。座右の銘として一文字の「勇」を掲げることが、特定の人物の言葉や故事に始まるという記録は確認できない。漢字としての「勇」は形声文字で、力を意味する「力」と、音を表す「甬」から成り、字書はその原義を「気力がみなぎるさま」と説明する。『説文解字』はこの字を「气なり」と釈し、心を部首とする古い字体「恿」があったことも記している。思想のうえでの用例は古く、『中庸』は「知・仁・勇の三者は天下の達徳なり」として、知・仁と並ぶ三つの徳の一つにこの字を数える。『論語』子罕篇の「勇者は懼れず」、為政篇の「義を見て為さざるは勇なきなり」も、この一字の重みを支えてきた一節である。これらが指す勇は、恐れを感じないことではなく、なすべきだと分かっていることを実行に移す力のほうである。",
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        "スポーツの目標に"
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      "updatedAt": "2026-08-14"
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    {
      "slug": "yuugen-jikkou",
      "word": "有言実行",
      "reading": "ゆうげんじっこう",
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      "meaning": "口に出して宣言したことを、責任を持って実際にやり遂げること。",
      "origin": "「有言実行」は中国古典などに明確な出典を持つ言葉ではなく、古くからあった「不言実行」（あれこれ言わず黙って実行する）をもじって作られた和製の四字熟語である。確認できる最古級の使用例は1924年の『大阪毎日新聞』の記事とされる。長らく辞書には採録されず、『大辞林』第3版（2006年）や『広辞苑』第7版（2018年）になってようやく見出し語として掲載された。それ以前は「不言実行」を美徳とする価値観が根強かったが、目標を公言してから実行するスタイルが評価されるようになった近年、使用頻度が「不言実行」を上回るまでに定着している。",
      "originSource": "『大阪毎日新聞』（1924年）における使用例が確認できる最古級の出典。『不言実行』をもじって作られた和製語とされる",
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        "座右の銘になる四字熟語",
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      "slug": "yuuou-maishin",
      "word": "勇往邁進",
      "reading": "ゆうおうまいしん",
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      "meaning": "恐れやためらいを一切捨て、目標や目的に向かってひたすらまっすぐに突き進んでいくことを表す言葉。困難や障害があっても後戻りせず、勇気を持って前進し続ける力強い姿勢を指す言葉として使われる。",
      "origin": "出典は特定されていない。四字熟語辞典の多くも「勇往邁進」について特定の古典や故事との結びつきを示しておらず、出典欄を空欄としているものが多い。「勇往」は勇んでためらわずに進むこと、「邁進」は「邁」の字が持つ「道を歩く」「数多く進む」という字義から、恐れず力強く前へ進むことを表すという字義を持つ。こうした字義の組み合わせから、比較的近代以降の日本で作られた表現と考えられており、目標に向かって前進する姿勢を端的に表す言葉として、企業のスローガンや個人の座右の銘などで広く使われるようになったとみられる。",
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    {
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      "word": "悠々自適",
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      "meaning": "世間のわずらわしさから離れ、自分のペースでゆったりと心穏やかに暮らすこと。",
      "origin": "出典は特定されていない。国語辞典・四字熟語辞典のいずれにも、典拠となる漢籍の記載は確認できなかった。精選版日本国語大辞典は「悠悠自適」の項に、服部誠一『東京新繁昌記』（一八七四〜七六年）の「悠優自適、以て彼の仁義を楽しむ」を実例として挙げ、あわせて「優遊自適」という表記も示す。「悠優」「優遊」と書かれてきたことからも、四字が固まった成句として伝わったのではなく、近い意味の二字を組み合わせて使われるうちに定着した語と考えられる（推定であり、成立の経緯を確定できる資料は確認できていない）。字義は、「悠々」がゆったりとして急がないさま、「自適」が自分の心の向くままに過ごすことで、二つ合わせて「せかされず、自分の裁量で日々を送る」という状態を指す。",
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    {
      "slug": "yuuyuu-kankan",
      "word": "悠悠閑閑",
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      "pillar": "yoji-jukugo",
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      "meaning": "焦らず、のんびりとゆったり構えている様子。時間に追われず、一歩引いたところから落ち着いて物事に向かっている状態を指す。",
      "origin": "四字熟語辞典は出典に『淮南子』の時則訓を挙げる（四字熟語辞典オンライン、四字熟語の百科事典）。ただしコトバンク収録のデジタル大辞泉はこの語に典拠を示しておらず、原典のどの一節を指すのかまで説明する資料は確認できていない。語の作りははっきりしている。「悠悠」はあせらずゆったりしているさま、「閑閑」は静かで落ち着いていること。意味の近い二語を重ねて強めた形で、重ねることで意味が加わるのではなく、同じ方向を二度言って強めている。表記の揺れが多い語でもあり、「悠々閑々」のほか「優優緩緩」「悠悠緩緩」とも書く（四字熟語辞典オンラインは「優優緩緩」を異形として立てる）。なお、この語が描くのは目の前の様子であって、暮らし方そのものではない。生活の型を指す「悠悠自適」とはそこが分かれる。",
      "originSource": "『淮南子』時則訓",
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      "updatedAt": "2026-09-22"
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    {
      "slug": "yuuzen",
      "word": "悠然",
      "reading": "ゆうぜん",
      "pillar": "yoji-jukugo",
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      "meaning": "慌てず、ゆったりと余裕を持って構えている様子。急かされる状況でも歩調が変わらず、心のどかに事へ向かう態度を指す。",
      "origin": "特定の故事に一語で結びつく語ではないが、来歴は漢籍まではっきりたどれる。普及版字通は「悠然」の字義を「心のどかなさま」とし、晋の陶潜（陶淵明）『飲酒』二十首その五の「采菊東籬下、悠然見南山」——東の垣根のもとで菊を採り、悠然として南山を見る——を挙げる。役人勤めを退いて田園に帰った作者が、俗世の喧噪から離れた暮らしの一場面を描いた句で、この語が初めから「急がない心の状態」と結びついていたことが分かる。精選版日本国語大辞典も「悠然」の項の参考に〔陶潜‐飲酒詩〕を挙げ、語義を「物事に動じないでゆったりしているさま。ゆっくりとしたさま」とする。日本語の文献での早い例は同辞典が引く『経国集』（八二七年）一三の「泉石老の将に至るを知らず、悠然として徒らに去来の春に任す」で、平安初期の漢詩文にすでに用いられていた。『太平記』（一四世紀後半）三五の「岐山の麓へ迯去て、悠然として居給ける」では、追われる身の人物の態度を言う語として使われている。字の側では、「悠」は心に攸を添えた形声字で、説文解字は「憂ふるなり」と釈すが、『詩経』では「悠悠」がはるかに遠いさまの意でも読まれ、後世はこちらの系統が「ゆったり」の語感につながっている。",
      "originSource": "陶潜『飲酒』二十首其五「采菊東籬下、悠然見南山」（普及版字通が「悠然」の項に引く）／精選版日本国語大辞典「悠然」の項が参考に挙げる〔陶潜‐飲酒詩〕、および同項の用例『経国集』（八二七年）一三「泉石不知老将至、悠然徒任去来春」",
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      "meaning": "これから先に大きな期待と可能性が満ちあふれていること。",
      "origin": "出典は特定されていない。中国の故事や特定の人物の言葉に由来するという記録は確認できず、「前途」（これから先の道のり、将来）と「多望」（望みが多いこと）を組み合わせた表現と考えられる。四字熟語の辞典は「前途有望」「前途洋々」と並ぶ類義の語として扱っており、出典を挙げるものは確認できなかった。「多望」は単独でも将来に多くの望みがあるという意で使われ、才能があって将来の望みも多いことを言う「有為多望」という四字熟語もある。用例としては「前途多望な作家」「あの青年は前途多望だ」のように、人や事業の将来を他から評する形が並ぶ（Weblio日本語例文用例辞書）。",
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      "meaning": "この先の人生や未来が、希望に満ちて大きく開けていること。",
      "origin": "出典は特定されていない。中国の故事や特定の人物の言葉に由来するという記録は確認できず、「前途」（これから先の道のり、将来）と「洋洋」を組み合わせた表現と考えられる。「洋洋」は水が満ちて広々と果てしないさまを表す言葉で、四字熟語を知る辞典は「広く大きい様子」と説明している。行く先が水面のように大きく広がっている、という字義から、将来が大きく開けて希望に満ちていることを表す。辞書が挙げる用例は阿部昭『司令の休暇』（一九七〇年）の「前途洋々たる軍人生活」で、表記は「前途洋洋」「前途洋々」のどちらも使われる。",
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